北海道道1号小樽定山渓線
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北海道道1号 小樽定山渓線(ほっかいどうどう1ごう おたるじょうざんけいせん)は、北海道後志支庁小樽市東部の朝里と、石狩支庁札幌市の定山渓温泉を結ぶ主要道道である。札幌市域は札幌市管理路線である。「定山渓レークライン」「ゆらぎ街道」の愛称がある。
小樽と札幌を結ぶ道路としてよりも、むしろ観光路線としての性格が強い。小樽市側には朝里川と朝里川温泉があり、朝里川の途中には朝里ダム・オタルナイ湖がある。札幌市側には小樽内川と定山渓ダムがつくるさっぽろ湖があり、朝里峠付近に札幌国際スキー場がある。定山渓温泉は札幌の近くで最大の温泉地である。
目次 |
[編集] 路線データ
- 重複区間: 小樽市新光2丁目-小樽市新光4丁目(北海道道956号小樽環状線)
- 冬季間(11月~4月)は、朝里ダム~札幌国際スキー場間が19時~翌朝8時の間、通行止めとなる。
[編集] 通過市町村
[編集] 主な接続道路
- 小樽市
- 国道5号=新光2丁目(起点)
- 札樽自動車道朝里インターチェンジ=新光4丁目
- 北海道道956号小樽環状線=新光4丁目(重複)
- 札幌市南区
- 北海道道95号京極定山渓線=定山渓(白井トンネル下)
- 国道230号=定山渓温泉東2丁目(終点)
[編集] 主なトンネル・橋梁
- 文治橋(朝里川)=小樽市新光5丁目-小樽市朝里川温泉1丁目
- 朝里川橋(朝里川)=小樽市朝里川温泉1丁目-小樽市朝里川温泉2丁目
- 豊倉橋(朝里川)=小樽市朝里川温泉2丁目-小樽市朝里川温泉1丁目
- 朝里大橋(朝里川)=小樽市朝里川温泉1丁目-小樽市朝里川温泉2丁目(朝里ダム下のループ橋)
- 朝里峠トンネル(朝里峠)=小樽市朝里川温泉1丁目-札幌市南区定山渓
- 小樽内川とその支流にかかる橋、約12=札幌市南区定山渓
- 四ッ峰トンネル=札幌市南区定山渓
- 滝の沢大橋(滝の沢川=さっぽろ湖に注ぐ)=札幌市南区定山渓
- 湖水大橋(さっぽろ湖に注ぐ川)=札幌市南区定山渓
- 烏帽子トンネル=札幌市南区定山渓
- 小天狗トンネル=札幌市南区定山渓
- 木挽大橋(コビキ沢川=さっぽろ湖に注ぐ)=札幌市南区定山渓
- 時雨トンネル=札幌市南区定山渓
- 定山渓ダム(さっぽろ湖、小樽内川)=札幌市南区定山渓
- 白井トンネル=札幌市南区定山渓
- 朝日高架橋(北海道道95号京極定山渓線)=札幌市南区定山渓
- 朝日橋(白井川=豊平川支流)=札幌市南区定山渓
- 定山渓大橋(豊平川)=札幌市南区定山渓西2丁目-札幌市南区定山渓東2丁目
[編集] 歴史
1930年(昭和5年)に地崎晴次が創立した小樽定山渓自動車道株式会社が定山渓に向かう観光用有料道路として計画し、1932年(昭和7年)に朝里から定山渓までを開通した。定山渓にある岩戸観音堂は、この工事の死者の霊を弔うために1936年(昭和11年)に造られたものである。建設にあたったのは晴次の父、地崎宇三郎が経営する地崎組(後の地崎工業)だったが、息子側から代金が支払われなかったため、小樽定山渓自動車道の全株を取得して傘下に入れた。宇三郎の死後、晴次が宇三郎の名と会社を継いで道路経営をも継承した。
経営は順調だったが、戦時中の1941年(昭和16年)に運行を停止し、荒廃が進んだ。1951年(昭和26年)、三代目地崎宇三郎(地崎九一)はこの道路を小樽市と豊平町に寄付した。修理の後、1954年に全線が開通して北海道に移管された(同年3月1日)。移管当初は道道3号であった。道道1号になったのは、1994年10月1日のことである。
定山渓ダムの建設により、さっぽろ湖に水没する道のかわりに、新しい道が4つのトンネルと3つの橋を伴って湖畔に建設された。定山渓レークラインとはこれにちなんで付けられた愛称である。このとき、ダムの位置から小樽内川沿いに下る道へは高度差が著しくなったため市道に移し、代わって白井トンネル経由で西に迂回する道を建設して道道にした。また、朝里ダム建設の際には、ダムの下に朝里大橋というループ橋が建設された。
1999年4月21日、朝里峠トンネルをはじめとする新ルートが開通し、冬季通行が可能になった(ただし夜間通行不可)。このときゆらぎ街道の通称も付けられた。
2007年4月、土砂崩れにより朝里峠付近が塞がり、通行止めとなった。仮設の道路を建設し、同年6月29日片側交互通行で開通。しかしながら、完全復旧は未定。