今川範以
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今川 範以(いまがわ のりもち、元亀元年(1570年)-慶長12年11月27日(1608年1月14日))は、安土桃山時代の武将・歌人。今川氏真の嫡男で今川義元の孫にあたる。母は北条氏康の娘・早川殿。正室は吉良義安の娘。子に直房、吉良義弥妻。
誕生当時、既に今川氏は武田信玄によって駿河国を追われており、範以も母方の北条氏の本拠小田原で生まれたという。父とともに各地を転々とするが、文禄年間以後は亡くなるまで京都に在住した事が判明している。
山科言緒・冷泉為将ら公家衆と親しく和歌の達人として下冷泉家主催の連歌会・和歌会の常連で指南役も務めたという。
父・氏真に先立って病没。死後、息子今川直房は江戸幕府の高家として取り立てられた。