保守新党
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保守新党(ほしゅしんとう、2002年12月26日 - 2003年11月21日)は、平成期における日本の保守政党。英文名称は"New Conservative Party"(NCP)。
本項目では、本政党結成の歴史的経緯から、事実上の前身である保守党(ほしゅとう、2000年4月1日 - 2002年12月25日、英文名称は保守新党に同じ)についても説明する。
- 2000年4月 - 自由党から分裂・離党者により保守党結成。
- 2002年12月 - 民主党からの離党者と保守党党員の一部が合流し保守新党結成。保守党は解党し、このとき保守新党に合流しなかった保守党党員は「保守クラブ」を結成後自由民主党に合流した。
- 2003年11月 - 衆議院総選挙で大敗を喫したことにより解散、自由民主党に合流。
目次 |
[編集] 概要(保守党)
2000年3月、自自公連立政権からの離脱に傾く自由党党首の小沢一郎グループに対し、連立継続を望む海部俊樹最高顧問、野田毅前幹事長、二階俊博運輸大臣、中西啓介選対委員長らを中心としたグループが新党を結成した。この時、自民党の野中広務らが自由党の中間派議員に選挙協力などで説得した結果、参加者は自由党所属国会議員(50名)の過半数に達する26名となった。保守党は過半数の参加を基に自由党へ分党要求をしたものの一貫して拒否されたため、やむなく離党による新党結成という手続きをとり、政党助成金は同年6月の総選挙後まで交付されなかった。
初代党首は当初、野田が有力視されていたが幹事長を希望、海部も固辞。選挙の顔として元女優で当時参議院議員の扇千景が就任した。しかし総選挙ではわずか7議席に留まり、一方小沢率いる自由党は4議席増の22議席を獲得した。
翌年の第19回参議院議員通常選挙では、改選数2に対して当選者が扇一人に留まったために責任論が噴出して、野田と党首を交代する事になった。だが、実際に保守党が獲得した票の過半数が「保守党」という政党に対して投じられた票ではなく、「扇千景」個人に投じられた票であったため、扇がいなければ獲得議席がゼロであった可能性もあった。
保守とホスピタルを掛けた「ホシュピタル」というCMが放映された(ナースに扮した扇が出演した)。
[編集] 概要(保守新党)
[編集] 熊谷の合流
民主党の熊谷弘らの参加を受け入れるために、2002年12月に保守新党を新たに結成した。
これは公職選挙法上、比例代表選出の議員は議員辞職してからでないと別の政党に入党できないのだが、熊谷と一緒に民主党を離党した山谷えり子がそれに該当した。そこで保守党の解党と新党の結成とを行うことで、実質的に保守党への合流を実現できる法律の抜け道を利用したものである。民主党から加わったのは、熊谷弘、山谷えり子、佐藤敬夫、金子善次郎、江崎洋一郎ら衆議院議員5名であった。しかし、一度解党という手続きをしたため、2001年参院選の得票に基づく政党助成金がなくなり、議員数のみによる政党助成金しか受け取れなかった。
なお、同時期に、党首・野田は自由民主党への単独復党を交渉しており、新党結成の直前にこのことが発覚して党内は混乱した。 野田らは保守クラブを結成して分かれてから、すぐに自民党に合流した。
結果として、保守新党は結成時点で、衆議院議員9名・参議院議員4名になり、保守新党の初代代表には熊谷が選ばれた。
[編集] 解党
その後は保守新党に対する民主党からの合流はなく、党に対する支持も伸びなかった。2003年11月の総選挙で代表・熊谷、国会対策委員長・佐藤ら党幹部議員が落選し、衆議院議員が4名に減った。 自民党側からの誘いもあって、投票日の翌10日に、自由民主党へ合流する旨の声明を発表。結成からわずか11か月と11日間の同月21日に合流・解党し、所属していた議員は自民党内で、元幹事長・二階俊博を中心とした派閥「新しい波」(二階グループ)を結成した。
[編集] 党の綱領と政策
2002年12月25日の綱領で、保守新党は「日本の再生を目指し、人間のあり方、社会のあり方の基本として家族の絆や地域社会において共に支えあうというつながりを大切にし、思いやりと自立心をもった活力ある国づくりを目指す」とした。
国内政策では、自己責任を重視し、「結果の平等」より「機会の平等」を優先した。具体的には地方分権、環境保全、バリアフリーと社会保障、食糧自給率向上、都市と農村の交流、教育基本法の改正といった項目を綱領に掲げた。
外交面では、世界の安全と平和のために積極的に貢献する外交を掲げた。具体的には、日米安全保障条約を重視し、集団的自衛権の行使を前提にした外交安全保障政策の策定に意欲を見せた。そのために、有事法制の整備を推進し、防衛庁を省に格上げし、できる限り早く憲法を改正したいとした。
[編集] 党史
[編集] 保守党
- 2000年
- 4月1日 自由党から分裂して保守党結成、初代党首に扇千景が就任。
- 6月25日 第42回衆議院議員総選挙で7議席を獲得。
- 2001年
- 7月29日 第19回参議院議員通常選挙で1議席を獲得。
- 9月 2代党首に野田毅が就任。
[編集] 保守新党
[編集] 保守党、保守新党歴代常任幹事会・執行部役員表
[編集] 保守党
常任幹事会 党首 |
常任幹事会 幹事長 |
総務会長 | 政務調査会長 | 国会対策 委員長 |
参議院 議員会長 |
最高顧問 |
---|---|---|---|---|---|---|
扇千景 | 野田毅 | 加藤六月 | 井上喜一 | 岡島正之 | 扇千景 | 海部俊樹 |
〃 | 〃 | (廃止) | 〃 | 二階俊博 | 〃 | 〃 |
野田毅 | 二階俊博 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 |
[編集] 保守新党
常任幹事会 代表 |
常任幹事会 幹事長 |
政務調査会長 | 国会対策委員長 | 参議院 議員会長 |
最高顧問 |
---|---|---|---|---|---|
熊谷弘 | 二階俊博 | 井上喜一 | 佐藤敬夫 | 扇千景 | 海部俊樹 |
〃 | 〃 | 西川太一郎 | 〃 | 〃 | 〃 |
〃 | 〃 | 〃 |
[編集] 保守党・保守新党の政権ポスト
()内は入閣直前の党役職
2000年4月5日・第1次森内閣 (国務大臣) 運輸大臣兼北海道開発庁長官・二階俊博 (政務次官) 外務政務次官・江崎鐡磨 防衛政務次官・西川太一郎 経済企画政務次官・小池百合子 2000年7月4日・第2次森内閣 (国務大臣) 建設大臣兼国土庁長官・林寛子(扇千景)(党常任幹事会党首兼参議院議員会長) (政務次官) 運輸総括政務次官兼北海道開発総括政務次官・泉信也 2001年1月6日・第2次森改造内閣(中央省庁再編後) (国務大臣) 国土交通大臣・林寛子(扇千景)(党常任幹事会党首兼参議院議員会長) (副大臣) 国土交通副大臣・泉信也 (政務官) 経済産業大臣政務官・西川太一郎 2001年4月26日・第1次小泉内閣 (国務大臣) 国土交通大臣・林寛子(扇千景)(参議院議員会長) (副大臣) 国土交通副大臣・泉信也 - 月原茂皓【2002年1月8日】 (政務官) 外務大臣政務官・松浪健四郎【2002年1月8日】 経済産業大臣政務官・西川太一郎 2002年9月30日・第1次小泉第1次改造内閣 (副大臣) 経済産業副大臣・西川太一郎 (政務官) 国土交通大臣政務官・鶴保庸介 2003年9月22日・第1次小泉第2次改造内閣 (国務大臣) 内閣府特命担当大臣・井上喜一(党政務調査会長) (副大臣) 経済産業副大臣・泉信也 (政務官) 国土交通大臣政務官・鶴保庸介
[編集] 党勢の推移
[編集] 衆議院
選挙 | 当選/候補者 | 定数 | 備考 |
---|---|---|---|
(結党時) | 21/- | 500 | 自民党へ移籍-3 |
第42回総選挙 | ●7/19 | 480 | |
第43回総選挙 | ●4/11 | 480 |
[編集] 参議院
選挙 | 当選/候補者 | 非改選 | 定数 | 備考 |
---|---|---|---|---|
(結党時) | 6/- | - | 252 | |
第19回通常選挙 | ●1/5 | 4 | 247 | (自民党111と統一会派) |
(参考文献:石川真澄(一部山口二郎による加筆)『戦後政治史』2004年8月、岩波書店・岩波新書、ISBN 4-00-430904-2)
- 当選者に追加公認は含まず。追加公認には会派に加わった無所属を含む。
- 『戦後政治史』にない追加公認は2 国会議員会派別議員数の推移(召集日ベース)(衆議院)、(2) 参議院(2002年まで)(2) 参議院(2004年まで)にある、選挙直後の国会召集日の会派所属者数から判断した。
- 第19回参議院通常選挙までは「保守党」、第43回衆議院総選挙は「保守新党」の実績。
[編集] 保守党・保守新党議員一覧
[編集] 保守党結党メンバー
衆議院議員
参議院議員
[編集] 保守新党
民主党から移籍
衆議院議員