南部利正
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南部 利正(なんぶ としまさ、寛延4年4月9日(1751年5月4日) - 天明4年5月5日(1784年6月22日))は、盛岡藩の9代藩主。盛岡藩主南部利視の6男。生母は瀬山氏。初名は信由。幼名は幸吉。官位は従五位下大膳大夫。
正室は南部信起(南部利幹次男)の娘。子は南部利敬(次男)、娘(井伊直中正室)、娘(松平輝延継室)ら2男4女。宝暦2年(1752年)3月9日生まれともされる。
分家である旗本南部信起の養子となる。明和7年(1770年)4月4日、将軍徳川家治に御目見する。安永2年(1773年)8月22日、家督を相続する。安永3年(1774年)12月16日、本家である盛岡藩主南部利雄の養子となる。それにともなって、旗本南部家(3000俵)は廃家となる。南部利雄との養子縁組は、南部利謹の廃嫡にともなうものであった。
同年12月22日、将軍徳川家治に御目見する。同年12月28日、従五位下修理大夫に叙任する。後に大膳大夫に改める。安永9年(1780年)2月7日、養父利雄の死去により、家督を相続する。天明元年(1781年)4月22日、在国の許可を得る。天明4年(1784年)5月5日、死去、34歳。
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