北条時氏
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時代 | 鎌倉時代前期 | |||
生誕 | 建仁3年(1203年) | |||
死没 | 寛喜2年6月18日(1230年7月29日) | |||
別名 | 武蔵太郎(通称) | |||
戒名 | 月輪寺禅阿 | |||
幕府 | 鎌倉幕府六波羅探題北方・若狭守護 | |||
官位 | 修理亮 | |||
氏族 | 北条氏(桓武平氏) | |||
父母 | 父:北条泰時、母:三浦義村の娘 | |||
兄弟 | 北条時氏、北条時実 | |||
妻 | 正室:安達景盛の娘・松下禅尼 | |||
子 | 北条経時、北条時頼、北条時定 檜皮姫(藤原頼嗣正室) |
北条 時氏(ほうじょう ときうじ)は、鎌倉時代の武将。鎌倉幕府3代執権・北条泰時の長男で世子だったが早世した。
建仁3年(1203年)、北条泰時(後の第3代執権)の長男として生まれる。
承久3年(1221年)の承久の乱では、父・泰時とともに従軍する。貞応3年(1224年)、父が第3代執権として鎌倉に戻ったため、六波羅探題北方に任じられて京都に赴任する。
嘉禄3年(1227年)4月に修理亮に任官し、大治3年(1228年)には若狭国の守護となり、第4代執権となることを期待されていたが、寛喜2年(1230年)3月に病のため鎌倉へ戻り、6月18日に父に先立って死去。享年28。
第4代執権には時氏の長男・経時が就任した。
[編集] 官職位階履歴
※日付=旧暦