千葉シーサイドバス
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種類 | 株式会社 |
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略称 | 千葉シーサイドバス |
本社所在地 | 日本 262-0032 千葉県千葉市花見川区幕張町4-619-23 |
電話番号 | 043-271-0205 |
設立 | 2001年5月30日 |
業種 | 陸運業 |
事業内容 | 乗合バス事業 |
代表者 | 鈴木剛(代表取締役社長) |
従業員数 | 20名 |
主要株主 | 東洋バス |
外部リンク | 東洋バスグループ |
千葉シーサイドバス株式会社(ちば - かぶしきがいしゃ)は、千葉県千葉地方で乗合バス事業を営む東洋バスグループの日本のバス会社である。
目次 |
[編集] 概要
千葉シーサイドバスは、千葉県八千代市を中心に路線を展開する東洋バスにより、比較的輸送密度の低い幕張周辺の路線を担わせる子会社として2003年2月に設立されたバス事業者である。本社は東洋バスと同じJR総武線幕張駅近くにある。営業所は本社と同じ場所に幕張営業所のみ存在する。主な路線は、JR幕張駅から八千代台駅、日立製作所、花島公園に向かう3路線であるが、乗客が多いのは花島公園線である。2004年より、JR幕張駅からJR総武線、京成千葉線をアンダークロスして海浜幕張駅までのルートが新設され、花島公園線を中心に直通運転がなされている。
所有する車両は、路線に狭隘な道路が多いため、ほとんどが中型車であるほか、2006年に新設された幕張本郷駅ルート(後述)にて投入された大型車2台も在籍している。一部では車体の全面広告(いわゆるラッピングバス)も見られる。また2006年度に入り、KC-台の車両について行先表示器をLEDパネル化する工事が行われ、U-台車の淘汰と合わせて、全車とも完了している。また、放送装置がテープ式から音声合成式へ置き換えられている。後述の千葉マリンスタジアムの乗り入れに伴って、東洋バスより中型ワンステップ車両が数台転入された。
なお親会社の東洋バスと同様、現時点ではバス共通カードは導入されておらず、PASMOへの加入予定も無い。
[編集] 沿革
[編集] 前史
[編集] 路線の開設
路線の開設は1948年(49年?)頃である。開設の目的は、大和田、高津新田、長作地区から国鉄駅への足を確保するというものであった。特に、長作地区、高津新田地区はそれまでバス路線が全く無く、鉄道駅に至る路線の需要があった。こうして、大和田駅~成田街道~高津新田~武石~三代王神社~幕張駅というルートで開通した。この時点では八千代台駅が開設されていなかったので、その付近は直進しており、高津入口~高津新田間は高津観音経由で運行していたものと考えられる。また、東習志野~長作入口間は旧道経由(ショートカット、ただし今の旧公民館経由らしい)であり、実籾駅は経由しなかった(のち、実籾駅経由を経由する便が現れ、さらに全便が経由するようになるが、それぞれの時期は不明)。
この路線は成田街道の部分を除き、ほとんどが東洋単独の運行であった。ただし、当時は高津入口~実籾間にあまり家が無かったので、乗客は長作、武石以南に集中していたと思われる。また、終点の幕張駅の停留所は当初、駅の南出入口の目の前にあり、幕張営業所から幕張駅の間に役場前、局前、幕張駅入口(旧千葉街道上、今の幕張駅入口とは違う)の3停留所(それぞれ正確な停留所名が不明)があった。このうち、局前と幕張駅入口は京成(1970年頃に廃止)の海岸線の停留所でもあった。
[編集] 1950年~1970年代
その後、1956年に八千代台駅が開設され、翌57年には京成により新しいバス路線(八千代台線)が開通した。当時の八千代台線は八千代台駅(西口)~高津新田~実籾駅~長作新田~畑~京成千葉駅というルートである。また、大久保線(船橋駅・津田沼駅~大久保方面)も実籾駅経由で八千代台駅まで延長され(延長された時期は1957年~1962年頃)た。こうして、これら京成の2線は東洋の既存路線の中間部分(八千代台駅~東習志野・実籾三丁目)で重複することとなった。なお、京成電鉄が実籾駅付近にバスを走らせたのはこれが最初ではなく、それより少し前の1954年に畑線(船橋駅・津田沼駅~三山入口~実籾駅~長作新田~畑小学校~京成千葉駅)が開通している。
1963年2月1日には日立製作所習志野工場が操業を開始した。東洋バスは同工場への通勤輸送を目的とした幕張駅~実籾駅~日立製作所線線を開通した。一方、京成電鉄も、大久保線のさらなる支線(実籾線と呼ぶこともある)として実籾三叉路(東洋の停留所名は実籾交番前)から西に分岐し、日立製作所(現在の千葉シーサイドバス東習志野六丁目停留所と同じ)および鈴木金属を経由して、東習志野二丁目(現、東習志野八丁目)に至る路線を1963年11月1日に開通した。このように、この頃は、実籾駅~八千代台・東習志野について(高津入口~大和田駅もだが)東洋バスと京成バスが同程度の本数でバスを走らせていた。
1970年頃に京成の船橋営業所が大久保線を抜本的に改変(三山車庫の新設および同停留所発着便の大幅な増加)し、船橋駅・津田沼駅~八千代台駅への乗り入れは取りやめられた(実籾線は続行)。代替路線として、三山車庫~実籾三叉路(実籾交番前)~高津新田~八千代台駅という路線が設けられ、船橋・津田沼・大久保からの乗客は三山車庫で乗り換えることとなった。
結局、この代替路線はほとんど利用者がなく、1980年頃に廃止された。同じ1980年頃に京成はルートの適正化およびワンマン化のために実籾駅の踏切を渡る路線を全廃することとし、実籾線の代替となる千葉三線八千代台発着便(現、東習志野線)として津田沼駅~大久保四丁目~東電前~京成ガード際~花見川団地~八千代台駅を開通した。これにより、京成から日立製作所という名の停留所は無くなったが、東電前停留所がその代替を果たすことになった。それとほぼ同時に、それまで日鉄溶接で折り返していた大久保線を東習志野八丁目経由で八千代台駅西口まで延長した。千葉に向かう八千代台線は全便が千葉幼稚園経由にショートカットされるようになった。
東洋バスの路線はほとんど変わらなかった。幕張側のローカル線である長作町線は安定した乗客数を保ち、八千代台に至る路線は乗客があまり無く、主として実籾以南に収入を頼るようになる。
なお、八千代側のルートについては幾度か変わっており、当初は大和田だったものが、八千代台駅に短縮されたり、グランド経由で大和田に至ったりもした。新川大橋が開通すると、飯盛台、市民会館経由で勝田台駅北口まで直通したこともある。ただし、いずれも運行上の都合であり、八千代台駅をまたいだ利用はほとんど無かったと思われる。
幕張駅南口を起点に路線を開設した東洋バスであったが、昭和40年代になると、総武本線・京成千葉線の踏切や狭隘な南口商店街を通過することが、運行の支障となってきていた。また、新道(現在の国道14号)の開通に伴う交通規制により、駅南側で大幅な迂回を強いられた時期もあった。こうしたことから、東洋バスは幕張発着路線の全てを南口から撤退させることとなり、以後しばらくは駅の北側のみで路線を運行していた。
[編集] 1980年代~
その後、1985年頃に幕張海岸側の埋立地が利用され始められ、京葉線も開通した。京葉線が開通する少し前から、京成電鉄が幕張本郷駅~免許センター(中瀬線、現・新都心幕張線)を開通し、海浜幕張駅の開業後、同駅への乗り入れを果たした。また、千葉海浜交通も本数は少ないものの、幕張駅入口~海浜幕張駅線等を開通した。
一方、幕張駅前に本社があるにも関わらず、東洋バスは当初この地域に乗り入れをしなかった。開かずの踏切があり、バスが定時運行するが難しいと見られた。その後、1991年に長作町~海浜幕張駅間の路線を開設し、6往復運転。武石インター入口から京葉道路に入り、幕張インターまで行ったあと国道14号線に降り、幕張駅側に引き返して、海浜幕張駅に至る。この経路では幕張駅の近傍は通らなくなるため、海浜交通の幕張駅入口に最も近いところにファミールハイツ停留所という独自の停留所を設けた。利用は少なく、迂回経路の京葉道路が大渋滞し、踏切経由に変わることがあった。
その後、1997年、千葉市美浜区打瀬に幕張ベイタウンができた。これにより、平和交通と京成電鉄が海浜幕張駅から、千葉海浜交通が稲毛海岸駅からのアクセス路線を新設したが、東洋バスも幕張駅からのアクセス路線幕張駅入口~ベイタウン循環線を新設した。ターミナルは千葉海浜交通の幕張駅入口を使用。
2001年6月1日のダイヤ改正で長作町~海浜幕張駅線、および幕張駅入口~海浜幕張駅線は平日1往復程度になり、ベイタウン線は廃止された。
[編集] 設立
千葉シーサイドバスが設立されたことで、車庫はゆりのき台から幕張に変更されたが、当初は東洋バスの頃と同じ運行を行っていた。その後、JR総武線における数少ない「開かずの踏切」として残っていた幕張駅西側第二木下街道踏切が、2004年7月28日に県道57号美浜長作町線幕張昆陽地下道に切り替えられたことで、JR幕張駅停留所から同地下道を通り海浜幕張駅まで至る路線が2004年8月5日に開通した。
[編集] 本社、営業所
千葉シーサイドバスの本社および営業所(車庫)は、東洋バスと同じJR幕張駅北口の近く(千葉県千葉市花見川区幕張町)にある。
[編集] 路線
[編集] JR幕張駅~八千代台駅線
東洋バス創業当時の路線の一つであり、幕張駅を発着する本線格の路線で、東洋バスの路線と唯一接続する路線である。
途中で京葉道路の武石インターと交差し、そこから実籾三丁目間の道路が渋滞する状況が長く続いている。さらに、そこから実籾駅付近は道路が狭隘である(このためワンマンの場合中型車でしか運行できない)のに加え踏切があるためにここも渋滞する(現在実籾駅付近の道路は拡幅された)。このため、これらの区間の定時性があまり良くない。また、比較的本数の多かった昔でも1時間に一本と運行頻度はあまり高くなく、実籾駅以北の住民には京成電鉄の本線と千葉線を使う方が利便性が高いと認識されているようである。このため、平成になってから徐々に本数が少なくなり、特に休日はそれが顕著である。
[編集] JR幕張駅~日立製作所線
この線は、八千代台線の途中の実籾交番前から西に分岐し、日立製作所習志野工場に至る路線である。開通日は不明であるが、習志野工場の操業開始は1963年2月であるので、その頃に同工場への通勤を目的として開通したと思われる。実籾駅との連絡も当然あるが、八千代台線と同様に幕張までつながっていることに意義があったようである。開通当時の状況は不明であるが、少なくとも1979年以降は朝夕のみの運行であり、現在もそれは変わっていない。今はJR幕張駅発着便だけであるが、一時期は実籾駅折返便が設けられたこともある。
この線の独自区間について言えば、実籾駅から歩いたとしても特段の不自由がないことや、京成の東習志野線で津田沼駅にも出られることから、昼間に運行する必要はないということらしい。また、ラッシュ時もそれほどの利用者がいない。そのようなことから、八千代台線と同時にこの線も減便が勧められており、1999年11月16日の改正で気軽に乗車することが困難になっている。
[編集] JR幕張駅~花島公園線
花島公園線は全線花見川区内を走る。15~40分おきに走っており、千葉シーサイドバスの主力路線となっている。この線の原型である長作町線の開通時期は、長作小学校の記念誌によると1967年となっている。開通の背景には、弥生ヶ丘住宅地(現在の長作台)の入居が進み、ここから最寄の国鉄駅に至る路線の需要が生じたことがある。
独自区間の一部である長作入口~長作小学校間は道が非常に狭い上に坂が多く、すでに昭和50年代から中型車の使用を余儀なくされている。なお、この区間は創業路線(幕張駅~大和田駅)当時のルートの一部だったとの調査結果もある。また、長作町付近では県道船橋長沼線を走る。この区間はかつて京成バスの主幹ルートの一部であったが、今では京成の路線が全く無くなってしまい、東習志野とは逆に東洋が独占する結果となった。なお、その後、JR幕張駅~海浜幕張駅線の開通に伴い、同線と直通し長作町~JR幕張駅~海浜幕張駅という運行をするものが多くなった。
2006年7月1日より長作町より先、花島公園まで延長された。当初、延長運行するのは日中のみで、平日、休日とも数本のみにとどまっていたが、2007年7月1日に抜本的なダイヤ改正があり、ほとんどの便が花島公園に至るようになった。これとともに、花見川団地内を中心に停留所が増設され、早朝深夜に前記の狭隘道路区間を避けるルートの橋戸経由便が新設されている。
[編集] 幕張駅入口~海浜幕張駅線(放送大学前経由)
この線の大部分の区間であるファミールハイツ~海浜幕張駅間は、1991年に開通した長作町~(京葉道路)~放送大学~海浜幕張駅線としての一部である。その6年後の1997年に幕張ベイタウンができた際に、当時千葉海浜交通のバス停であった幕張駅入口を始発としベイタウンとを結ぶベイタウン線(東洋)を新設した。その際に、この2路線の免許区間をつなげて海浜幕張駅に向かう便も幕張駅入口始発として設けたのがこの線である。この線ができる前から幕張駅入口~海浜幕張駅間には千葉海浜交通が幕張線として路線を走らせていたが、これは幕張総合高校の通学路線のおまけのような路線で、時間帯が偏っている上に、学休日運休でもあった。東洋の路線は海浜と全く同じ区間を走っていたが、一応均等間隔(と言っても本数は少ない)で走り、利便性も高まった。
しかし、幕張駅入口停留所がJR駅から数百メートルも離れており、利用者は全く定着しなかった。わずか4年後の2001年にベイタウン線は廃止され、海浜幕張駅を発着する2路線も大幅に減便となった。その後、2004年8月にJR幕張駅停留所からイトーヨーカドー経由で海浜幕張駅に路線が新設されたことにより、この路線は存在意義を完全に失い、2004年12月のダイヤでは平日のみ海浜幕張駅→幕張駅入口に一本のみ設けられている。
[編集] JR幕張駅~マリンスタジアム線(イトーヨーカドー経由)
総武線における数少ない「開かずの踏切」として残っていた幕張駅西側第二木下街道踏切が、2004年7月28日に県道57号美浜長作町線幕張昆陽地下道に切り替えられたことをきっかけに、JR幕張駅停留所から同地下道を通り海浜幕張駅まで至る路線として、2004年8月5日に開通したものである。多くの便がJR幕張駅より先、長作町または八千代台駅に至る(JR幕張駅~三代王神社間は重複)。当初は30分間隔で運行していたが、2004年12月1日のダイヤ改正で早くも増便され、八千代台駅との直通便も増えている。また、この路線内では割引率の高い特別定期券を扱い、新規客の獲得に努めている。幕張駅北部から海浜幕張駅に行ける他、イトーヨーカドーに行けることも新たなメリットとして挙げられそうである。
道路の構造上、JR幕張駅停留所(本社前)と幕張昆陽地下道は、目と鼻の先にも関わらず短絡的に行くことができず、三代王神社まで迂回しなければならない。それでも、JR線からすぐそばの停留所にて乗れるメリットは大きいと考えられる。なお、京成幕張駅との連絡には幕張四丁目バス停がある。
2007年7月1日の改正より、日中の便が海浜幕張駅を越えてマリンスタジアムまで延長運行されるようになった。これはJR幕張駅を挟んでの直通便も同様である。但し 年末年始のマリンスタジアム行は、海浜幕張駅~マリンスタジアム間で部分運休になる。
[編集] 幕張本郷駅~海浜幕張駅・JR幕張駅線
2006年7月1日より運行を開始した路線で、路線の北側では千葉街道の旧道を走る。幕張本郷駅~海浜幕張駅間は、平和交通も同一ルートで路線を有している。
従来のシーサイドバスのイメージを一新するような、海岸のイラストが描かれた青い新塗装車が運用に当てられている。この車両は大型車で、ワンステップ車・ノンステップ車のいずれかが使われる。幕張本郷駅~海浜幕張駅を結ぶ路線としては、他に京成バスの新都心幕張線があるが、同線に比べ運賃が低く抑えられており、この車体には側面上部に「幕張本郷駅-イトーヨーカドー経由160円-海浜幕張駅」と大きく表記してこれをPRしている。
[編集] 外部リンク
- 東洋バス(千葉シーサイドバスも共用)