南浦和
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
南浦和(みなみうらわ)は、埼玉県さいたま市南区の地名・住所のひとつである。区画整理によって誕生した地域である。住居表示は南浦和一・二・三・四丁目まで存在する。四丁目は飛び地になっている。
目次 |
[編集] 沿革
- 1889年3月31日以前 - この周辺は北足立郡「大谷場村」であった。
- 1889年4月1日 - 周辺の村と合併し、谷田村となる。(現在の4丁目を除いて)
- 1932年(昭和7年)4月1日 - 谷田村は浦和町へ編入される。
- 1934年(昭和9年)2月11日 - 浦和町が市制施行、浦和市となる。
- 2001年 - 浦和市、与野市、大宮市と合併しさいたま市となる。
- 2003年 - さいたま市は政令指定都市に移行、区制を敷き、当地区は南区となっり現在に至る。
- 南浦和第一土地区画整理事業(下記)によって整備された町並みとなっている。
[編集] 南浦和土地区画整理事業
南浦和駅新設に伴い、周辺地区の区画整理が計画された。東北本線の線路より東を南浦和第一土地区画整理事業地とし、西側を第二土地区画整理事業地とした。昭和29年12月20日、建設大臣は都市計画法第十三条第一項の規定により浦和市大字大谷場字小池下、字仲町、字横枕の全域と大字大谷場字北原、字上町、字下町、字一ツ木の一部、さらに前地町一丁目と岸町八丁目の各一部、約二十四万坪(80ha)の地域を南浦和第一土地区画整理として浦和市に施行するよう命じ、昭和30年2月12日、建設省告示百二十号によって都市計画事業南浦和第一土地区画整理として施行し昭和33年度までの完了を命じた。 一方、昭和37年3月31日には浦和都市計画南浦和第二土地区画整理事業計画を認可され、同年4月17日埼玉県告示第二百三十六号によって告示された。施行地区の名称は浦和市大字大谷場字北原、字一ツ木の各一部と大字根岸字北原の全域、大字根岸字神明、字根岸前の各一部、大字文蔵字荒苦、字水深、字郷前の各一部である。 その後住居表示を施行、大谷場の一部を編入し、東側が南浦和、西側が南本町となった。
[編集] 施設
教育
- さいたま市立大谷場小学校
- 小松原高等学校
[編集] 交通
[編集] 鉄道
[編集] 道路
- 舟山通り
- 南大通り
- 南陸橋通り