丸尾英司
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
現在 | 松下電器野球部ヘッドコーチ |
所属球団 | 松下電器野球部 |
国籍 | 日本 |
出身地 | 兵庫県姫路市 |
生年月日 | 1972年4月26日(36歳) |
身長 体重 |
174 cm 68 kg |
守備位置 | 投手 |
投球・打席 | 右投右打 |
プロ入り年度 | 1994年 |
ドラフト順位 | 2位 |
背番号 | 49(近鉄現役時) |
英語表記 | MARUO |
初出場 | 1995年 |
最終出場 | 2003年 |
経歴 | 姫路南高校-佛教大学- オリックス・ブルーウェーブ- 大阪近鉄バファローズ- 松下電器野球部 |
このテンプレートはTemplate:Infobox baseball playerに置き換えてください。 詳細はWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 野球選手#Infobox MLB playerを参照 |
丸尾 英司(まるお えいじ、1972年4月26日- )は、元プロ野球選手。ポジションは投手。右投げ右打ち
目次 |
[編集] 来歴・人物
兵庫県立姫路南高等学校から佛教大学に進学。大学在学中の1993年、日本・キューバ対抗戦で日本代表に選出され、プロに注目される。1994年のドラフトでオリックス・ブルーウェーブから2位指名を受けてプロ入り。しかしオリックスでの5年間でわずか14試合の登板に終わり、戦力外通告。テストを受け2000年に大阪近鉄バファローズに移籍し、過去最高となる19試合登板を果たしたが同年オフに戦力外通告を受けた。
同年、松下電器に入団。2001年シーズンからエースの活躍を見せる。2002年には都市対抗野球でチームを13年ぶりのベスト4に導くなど獅子奮迅の活躍を見せ、元プロ選手として初めて社会人ベストナインを受賞した。
2004年は投手コーチ兼任として現役を続けていたが、2大大会の登板もなく、同年オフに引退した。2005年からはコーチ一本でチームを支え、同年チームの社会人野球日本選手権大会2度目の優勝に貢献した。2006年限りで一度、退部したものの2008年からヘッドコーチに就任し、2年ぶりに現場復帰した。
[編集] 球歴
- 兵庫県立姫路南高等学校(1988~1990年)
- 佛教大学(1991~1994年)
- 日本代表 1回(1993年;日本・キューバ対抗戦)
- オリックス(1995~1999年)
- 大阪近鉄(2000年)
- 松下電器(2001年~2006年、2008年~ )
[編集] プロ在籍時の成績
年 | 所属 | 登板 | 勝 | 敗 | セーブ | 投球回 | 防御率 |
1995 | オリックス | 4 | 0 | 0 | 0 | 7 2/3 | 7.04 |
1996 | オリックス | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - |
1997 | オリックス | 3 | 1 | 0 | 0 | 17 1/3 | 3.12 |
1998 | オリックス | 7 | 0 | 0 | 0 | 16 | 6.75 |
1999 | オリックス | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - |
2000 | 大阪近鉄 | 19 | 0 | 0 | 0 | 37 2/3 | 3.58 |
通算 | 33 | 1 | 0 | 0 | 78 2/3 | 4.46 |
[編集] 社会人2大大会の成績
年 | 所属 | 大会 | 登板 | 勝 | 敗 | 投球回 | 防御率 |
2001 | 松下電器 | 都市対抗 | 3 | 1 | 0 | 9 1/3 | 0.96 |
日本選手権 | 2 | 1 | 1 | 8 | 4.50 | ||
2002 | 松下電器 | 都市対抗 | 3 | 2 | 0 | 21 2/3 | 0.42 |
日本選手権 | 2 | 1 | 1 | 12 | 1.50 | ||
2003 | 松下電器 | 都市対抗 | 1 | 0 | 0 | 3 1/3 | 0.90 |
日本選手権 | 1 | 0 | 0 | 0 1/3 | 0.00 | ||
2004 | 松下電器 | 都市対抗 | 0 | 0 | 0 | 0 | - |
日本選手権 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | ||
通算 | 12 | 5 | 2 | 54 2/3 | 0.50 |
オリックス・ブルーウェーブ(現・オリックス・バファローズ) 1994年ドラフト指名選手 |
---|
1位:嘉勢敏弘 / 2位:丸尾英司 / 3位:五島裕二 / 4位:豊田次郎 |