佐伯孚治
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佐伯 孚治(さえき たかはる、1927年12月15日 - )は、主に特撮テレビドラマ作品の映画監督・演出家。東京都本郷区西片町(現在の文京区)出身。
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[編集] プロフィール
- 開成中学校から第四高等学校を経て、東京大学文学部仏文科卒業後、1954年東映入社。入社後、東映東京撮影所の助監督として田坂具隆に師事し、1964年『どろ犬』より初監督としてデビューされた。しかし1965年に組合問題となったため、労働争議に参加していた佐伯はテレビドラマ製作専門の別会社東映東京制作所に異動された。その後、数人のスタッフとともに「目黒PR分室」に配属となり、実質上現場で仕事が出来ない状態になっていた。
- 1966年、この佐伯の状況を心配した同期の脚本家・鈴木尚之の計らいもあって『渥美清の泣いてたまるか』(製作:国際放映)の監督を務め、これより一般ドラマの作品に携わるようになる。しばらく東映以外での仕事が続いたが、1968年に『怪盗ラレロ』で東映に復帰。その後『好き! すき!! 魔女先生』『刑事くん』『帰ってきたウルトラマン』などの子供向け作品を手がける。帰ってきたウルトラマンについては、佐伯が監督を手掛けた『明智小五郎シリーズ』(1970年、東京12チャンネル)の第25話「白日夢 殺人金魚」を視た円谷プロダクションプロデューサーの熊谷健が「面白い」と思って監督に起用したという。
- 1982年に定年を迎え、東映を退社。退社後は東映東京制作所の製作する東映不思議コメディーシリーズに監督として携わる。特にブームを巻き起こした「美少女仮面ポワトリン」ではメイン監督して活躍した。シリーズ終了後はドキュメンタリー演出の分野に進出。「都市の中の農の風景」という作品では賞も受賞している。
- 東映不思議コメディーシリーズ全シリーズに監督として携わった唯一の人物である。近年インタビューで、シリーズの中では『おもいっきり探偵団 覇悪怒組』が大変気に入ったシリーズであったと語っている。出演者の秋野太作の達者な演技が印象に残っているとのこと。
- 『美少女仮面ポワトリン』のフジテレビプロデューサー・原岡健一郎は自宅の三軒隣に住んでいるという。
[編集] 主な作品
[編集] テレビ
- 帰ってきたウルトラマン(1971年4月~1972年3月)
- 超神ビビューン(1976年7月~1977年3月)
- スパイダーマン (東映)(1978年5月~1979年3月)
- ロボット8ちゃん(1981年10月~1982年9月)
- バッテンロボ丸(1982年10月~1983年9月)
- ペットントン(1983年10月~1984年8月)
- どきんちょ!ネムリン(1984年9月~1985年3月)
- TVオバケてれもんじゃ(1985年)
- 勝手に!カミタマン(1985年4月~1986年3月)
- もりもりぼっくん(1986年4月以後)
- 京都かるがも病院(1986年)
- おもいっきり探偵団 覇悪怒組(1987年)
- じゃあまん探偵団 魔隣組(1988年)
- 魔法少女ちゅうかなぱいぱい!(1989年1月~7月)
- 魔法少女ちゅうかないぱねま!(1989年7月~12月)
- 美少女仮面ポワトリン(1990年)
- 不思議少女ナイルなトトメス(1991年)
- うたう!大龍宮城(1992年)
- 有言実行三姉妹シュシュトリアン(1993年10月まで)
[編集] 映画
- どろ犬
- 高原に列車が走った(主演・美保純)