嗚呼玉杯
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嗚呼玉杯 (ああぎょくはい) は旧制第一高等学校の代表的な寮歌の一つ。正式名称は、第十二回紀念祭東寮寮歌[1]。嗚呼玉杯 という通称は、歌い出しの歌詞によっている。
日本三大寮歌の一つとされ、寮歌の中で最も人口に膾炙した歌の一つである。
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[編集] 基本データ
作者を上記の者以外とする誤記が散見されるが、これは大正期までにさかのぼる。
歌詞の出版権はコロムビアソングス株式会社が保有しており、JASRAC信託楽曲である。よって、歌詞の利用には注意が必要である。
矢野勘治によれば当初は和文調の歌詞であったが先に曲ができてしまい、楠等の意向により、漢文調の歌詞に改めたという。
[編集] 内容
寮から平和ボケした下界を見下ろし、自治の理想と救国の使命に燃えるエリートの心意気を歌っている。冒頭の酒宴を催しているのは、本来は下界であったが、後に、生徒らの酒宴とする解釈が流布した。しかし歌詞を見れば分かるが、後者の解釈であるためには「耽りたり」「耽りつつ」である必要があり、「耽りたる」は「栄華の巷」にかかっていることから、この解釈は誤りである。
第1節で見下ろされている下界 (栄華の巷) は、平和ボケした一般人民を指すとする解釈と、腐敗した特権階級を指すとする解釈とがあり、作成された明治35年(実質的には前年)を考慮した場合、後者にもとれるが確たる資料はない。ただし当時の一高の各寮歌を見た場合、ロシアを意識した歌詞が見られることから、その辺を含めた何かはあったのかもしれない。
昨今の寮歌祭の傾向として、「十余年」 を原歌詞どおり 「十二年」 として歌うことが多い。
[編集] 影響(替え歌など)
旧制第一高等学校の中のみならず、女学生や演歌師らによって世間一般にも広められたため、メロディーを利用した数多くの替え歌が存在する。多くは短調化した曲が使われた。
[編集] 学校歌
旧制学校 (特に旧制中学校) をルーツとする学校に多くの例がある。
[編集] その他の歌
- 『仰げば巍々たる』 (陸軍士官学校。明治35年。作詞者不詳)
- 『嗚呼革命は近づけり』 (革命歌。明治41年。築比地仲助 作詞)
- 『ああ解放の旗高く』 (水平歌 (解放歌)。大正11年。柴田啓蔵 作詞) - 全国水平社の歌
- 『きけイエス君の』 (救世軍歌 319番。山室軍平 作詞) - 長調
[編集] 文学
- 『あゝ玉杯に花うけて』 (佐藤紅緑 著。少年小説。ISBN 4062620960 他)
- 『ビルマの竪琴』 (竹山道雄 著。少年小説。2度映画化された。ISBN 4101078017 他)