呂二六型潜水艦
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呂二六型潜水艦(海中4型) | |
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艦級概観 | |
艦種 | 二等潜水艦 |
艦名 | |
前級 | 呂一六型潜水艦(海中3型) |
次級 | 呂二九型潜水艦(特中型) |
性能諸元[1] | |
排水量 | 基準:770トン 水中:1,080トン |
全長 | 74.2m |
全幅 | 6.1m |
吃水 | 3.7m |
機関 | ズルツァー式[2]2号ディーゼル2基 電動機、2軸 水上:2,600馬力 水中:1,200馬力 |
速力 | 水上:17kt[3] 水中:9kt |
航続距離 | 水上:10ktで6,000海里 水中:4ktで85海里 |
燃料 | 重油 |
乗員 | 45名 |
兵装 | 28口径8cm高角砲1門 7.7mm機銃1挺 53cm魚雷発射管 艦首4門 |
備考 | 安全潜航深度:45.7m |
呂二六型潜水艦(ろにじゅうろくがたせんすいかん)は、大日本帝国海軍の潜水艦の艦級。海中4型(かいちゅうよんがた)とも。同型艦3隻。戦歴無し。
目次 |
[編集] 概要
本型は海中3型を発展させたものである。それまでの海中型の運用実績から凌波性等の不足が明らかになり、乾舷と予備浮力増大のため、船体が大型化された。兵装では舷側魚雷発射管が廃止され、艦首発射管4門のみとなった。魚雷は53cm魚雷を搭載する。
1918年(大正7年)度の八六艦隊案により全部で3隻が建造され、1923年(大正12年)から翌年にかけて竣工した。特に戦果、戦歴等はない。3艦とも1940年(昭和15年)に除籍され、その後は海軍潜水学校に係留されたまま訓練に使用された。呂27は終戦時沈没状態だったという。3隻とも戦後に解体された。
[編集] 同型艦
1924年(大正13年)11月1日に「呂号第~潜水艦」と改名。
- 呂号第二六潜水艦 ←第四五潜水艦から改名
- 呂号第二七潜水艦 ←第五八潜水艦から改名
- 呂号第二八潜水艦 ←第六二潜水艦から改名
- 1923年(大正12年)11月30日竣工(佐世保海軍工廠)。1940年(昭和15年)4月1日除籍。
[編集] 参考文献
- 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第12巻 潜水艦』(光人社、1990年) ISBN 4-7698-0462-8
- 『参拾壱 頁』
- 『近代世界艦船事典』
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
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三等潜水艦 |
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その他 |
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