八九式重擲弾筒
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八九式重擲弾筒(はちじゅうきゅうしきじゅうてきだんとう)は、旧日本陸軍が第二次世界大戦当時、迫撃砲として使用した兵器。
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[編集] 要目
- 全長:610mm
- 本体重量:4.7kg
- 口径:50mm
- 最大射程:八九式高性能弾700m
- 最大射程:九一式手榴弾200m
- 爆発半径:10m
- 炸薬量:手榴弾約2個分
- 1個小隊に1門。そのうち3名で18発(計54発)が定数。
[編集] 概要
八九式重擲弾筒は、発射筒と根元の細い支柱、その先の台座からなる。湾曲した台座を地面に当てて立て、目分量で角度を調整した後、支柱に沿った引き金を使って擲弾を発射する。この際、膝や足で地面にある台座を踏み、ずれないようにした。また、必要に応じて水平発射も可能であった。
戦闘時、これを捕獲したアメリカ兵は、湾曲した台座が太股にぴったり合ったことから、同兵器をニー・モーターと呼び、一部はその湾曲した台座をひざの上に乗せて発射するものと勘違いした。実際に太股に宛がって発射したために、反動で大腿骨を骨折する者がいたという。但し、日本軍の兵士が移動時に足にくくりつけていたのを見てのネーミングであるという異説もある。骨折の件も、『「そういった使い方をして大けがをした奴がいる」という架空の話を作り、鹵獲兵器で無用の怪我をする兵士を出さないようにした』という異説がある。
[編集] 運用と評価
同兵器は45度の角度で立てた場合に800gの擲弾を最大で670m、後に開発された有翼弾では800m飛ばす事ができる。この運用性の高さと威力の大きさ(有効半径10m)もあって、その上破裂音が野砲並みに大きいので米軍に大いに恐れられた。その弾薬は専用の物で、歩兵中隊~小隊に平均で2~3本が配備され、発射時には2人1組で各々が装填と調節・発射を担当、運搬では3人1組で各々が榴弾を8~18発(約6.4~14.4kg)ずつ専用の布製袋に入れ、担いで運搬した。
ただ日本軍歩兵からは同兵器は本体重量もさる事ながら弾薬までもが重く、おまけに目分量で熟練を要する事から命中精度が低い上に一撃必殺と言う程までには強力ではなかったこと、(この擲弾筒を百発百中で目標に命中させる神業的技量を持った兵士がたくさんいたことには驚きである)また故障も多く、筒内破裂、筒の中が暗いので装填されていることがわからず誤って二重装填をして発射し破裂などの事故も年に数件という単位で起こしたことに加えて、「(幾ら安全ピンがついているとは言え)重たい爆弾を抱えて戦場を歩き回る」という事もあって、これを扱う兵科は嫌われた模様である。
しかし米軍側は、熟練した擲弾兵に何度も遮蔽物越しや水平発射で擲弾を打ち込まれて散々悩まされた事からこの兵器を高く評価したといわれている[要出典]。これを受けて第二次大戦以降にM79 グレネードランチャー等を採用、ベトナム戦争でも多く使用するようになったとの説もある[要出典]。
ただし、この米軍の評価については日本で広く喧伝されているものの、全く根拠はないとの指摘がされている[要出典]。M79の登場時期は第二次世界大戦が終わったはるかに後であり、発射原理も重擲弾筒と異なりドイツの高低圧理論応用により反動を抑え肩撃ちできるもので、アメリカが影響を受けたというのは無理がある。また兵器としても一方は曲射弾道の小型迫撃砲、一方は直接照準の擲弾銃(小銃擲弾の代替)であり全くカテゴリーの違う兵器である。また重擲弾筒に相当する小型迫撃砲は日本固有のものではなく各国で以前使用されていた事から考えても無理がある。おそらくは「擲弾(グレネード)」といういくぶん曖昧な用語のせいで日本でのみ広がった伝説だと思われる。
ただし、手榴弾を投擲する兵器という意味においては、迫撃砲とは異なり、グレネードランチャーと同じである。戦中に日本軍からこれを捕獲した八路軍は、水平撃ちを多用して日本軍を苦しめた。この八路軍の使用方法は、結果的にグレネードランチャーに近いものである。