八五郎出世
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八五郎出世(はちごろうしゅっせ)は古典落語の演目の一つ。
別題は『妾馬』(めかうま)。主な演者として、5代目古今亭志ん生や3代目古今亭志ん朝、10代目金原亭馬生、上方では桂文太などがいる。
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[編集] あらすじ
- 発端は省かれることもあり、その場合はハチ公と大家の会話でこれまでの出来事を説明する。
[編集] 発端
とある長屋の前を、大勢の家来を連れた一丁の駕籠が通りかかる。
駕籠に乗っているのは、丸の内に屋敷を構える赤井御門守という大名だ。
この大名が、たまたま町娘が味噌漉を下げて、路地裏に入っていくのを駕籠の中から認め…惚れた。
実は、御門守には子供がく、このまま行くと家が絶えてしまう為、いっその事、『側室』でも持てば―と家来一同が考えていたところ。
しかし、御門守はいたって固い人柄で、側室など不埒な了見と考え、妻以外の女性を一切寄せ付けなかったため、家来衆は頭を抱えていたのだ。
これで当家は大丈夫。喜んだご家来は、早速長屋に飛び込んで大家に話をつけた。
話を聞くと、娘の名は『お鶴』といい、当年とって十七歳。母親と、兄の八五郎の三人暮らしだという。
大家は名誉なことだと喜び、「お鶴は美人の上利口者だから、何とか話をまとめて出世させてやろう」と、すぐに八五郎の長屋へ。
出てきた母親に、お鶴の一件を話して聞かせると、その喜ぶこと喜ばないこと。
「あの子は体が弱くてねぇ、小さい頃は、あちこちのお寺にお参りした物なんですよ。象頭山の金比羅様、成田山新勝寺、妙見様へ願かけて~♪」
歌いだすぐらいに喜んだ。
兄の八五郎のほうも、お屋敷奉公が決まれば百両は支度金が頂けると聞き、びっくり仰天。
スツタモンダで二百両もらい、お鶴はめでたくお屋敷へ。殿さまのお手がついて間もなく懐妊し、月満ちてお世継ぎを出産した。
こうなると、お鶴はにわかに『お鶴の方さま』と呼ばれる大出世!
[編集] 八五郎、お屋敷へ
『お鶴の方さま』のお願いで、八五郎が屋敷に呼ばれることになった。
大家が迎えに来るが、肝心の八五郎は行方不明に…。
持ちつけない大金を持ったので、あちこちで遊び散らし、結局スッカラカン。面目ないと長屋にも帰れず、友達連中の家を泊まり歩いていたのだ。
大家は、八五郎をやっとの事で見つけ出し、着物も全て貸し与え、御前へ出たら言葉をていねいにしろとアドバイスをした。
「何でも頭へ『お』の字をつけ、尻に『たてまつる』をつければそれらしくなるぞ。しっかりやって来い!」
さて、いよいよご対面。
ガチガチの八五郎に対し、側用人の三太夫が「どたまを下げい」だの「しっしっ」だのと煩い。
しばらくたって、殿様がお鶴を伴って現れた。
「アヒャー。前がキンキラキンでよく見えないよ…」
唖然とする八五郎に、殿様が声をかける。
「鶴の兄八五郎とはその方か」
八五郎、ガチガチで声も出ない。
「これ、即答をぶて」
八五郎、これを「そっぽをぶて」と聞き違え、いきなり三太夫のおつむをポカリ…!!
[編集] 八五郎出世
「えー、おコンチハで奉りまして…。お私はお八五郎さまで、このたびは妹がゴニャンシご誕生だそうで、お八五郎様お驚き奉りました。恐惶謹厳、この辺で勘弁して奉れ」
大家に言われたとおりに挨拶してみるが、緊張もあいまってとんでもないものになってしまった。
殿さま、八五郎のチンプンカンプンな向上を気に入ったのか、
「今日は無礼講であるから、遠慮のう朋友に申すごとく申せ」
ざっくばらんにやっていいと聞いて、安心した八五郎、今度は調子に乗ってやりたい放題。
「まっぴらごめんねえ!」
いきなり大あぐらをかいて、三太夫を『三ちゃん』と呼んだり。お女中を捕まえて『お婆さん』。
カリカリする三太夫に対し、殿さまは一向気に掛けず酒を勧める。
したたかに寄った八五郎は、【身分の違い】について切々と語りだした。
「お袋が言ってたんすよ。自分の孫を抱いてみたいけど、なかなかそうはいかないって…」
ちょっと脇を見た八五郎の目に…お鶴の姿が飛び込んでくる。
「おめえがそう立派になってくれたって聞けば、婆さん、喜んで泣きゃあがるだろう。殿さましくじんなよ」
感極まって、とうとう泣き出してしまった。
「すいませんね。こいつは気立てがやさしいいい女です…。末永くかわいがってやっておくんなさい」
しんみり。最後に、景気直しだと都々逸をう唸りだして。
「この酒を止めちゃいやだよ酔わしておくれ、『素面じゃ言えない事もある~♪』。どうでぇ殿公!?」
三太夫がびっくりして「これっ、ひかえろ!」。
この事がきっかけで、八五郎は侍に取り立てられ、名も【石垣杢蔵源蟹成】となった。
まさに、『鶴の一声』…といった一席、本日はこれまで。
[編集] 概要
この噺にはまだ続きがあるが、全部演じると一時間以上もかかる上、【後半部分】は『いかにも付け足し』といった感じが強いため省かれることが多い。
本来、この噺のタイトルは「妾馬」であるが、以上の事情により、あえて別題である「八五郎出世」として本稿は記述した。
眼目は大詰めで、べろべろになった八の長台詞のうちにその場の光景、その場にいない母親の姿などをありあり浮かび上がらせる腕が演者には求められる。
[編集] 圓生の「八五郎出世」
六代目三遊亭圓生は、この演目で、「古典落語は単に笑わすのじゃなくて泣かすことも大事なのだ。」ということを悟り、新しい芸の境地を開拓したと述懐している。終戦後、満洲から帰国した圓生は落語研究会でこの噺を演じて絶賛を博しえそれまで勝つことのできなかった春風亭柳橋を打ち負かした。ここに「昭和の名人」への第一歩が始まったという。
[編集] 女の出世
女氏なくして玉の輿に乗る
昔は、大名の正室に子供ができないと、『お家断絶』となってしまうため側室という物をおいていた。
じゃあ、男のほうはどうだったのだろうか?
男意気地なくして餡やオコシを売る
やはり、女性が器量に応じて出世する風潮は、今も昔も変わらなかったようだ。
[編集] おっ奉れ!?
職人がていねいな言葉遣いを強要され、『おっ奉る』を連発するギャグは「そこつの使者」や「松曳き」でも登場する。
ただ、基本形は同じでも、それぞれの噺で状況は異なっているのだ。
この「八五郎出世」では『後で地が出てなれなれしくなる対照のおかしさ』を、「松曳き」では『殿様の前でひたすらかしこまるおかしみ』のおかしさを前面に押し出している。
それぞれ細部は違い、演者の工夫もあって、同じギャグを用いても、まったく陳腐さを感じさせないところが、落語のすぐれた点だろう。
一方、それに対する殿様の上っ調子な言葉遣いは、庶民の『上の方』に対する空想の産物であり、実際のところは事実無根だ。
八五郎が勘違いするようなおかしな言葉遣いは、そんなあたりに由来している。
[編集] トリビア
4代目柳家小さんの聞き書きによると、「八五郎出世」は昔、『御座り奉る』という名題で、歌舞伎で上演されたことがあるそうだ。
ただし、あんまり評判はよくなかったようで…。
「道具立てがどっさりで、落語から芝居にしたものは、妙にみんな面白くありませんな」(安藤鶴夫談)