久保田麻琴
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久保田 麻琴(くぼた まこと、本名:久保田誠、1949年 - )は京都府生まれ、石川県小松市出身のミュージシャン。
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[編集] 経歴
同志社大学文学部英文科在学中の1970年、URCより「アナポッカリマックロケ」という曲でデビュー。また同年、軽音楽部の一年上だった水谷孝らと裸のラリーズ(ベーシスト)としてバンド活動を始める。その後大学を1年休学しアメリカに行く。アメリカから帰った後、松任谷正隆プロデュースのソロ・アルバム『まちぼうけ』を発表。また、裸のラリーズと並行して夕焼け楽団を始める。ヒッピーカルチャー、アロハ、琉球(沖縄)などを昇華した。喜納昌吉の「ハイサイおじさん」の粋なカバーなど。
のちに夕焼け楽団はフラダンスで知られるサンディー(元夫人)をメインボーカルに迎え入れ、ザ・サンセッツ(のちサンディー・アンド・サンセッツ)として活動を新たにする。「スティッキー・ミュージック」は、オーストラリアでヒットした。
細野晴臣と親交が深く、ユニットを結成したり、久保田の係わる作品にゲストミュージシャンとして参加している。
90年代はプロデューサー業中心で、サンディーのソロアルバムのプロデュースを初め、ディック・リー、エルフィ・スカエシなど、アジア系のミュージシャン、歌手を数多くプロデュースする。
[編集] これまでのアルバム
[編集] 久保田麻琴
- まちぼうけ (1972)
- 久保田麻琴II / サンセット・ギャング(1973)
- On The Border(2000)
- KAUAI March-05(2005)
- スピリット・オブ・ヒーリング-バリ(2005)
[編集] 久保田麻琴と夕焼け楽団
- ハワイ・チャンプルー(1975)
- ディキシー・フィーバー(1977)
- ラッキー・オールド・サン (1977 / 夕焼け楽団単独名義)
- セカンド・ライン(1979)
- リズム・ロマンス(1981 / 夕焼け楽団単独名義の編集盤)
[編集] Sunsetz
- ヒート・スケール(1981)
[編集] Sandii & The Sunsetz
- イミグランツ(1982)
- Viva Lava Liva(1984)
- ラ・ラ・ラ・ラブ(1986)
- リズム・ケミストリー(1987)
- ワン・ラブ(1988)
- オリエンテーション(1989)
[編集] Harry & Mac
細野晴臣とのユニット
- Road to Louisiana(1999)
[編集] カラビサ
細野晴臣、照屋林賢とのユニット
- Roochoo Gumbo y2k(2000)
[編集] Blue Asia
マレーシアのMac & Jennyとのプロジェクト
- HOTEL IBAH(2001)
- HOTEL ISTANBUL(2001)
- HOTEL WAIMEA(2002)
- HOTEL Re-Champur(2002)
- HOTEL VIETNAM(2003)
- HOTEL BANGKOK(2005)
- HOTEL MOROCCO(2006)
[編集] 著書
- 世界の音を訪ねる—音の錬金術師の旅日記(岩波書店、2006)