松平輝延
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松平 輝延(まつだいら てるのぶ、安永4年閏12月15日(1776年2月4日) - 文政8年2月17日(1825年4月5日))は、江戸時代の上野国高崎藩主、寺社奉行、大坂城代、老中。高崎藩大河内松平家6代。
高崎藩第3代藩主・松平輝高の三男。母は側室の大川氏。正室は大河内松平信明の養女(大河内松平信譲の娘)、継室は南部利正の娘。子に松平輝茂(長男)、松平輝実(次男)、松平輝承(三男)、娘(朽木綱條正室)、娘(南部利敬養女)、娘(酒井忠義正室のち本庄宗秀継室)ら。養女(久松松平定永娘)は前田利幹正室。養子に松平輝健。従四位下、侍従・右京大夫を称する。
[編集] 略歴
- 安永4年(1775年)閏12月15日、江戸に生まれる。
- 天明8年(1788年)11月10日、兄輝和の継嗣となる。
- 寛政12年(1800年)11月12日、家督を継いで高崎藩主となる。
- 享和元年(1801年)6月27日、奏者番となる。
- 享和2年(1802年)4月28日、寺社奉行となる。
- 文化12年(1815年)4月29日、従四位下となり、大坂城代に任ぜられる。
- 文政6年(1823年)11月13日、老中となる。12月15日、侍従となる。
- 文政8年(1825年)2月17日、卒。
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