国璽
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国璽(こくじ)とは、国家の表徴として押す印章である。外交文書など、国家の重要文書に押される。
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[編集] 日本の国璽
日本の国璽は、印文が「大日本國璽」(2行縦書で右側が「大日本」、左側が「國璽」)、字体は篆書。3寸(約9cm)四方の角印。
明治維新以前には、「内印」(印文は「天皇御璽」)と称する天皇の印、「外印」(印文は「太政官之印」)と称する太政官の印はあったものの、国璽と称する物はなかった。明治維新後、内印・外印の称を廃し、明治2年(1869年)7月に従来の職員令を廃止して新たに官位相当制を定めるに際して、御璽の用例を定めた。このときの御璽は、「内印」として用いられてきた伝来の銅印である。御璽は、勅任官の官記、勅授の位記、外国へ特派する使節に対する詔書などの文書に押された。
明治4年(1871年)5月、伊達宗城を全権として清に派遣する際、従来の銅印が「印文ノ不明」な物であったため、篆刻家の小曽根乾堂に命じて、新たに石印を刻させた。このとき、初めて「大日本國璽」と刻された石印も製作し、国璽と称した。
現行の御璽・国璽は、当初用いられた石印が「艸卒ノ刻、字體典雅ナルヲ得ス」とされて、新たに刻したものである[1]。1873年(明治6年)に製作を命じられたのは、京印章の名匠・安部井櫟堂(あべい れきどう:1805年 - 1883年)で、御璽と共に1年がかりで製作し、1874年(明治7年)7月に完成した[2]。このとき鋳造された国璽は純金製で重量は4.5kg、印文は変わらず「大日本國璽」とされた。日本の国号が大日本帝国憲法により正式に「大日本帝国」とされるよりも以前に製作されたため、印文中に「帝」の文字がないが、明治憲法制定時に改鋳されることはなかった。また、日本国憲法制定により国号が「日本国」となった際にも改鋳されず、「大」の字が冠されたまま使用され続けている。
明治憲法下では、勅令の公文式(1886年 - 1907年)・公式令(こうしきれい:1907年 - 1947年)に、御璽を押す場合と国璽を押す場合とが明文で規定されていた。
公文式によれば、国書、条約批准書、外国派遣官吏の委任状、在留各国領事の証認状、および勲記には国璽を押すと定められた。また、公式令によれば、国書その他の外交上の親書、条約批准書、全権委任状、外国派遣官吏委任状、名誉領事委任状、外国領事認可状、および勲記には国璽を押すと定められた。
公式令は、1947年(昭和22年)の日本国憲法の施行の際に廃止され、現在これに代わる法令はない。ただ、国璽・御璽の用例など、公式令に定められた事項は、憲法その他の法令に反しない限り、慣例により踏襲されている。現在、国璽は、勲記(くんき:被叙勲者に勲章と共に与えられる証書)に押される他、褒章条例に基づく褒状にも押される(褒状の例:住友建機ホームページ[1])
国璽は御璽と共に、宮内庁侍従職が専用の革袋に入れて保管する。押す場合には御璽同様、国立印刷局特製の朱肉を用いた上で、専用の定規を当てておいてずれや傾きがない様に押印する。
行使の目的を持って、国璽・御璽を偽造した場合は、2年以上の有期懲役に処せられる(刑法164条1項)。
[編集] イギリスの国璽
イギリスの国璽(Great Seal of the Realm)は、ほとんどの重要な公文書に押印される印章である。11世紀にエドワード懺悔王が用いたのが最初といわれ、令状や布告などに用いられた。ほとんどの場合、王は“戴冠する自分”を象った形の国璽を使った。代々の大法官が、ウェストミンスターの大法官府においてこれを管理しており、現在でも国家・王室の公文書には目的別に色を分けて押印される。
[編集] 韓国の国璽
重要外交文書や勲章・褒賞および国家公務員任命状などに使われる。現在の国璽は三代目で1998年、政府樹立50周年の記念事業の一つとして製作された。横縦10.1センチメートル、把手には一双の鳳凰が無窮花の花びらを口に挟み天を舞う姿が施されている。ちなみに前の国璽の把手には亀の模様が施されていた。
2004年に精密検査を行ったところ、三代目の国璽に亀裂が入っている事が分かった為、新しく製造され、2008年2月から使用される予定である。鳳凰が座した形の把手が施され、縦横高さはそれぞれ9.9cm、材質は前回の破損を考慮して、合金の金となった。総制作費は2億2000万ウォンと報道されている。
政府樹立直後に初代のものが、1963年に二代目、1998年に三代目が作成された。なお、初代の国璽は行方不明となっている。