出版取次
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出版取次(しゅっぱんとりつぎ)とは、出版とその関連業界で、出版社と書店の間をつなぐ流通業者を指す言葉。単に取次とも。
取次と書店との関係は卸売問屋と小売店の関係に当たるが、返品を前提とした委託販売制度により、書店が在庫管理を考えなくて済むのが大きな違いである。その代り、客からすれば、すぐに棚の中身が入れ替わる不便を強いられる。
近年は漫画や雑誌のような大量に配本するように最適化されたシステムに、書籍の流通が乗っていることが出版不況の元凶があるとして、大手取次がやり玉に挙げられることが多い。
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[編集] 機能
出版流通は取次主導型の体制となっており、取次が担っている機能は多岐に渡る。
- 取引総数最小化
- 出版社は数千社、書店は2万社前後存在するので双方が個別に取引を行うのは手間がかかりすぎ現実的でない。間に取次を介することで取引相手数を減らすことができる。
- 集荷分散
- 物流機能
- 返品処理
- 委託販売制により発生する返本を処理する。
- 商品管理
- 代金回収
- 金融
- 書店への代金回収の繰り延べや出版社への委託販売代金の見込払いなど、実質的な金融機能を持つ。
- 需給調節
- 品揃え
- 小規模書店でも取次を介することで多数の出版社からの配本を受けられ、品揃えを豊冨にできる。
- コンサルティング
- 情報サービス
- POSシステムや書誌情報サービス等を提供している。
[編集] 歴史
明治の初めは出版社や書店が取次を兼業していたが、雑誌販売の増加に伴って専業取次が現われる。 大正時代には雑誌・書籍を取り扱う大取次、書籍を地方まで運ぶ中取次、市内の書店を小刻みに取り次ぐ小取次やせどりやなどへと分化しており、その数も全国で300社余りもあった。 1941年、戦時統制の一環として全国の取次が強制的に解散させられ、日本出版配給(日配)に統合されてしまい、この時点でそれまでの取次はほとんど消滅した。戦後の1949年に日配は解体され、現在も続く取次会社の多くがこの頃に創業している。
取引形態は当初は買い切り、値引き販売が基本だったが、
- 1909年 - 実業之日本社が雑誌の返品制(委託販売制)を初めて採用して成功を収め、以後他社も追随して雑誌の返品制が確立する。
- 1919年 - 東京書籍商組合が定価販売制を導入。
- 1926年 - 円本時代始まる。書籍の大量流通が始まって雑誌流通と一体化、書籍の返品制が始まる。
- 1953年 - 再販制度制定。
という流れを経て、書籍・雑誌流通の一体化、返品制、定価販売制という現在の方式に移行している。この方式は大量生産、大量流通を可能にした。 これ以後、日本の経済発展に合わせて出版も規模を拡大、取次も成長していく。
ところが定価販売制の元では価格競争が起こらず、流通システムの効率化がなかなか進まなかった。その結果が書店の過剰出店や返品の増加となって現われ、近年の出版不況とあいまって、書店や出版社だけでなく取次をも苦しめている。
こうした状況を打破するための取り組みも行われている。1990年には須坂共同倉庫構想(須坂ジャパンブックセンター計画)が持ちあがり、2005年には日販ほか取次数社による出版共同流通やトーハンの桶川計画が始まっている。
[編集] 主な出版取次会社
日本の取次会社数は100社あまりと推定されているが、業界団体である日本出版取次協会の加盟会社数は2004年現在33社である。 このうち2社でシェア 70% 以上を占めるといわれるトーハンと日販が二大取次と呼ばれる。また、神田に中小取次が集中しているが、これを通称神田村という。
また新聞、特にスポーツ新聞の即売(俗に言う「スタンド売り」「駅売り」。「宅配」の対義語)流通から発祥し、私鉄駅売店やコンビニエンスストアなどいわゆる書店以外への新聞・雑誌・書籍流通を主とする取次会社は特に即売と呼ばれる。首都圏においては主要4社(たきやま、東都春陽堂、東京即売、啓徳社)が寡占しており、「即売4社」「4即」とまとめて呼称される場合もある。なおJR駅関連売店への流通は鉄道弘済会が独占的に担っている。
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- 荒木國臣 「デジタル情報ネットワーク戦略と産業構造の変容」 東海デジタルアーカイブ研究センター、2000年。