吉住小三郎
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吉住 小三郎(よしずみ こさぶろう)は、近世中期以来の長唄の唄方。6代を数える。
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[編集] 初代
(元禄12年(1699年) - 宝暦3年7月16日(1753年9月13日))
摂津住吉生まれ。住吉神社の神官(伶人説もある)の家の出で、住吉を逆にして吉住と称したとされる。初名は仙次郎。6代杵屋喜三郎の弟子説と、4代中山小三郎の弟子説とがある。坂田兵四郎、初代松島庄五郎らと活躍、唄浄瑠璃を得意とした。
[編集] 2代
3代芳村伊三郎の弟子。初名芳村五郎治。天保6年(1835年)ころ、吉住小八から3代芳村伊十郎を襲名。弘化3年(1846年)2代を襲名。
[編集] 3代
2代の弟子、前名吉住小太郎。万延元年(1860年)3代を襲名。
[編集] 4代
東京生まれ。吉住勘四郎の子。幼名は長次郎。3代の義弟で、養子となる。1889年、4代を襲名。12代杵屋六左衛門に属して歌舞伎座に出演、1893年退座。1902年、3代杵屋六四郎(2代稀音家浄観)とともに長唄研精会を組織し、新曲を発表、歌舞伎の附属音楽であった長唄を、独立した演奏会用音楽にまで高めた。1936年東京音楽学校長唄選科教授。1948年日本芸術院会員。1956年人間国宝、1957年文化勲章受章、文化功労者。1963年、子の小太郎に5代を譲り、慈恭と改名する。作曲に「鳥羽の恋塚」「醍醐の花見」「新平家物語」など、稀音家浄観との合作に「紀文大尽」「神田祭」「都風流」がある。著書に『芸の心』(毎日新聞社、1971年)。
その唄はCD12枚組の「四世 吉住小三郎全集」(コロムビアミュージックエンタテインメント、2007年)などで聴くことができる。
[編集] 5代
4代の子。本名・吉住秀雄、前名小太郎。1963年、5代を襲名。
[編集] 6代
5代の長男、本名・吉住隆雄、前名小三治郎。5代没後、6代を襲名。