下灘村 (愛媛県北宇和郡)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
この項目には、オペレーティングシステムやブラウザなどの環境により表示が異なる文字があります。「灘」の文字は公式の表記「」と異なる可能性があります。 |
|
下灘村(しもなだむら)は、1955年(昭和30年)まで愛媛県の北宇和郡にあった村であり、現在の宇和島市の最南の沿岸部に位置する漁村である。昭和の合併で、津島町となり、平成の合併で宇和島市となり、現在に至っている。
目次 |
[編集] 地理
現在の宇和島市の最南の沿岸部。西は宇和海に面しており、東は畑地村に接する。北は岩松町に、南は由良半島を境に内海村に接する。宇和海に突き出した由良半島は、概ね北半分が下灘村、南半分が内海村である。
[編集] 歴史
藩政期は宇和島藩に属し、下灘浦として一つの村を形成していた。
明治の町村制にともない、一浦で一村を形成し、下灘村が成立。
昭和の合併により岩松町ほかと合併して津島町となり、自治体としては消滅。その後、さらに平成の合併により宇和島市・三間町・吉田町と合併して宇和島市となり、現在に至る。
下灘村の系譜 (町村制実施以前の村) (明治期) (昭和の合併) (平成の合併) 町村制施行時 下灘浦━━━━━━━━下灘村━━━━━━┓ ┃昭和30年2月11日 ┃合併 岩松町━━━━━━╋━津島町━━━━━┓ 清満村━━━━━━┫ ┃合併 御槙村━━━━━━┫ ┃平成17年8月1日 北灘村━━━━━━┫ ┃ 畑地村━━━━━━┛ ┣宇和島市(新) 宇和島市━━━━┫ 吉田町━━━━━┫ 三間町━━━━━┛ (注記)岩松町他の合併以前の系譜はそれぞれの市町村の記事を参照のこと。
[編集] 地域
藩政期から明治にかけての浦の中心は鼠鳴(ねずなき)という集落であった。その後、嵐という集落が栄え、役場支所、農業支所、漁協、駐在所、郵便局などがおかれた。旧津島町時代においては、合併前の旧村を一つの地域単位として公民館、小学校の整備等が行なわれてきた。下灘村の区域は由良半島の北半分や離島の竹ヶ島を含む広い範囲に及ぶため、小学校も複数ある。(一部は分校)
[編集] 産業
西は宇和海に面して、海岸線は深く入り組み、入り江に集落が形成され、イワシ漁と桑、サツマイモ、麦等を産する半農半漁の村であった。桑は明治時代に付近一帯に導入されたもので、サツマイモは食糧増産の必要から導入された。一時は、耕して天に至ると表現される光景が各地にみられた。
石高は天正検地により460石という記録がある。