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ノート:三木駅 (神戸電鉄) - Wikipedia

ノート:三木駅 (神戸電鉄)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

[編集] 三木駅への記事統合について

2008年3月いっぱいで三木鉄道三木駅が廃駅となり、現存する「三木駅」が神戸電鉄の方だけになることから、2008年4月を目処に、現在曖昧さ回避ページとなっている三木駅の記事と本記事を統合(三木駅へは「Otheruses」テンプレートで誘導する)すべきと思いますがどうでしょうか?

とりあえず執行するにしても4月になってからなので、3月中はご意見を募りたいと思います。よろしくお願いいたします。--Hirotaro 2008年3月10日 (月) 13:40 (UTC)

  • (反対)現状のままで、何か致命的な問題でもあるのでしょうか?現存する駅と廃止された駅について、項目名を差別しようという意図自体が理解できません。有限のリソースと手間暇を浪費するだけです。--Kone 2008年3月10日 (月) 13:54 (UTC)
  • (コメント)現存一駅の例外から方向としては賛成ですが、この場合は改名提案を経て合意形成の上移動依頼に付すべきだと考えます(同件で4月1日付で廃止予定駅と同名駅の高木駅 (広島県)別所駅 (滋賀県)別件で同日付廃止予定駅と同名の深江駅 (兵庫県)も同様)。--七之輔/e56-129 2008年3月14日 (金) 12:37 (UTC)
  • (コメント)名前の変更については皆様にお任せしますが、一部施設が当駅をさし「三木福有橋駅」と記載しているケースがありますので、少なくとも本文中の判りやすい所に「三木福有橋駅」である(あった)ことを記載して頂ければそれで構いません。--ステフ爺 2008年4月8日 (火) 06:43 (UTC)

あまり良い意見を得られなかったため、この件については取り下げます。申し訳ありませんでした。--Hirotaro 2008年3月31日 (月) 15:12 (UTC)

統合提案に上記の旨報告させていただきました。これにて統合提案はクローズとしたいと考えます。なお、別途上記拙案による改名提案を検討しております。--七之輔/e56-129 2008年4月2日 (水) 03:25 (UTC)

[編集] 三木駅など2008年4月1日付け廃駅と同名駅の改名提案

上記拙案より、現存一駅の例外から、三木駅及び同件廃駅(高木駅 (兵庫県)別所駅 (兵庫県))と同名駅である高木駅 (広島県)別所駅 (滋賀県)、別件廃駅(深江駅 (長崎県))と同名の深江駅 (兵庫県)を括弧なしの項目名への改名を提案いたします。皆さまのご意見をお願いします。--七之輔/e56-129 2008年4月4日 (金) 09:42 (UTC)

(反対) 統合提案に対する Kone さんの反対理由と同様の理由で反対します。「現存一駅例外」は「してもよい」の例外であり、あくまでも例外であって、その方向に進むべきというわけでもないでしょう。--Jms 2008年4月4日 (金) 10:19 (UTC)
(コメント)鉄道駅の差別化には積極性を示していますが、私は自治体に関してWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 日本の市町村#現存優先再考でさんざん現存優先に対して批判を加えてきたクチなので,反対するということであれば無理にとはいいません。実際三木駅はともかく高木駅や別所駅,深江駅については残る方の知名度が高いというわけでもないので、平等化のままで問題ないと考えます。--Im224 2008年4月7日 (月) 19:34 (UTC)
 (賛成)現存したもの以外はある理由以外は、現存した駅を見ることでしょう。今後三木線は忘れ去られると思われるので賛成します。--【西柳 京 利用者 ノート 投稿記録 2008年4月14日 (月) 10:26 (UTC) 】
では三葉虫も絶滅しているからいらないね、と言いたくなるくらい、百科事典のなんたるかを理解していない意見だと思います。--Jms 2008年4月14日 (月) 10:31 (UTC)
(コメント)西柳 京さんの意見は、現存しているものを優先すべきというもので、現存する三葉虫と現存しない三葉虫があるのであれば、現存する三葉虫を優先しましょうよという意見だと思われるので、Jmsさんのコメントは見当違いだと思います。--とに 2008年4月21日 (月) 03:21 (UTC)
どう検討見当違いなのでしょうか、今後三木線は忘れ去られると思われる、という現代 POV は根拠になるまい、という事なのですが。「現存したもの以外はある理由以外は、現存した駅を見ることでしょう」というのも文意がとれません。--Jms 2008年4月21日 (月) 10:49 (UTC) 誤字指摘ありがとう、リンク追加 --Jms 2008年4月21日 (月) 14:59 (UTC)
「検討違い」などという見当違いな日本語にわざわざ訂正する方であり、「POV」などという専門用語をリンクも解説もなしに使う初心者排除の方針や、少なくとも私との過去数回の対話の中で実を結んだ実績のない方に、コメントをしてしまった私が間違っていました。この件に関してのご回答は不要です。私にご意見があれば、他の方の迷惑にならないように、私のノートにでもどうぞ。対話をする気はないですがw
無駄なリソースを使って、すみませんでした。本題を続けてください。--とに 2008年4月21日 (月) 13:25 (UTC)
(賛成) もし現存する駅と廃止された駅を平等に扱うとなれば、有馬口駅神戸電鉄有馬線国鉄有馬線)や大池駅(神戸電鉄有馬線、頸城鉄道熊本電気鉄道菊池線)なども同様に各路線に一つずつ項目が割り当てられるべきです。情報の需要という観点からすれば、現存している駅のほうが重視されるべきであり、ウィキペディアが百科事典である以上それに従うべきだと考えます。--もんじゃ 2008年4月26日 (土) 11:15 (UTC)
「情報の需要という観点からすれば、現存している駅のほうが重視されるべきであり、ウィキペディアが百科事典である以上それに従うべき」という部分に全く同意できません。これは百科事典とは何かという百科事典観の違いに由来するものだと思いますが、どうしましょう。現存重視というのは現代用語の基礎知識の編集方針ではあり得ても、百科全書派的な意味での百科事典の編集方針にはそぐわないと考えます。--Jms 2008年4月26日 (土) 11:26 (UTC) 消し忘れ一文字削除 --Jms 2008年5月7日 (水) 15:59 (UTC)
今はあまり百科事典の話をしたくありません。要するに私が言いたいのは、ウィキペディアは幅広い情報の需要に対応するべきであり、そのためにはウィキペディアの持つ情報が時勢に素早く対応していることが求められるのではないかということです。三木鉄道の三木駅の情報を必要とするのは私どものような鉄道ファンだけてあり、現存する駅と廃止された駅を並置した今の状態は、「幅広い情報の需要に対応する」体勢ではないと思います。とりあえず私の論旨だけでもお分かり頂けたでしょうか?もし私に対して反論があるか、百科事典についての議論をお望みで、それが長引くようであれば、私の会話ページでお願いします。だんだん三木駅とは議題が離れていってますから。--もんじゃ 2008年5月7日 (水) 09:13 (UTC)
申し訳ありませんが、論旨をまったく理解できません。百科事典のためのリソースを用いて、百科事典を編纂しているのに、百科事典の話はしたくない、というのはおかしなことです。ウィキペディアについて何か誤解があるのではないかと思います。「三木鉄道の三木駅の情報を必要とするのは私どものような鉄道ファンだけ」ならば、それは百科事典には不要な項目ですから、記事を削除する提案をすべきでしょう。わたくしは、当該項目に電子的百科事典の項目として存在意義があると思っています。--Jms 2008年5月7日 (水) 09:24 (UTC)
「百科事典の話がしたくない」と書いたのは、このままでは改名提案が百科事典の定義についての議論で終始する可能性があると感じたからです。つまり百科事典について議論するのに時間を割きたくないということです。お望みのようですから百科事典の話をしますが、ウィキペディアが普通の百科事典の枠組みで捉えることが出来ないということについて異論はあるでしょうか?その上で私の意見を申し上げると、矛盾するようですが、ウィキペディアの性格は、百科事典よりもむしろインターネットを媒体とする情報交換の場に近いと私は感じています。よってその持つ情報には偏りが生まれます。ウィキペディアにおいて、本来百科事典が提供すべき自然科学や地理などの情報がそれほど充実していないのに対して(主観的な意見ですが)、アニメやゲームなどに記事が集中していることがその顕著な例だと思います。駅一つ一つに項目が割り当てられることも百科事典ではあり得ないことです。ですからJmsさんがおっしゃったように、ウィキペディアが純粋な百科事典であれば、鉄道に関する記事は大幅に削られなければならないでしょう。ここで問題なのは、ウィキペディアが「フリー百科事典」と銘打たれていることです。こうなると、ウィキペディアは出来るだけ百科事典の体裁を整えていかないといけない。つまり、ウィキペディアは百科事典もどきなのではないかと思うのです。提供される情報は出来るだけ受け入れ、それに信頼性を持たせ、文体や規格を統一して整理したものが、ウィキペディアではないでしょうか。私達が今問題にしているのは、この整理に関することであり、繰り返しになりますが、ウィキペディアに一般性を持たせる観点から、現存する駅を重視するべきではないかと言っているのです。私が最初に「百科事典」という語を用いたのは、百科事典の持つ性質である一般性をウィキペディアも重視するべきだと言いたかっただけなのです。上でも書いたようにこういう難しい議論は私の会話ページでしてもらえると有難いです。あと最後に言っておきたいんですが、最初の私の意見に対するJmsさんの意見は、Jmsさんがどのように考えていたにしろ、反論よりもむしろ私の意見に対する質問に近いように思えます。私はその下に”回答”にあたるものを書き込んだわけですが、それに対するJmsさんの反応が、私の意見の矛盾を指摘し、あたかもそれによって文章全体が不適切なものと判断するような物であったことは私としては非常に残念です。Jmsさんは三木駅に関して現行維持派のようですが、相手の意見の矛盾を指摘して、相手の切り崩しにかかるようなことは、あらゆる議論においてもあまり好ましいこととは言えないと思います。例えれば日本の国会のようなもんじゃないでしょうか。最後になりましたが、七の浦さんをはじめ、単純に三木駅に関して議論しようとしている方々には、文章が長くなり、大変ご迷惑をお掛けしています。申し訳ありません。--もんじゃ 2008年5月7日 (水) 11:05 (UTC)
(一部訂正)--もんじゃ 2008年5月7日 (水) 11:37 (UTC)
長くしたくないということなので、手短に述べると、やはりウィキペディアは百科事典であって、観光案内でも駅の利用ガイドでもありませんし、中立性の問題にも関係しかねませんから、現存の駅を重視する今回の提案は不適切でしょう。サブカルチャー記事が充実している (これはウィキペディアの強みだと思います) という記事数やヴォリュームに関することと、記事が百科事典的であるかどうかというのは、独立したことです。矛盾の指摘は好ましくないというのでは論理的な議論は成立しないと思いますが、こうした問題点の指摘も矛盾の指摘と解釈され好ましくないと判断されるおそれがあるので、これ以上は述べられません。--Jms 2008年5月7日 (水) 15:59 (UTC)

(コメント)反論者は一人だけのようですので、三木駅については改名する方向でまとめてみてはいかがでしょうか?他の駅については当該ノートまたはプロジェクトで議論をすることが望ましいと思います。--とに 2008年5月22日 (木) 00:45 (UTC)

  • (反対)ですから、現状維持で何か致命的な不都合でもあるのでしょうか?それが示されない限り、改名は妥当性を欠くと言わざるえませんが・・・--Kone 2008年5月22日 (木) 03:34 (UTC)
  • (コメント)数を論ずる前に、まず内容を論じられたい。この改名提案は、自分で自分の首を絞める提案です。--Jms 2008年5月22日 (木) 09:12 (UTC)
(コメント)Koneさんは「致命的な不都合」がお好きなようですが、ウィキペディアなどなくても世の中に致命的な不都合はありませんので、「致命的な不都合」を述べるのは止めませんか?では、ここでは何を基準に議論を進めるべきかというと、読者の利便性ではないでしょうか?ウィキペディアに三木駅を調べに来た方が、神戸鉄道の三木駅か、三木鉄道の三木駅か、どちらを調べようとしている方が多いかが、今回の議論の要だと思います。神戸鉄道の三木駅を調べたい方が、三木駅で検索したときに、曖昧さ回避ページが表示されることは利便性に欠きますし、三木鉄道があったことを知らない方もいらっしゃると思います。かといって、三木鉄道の三木駅を調べたい方には、神戸鉄道の三木駅が表示されることは、Template:Otherusesが使われていたとしても目障りになります。西柳 京さんやもんじゃさんがおっしゃるように、すでにない駅について調べに来る人は圧倒的に少ないのではないかという意見も一理あると思います。現状では三木鉄道は廃止されたばかりで話題性があり、三木鉄道の三木駅を調べに来る方もかなりいると見ることもできるでしょう。各ページにアクセスカウンターでもあれば一件落着するような気もするのですが、ないようなので(私がアクセス数の調べ方を知らないだけかもしれませんが)、意見を多く集めるしか方法はないのではないでしょうか?多数決方式による合意形成を図るのであれば、私は現時点では賛成票を投じるでしょうが、できるだけ多くの意見を集めることを望みます。--とに 2008年5月22日 (木) 09:46 (UTC)
「読者の利便性ではないでしょうか?」はい、では、しらべものをせむとして百科事典に頼る読者の利便性が、現存するもので規定できるという理論的根拠をあげてください。--Jms 2008年5月22日 (木) 09:49 (UTC)
要は、「特に改名を"しなければならない"ような不都合がなければ、今のまんまでいいじゃん。」というのが私の考えです。「どうせ三木鉄道の駅は忘れ去られてしまうんだから、おざなりな対応で十分。」というが如き考え方は、現在に過度に偏った視点であり、中立性に反すると考えます。一方が廃止になるまで平等に存在していたものが、廃止された途端に価値がなくなるというのは、どう考えても合理的な理由が思いつきません。それを他の項目に拡張すれば、例えば故人の項目は価値がないということになりはしませんか。「すでにない駅について調べに来る人は圧倒的に少ない」というのは、信頼に足る典拠をを欠きますし、そのようなものを議論の中心に据えるようなことは、論外(却下)と言わざるえません。--Kone 2008年5月22日 (木) 12:27 (UTC)
このあたりの考え方の相違というのは、日本十進分類法が念頭にあるかどうかと相関があるかもしれません。調べ物というのと図書館というのが結び付いているかいないかで、日本十進分類法の体系が漠然と心にあるかどうかという違いが生じ、それに呼応して現在偏重にならないかなってしまうかが違うという気もします。ウィキペディアは日本十進分類法の体系に従うという合意があるわけではありませんが、読者すなわち調べ物をする人にとっては妥当な体系であると思います。--Jms 2008年5月22日 (木) 23:03 (UTC)
Koneさんの考えは、仕事しようがしなかろうが同じように明日が来るなら仕事しないほうがいいじゃん、ということですよね。私と根本的な考え方が違うようで、私は仕事すれば違う明日が来る可能性があるのであれば仕事したほうがいいじゃんという考えなんです。だから、改善の余地があれば、改善しましょうよと言っているわけです。Koneさんの考えでは、向上心に欠けると私は考えます。人の考えは十人十色ですからKoneさんのような考えあることを否定はしませんが、相容れないかもしれないと思ったしだいです。
また、「一方が廃止になるまで平等に存在していたものが、廃止された途端に価値がなくなるというのは、どう考えても合理的な理由が思いつきません。」について、「例えば故人の項目は価値がないということになりはしませんか。」と同列に扱うべきことではないと思います。三木鉄道が廃止されたことは必要がなくなったから廃止されたわけで、人が死ぬことは必要がなくなったから死ぬわけではありません。先に出た三葉虫の話と同じです。
ですから、三木鉄道の三木駅は、価値がなくなったから廃止されたわけです。ただし、歴史的に語る価値はあるでしょうから、記事として存在することには価値があると思います。鉄道マニア的視点から見れば、三木鉄道三木線の終着駅・三木駅にはかなりの価値があることはわかりますが、一般的に見れば、なくなってしまったものは、歴史的に語る以外の価値はないです。
そういったことから、読者の利便性を考えると、改名することを考えてもいいのではないかというものが、私の思っているところです。繰り返しになりますが、ウィキペディアに三木駅を調べに来た方が、神戸鉄道の三木駅か、三木鉄道の三木駅か、どちらを調べようとしている方が多いかが、今回の議論の要だと思います。5:5や6:4ぐらいなら平等曖昧さ回避扱いでいいと思いますが、7:3やそれ以上の開きがあるようであれば、アクセス数が多いであろうページを優先したほうが、読者の利便性にかなうのではないでしょうか。--とに 2008年5月23日 (金) 02:16 (UTC)
「5:5や6:4ぐらいなら平等曖昧さ回避扱いでいいと思いますが、7:3やそれ以上の開きがあるようであれば、アクセス数が多いであろうページを優先したほうが、読者の利便性にかなうのではないでしょうか。」については、それを客観的に定量化する手段がないので、それでは項目名に格差をつける論拠にはなりえないと申し上げています。それを論拠にするのであれば、誰もが検証可能な方法でその割合(アクセス数)を示すのが筋でしょう。それをせずに、ただ自分の脳内だけにしかない推定を論拠とするのは、笑止千万です。また、アクセス数のみをもって項目の存在価値を論ずること自体、合理的とは思えません。--Kone 2008年5月23日 (金) 03:42 (UTC)
「ですから、三木鉄道の三木駅は、価値がなくなったから廃止されたわけです」というのは、特定の価値規範に基づいた話だと思いますが、それを根拠にして中立性を確保できるのですか。経済的な要不要で論ずるなら、そもそも百科事典なんて必要ないでしょう、ペイしないのですから。--Jms 2008年5月23日 (金) 09:53 (UTC)

(コメント)これまでの議論では、現存駅と廃止駅の価値の差やそれらの記事の需要の差から、それらの高い方を重視すべきか、それとも平等に扱うべきかという点が主要な論点であるように見受けられます。そして現存駅を重視するために改名賛成、逆に現存駅を重視すべきでないので改名反対という論陣が張られているように見受けられます。
ここまで記事名に()が無い方が望ましいという事はこれまで争点になっていないようですので、この点については改名賛成派と反対派共に異論が無いように思います。しかし今は改名提案に対する議論ですので、まず(現存しているか廃止されているかに関わらず)記事名として()が無い方が望ましいのか否かという点、言い換えれば、記事名の()は必要悪なのか否かという点について明確にしてみては如何でしょうか。
これまでの議論に関する感想を述べれば、確かに廃止駅の記事は現存駅の記事より需要は低くなっていく事が予想され、相対的に現存駅の記事の方が需要は高くなるだろうという主張は妥当性が有ると思います。そして需要が高くなる方を重視すべきか否かという事については、重視すべきという意見も、平等に扱うべきという意見も、どちらも間違ってはいないように感じます。しかし()が無い方がより利便性が高いという事には異論は無いのでしょうか。()付の記事名というのは、()無しの記事名より具体的であり曖昧性が低くなるという利点が有る一方で、記事名が長くなる事を除けば特に欠点は無いように感じます。記事名が長くなる事は、その記事名をキーボードから直接入力した時には、確かに利便性を損ねるかも知れませんが、そのような使い方が果たして多いのか、本当に利便性を損ねるのか疑問を感じます。
鉄道駅の記事に特に情熱を傾けている訳ではない私から見れば、現存一駅の例外というのは、地理的歴史的に同名が多数存在する鉄道駅の記事を、如何に漏れなくダブり無く、系統化され判りやすい記事名にするかという目的で決められたものであるように思います。その理解が正しければ、本来は全ての鉄道駅について(都道府県名または事業社名)を付けるべきだと思いますが、駅名だけで特定できるのならば便宜上()が無くとも良いのではないか、そうする事で明治以来の同名駅の存在を調査しなくとも、現存駅の記事を執筆する事は可能になる。それが現存一駅の例外の存在理由であるように感じます。現存駅の記事に対する読者の利便性というのは、あまり関係が無いように感じます。
少なくとも、一利用者の私から見れば、記事名に()が付いている事によって利便性が損なわれるとは思えませんし、()が無くなる事で利便性が高くなるとも思えません。むしろ()で都道府県や事業者が特定できる方が、記事名を一読しただけで目的とする駅なのか否かが判るように感じます。--Nisiguti 2008年5月25日 (日) 11:34 (UTC)

たとえばかつてそう呼ばれた狐ヶ崎ヤングランド前駅の様に、まず同名の駅が存在しないであろう場合にまで丸括弧付記は必要ありませんから、その意味では極論として丸括弧付記は無い方が望ましいでしょう。しかし、同名異駅の記事が現に存在する場合は、その知名度によほどの違いがない限り、どれか一つを選んでそれにてついては丸括弧付記をしないという程の不利益が丸括弧付にあるとは思えません。むしろ同名異駅の記事がある場合に内容を特定できるという御指摘の利点もありますから、その意味でも当該改名はすべきではないと思います。--Jms 2008年5月25日 (日) 23:14 (UTC)
Koneさんのご意見のお返事です。「客観的に定量化する手段がないので、それでは項目名に格差をつける論拠にはなりえない」については、おっしゃるとおりです。「自分の脳内だけにしかない推定を論拠とするのは、笑止千万です。」についても、おっしゃるとおりです。ですから、「誰もが検証可能」なぐらいの数の多くの意見を集める必要があるのではないかと、前に述べています。「アクセス数のみをもって項目の存在価値を論ずること自体、合理的とは思えません。」については、曖昧さ回避ページを経由することと、直接目的ページへ行けることの、どちらが利便性があるかということを考えれば、おのずと答えは出るのではないでしょうか?
Nisigutiさんのご意見をお受けてのコメントです。()付きであるかないかは、さして重要ではないと思います。それよりも、今唯一存在する「三木駅」を検索して、目的のページへ直接行けずに、曖昧さ回避ページを経由しなければならないわずらわしさが問題だと考えます。たとえば、「夏休みに旧玉置家住宅に行きたいが、三木駅ってどんな駅だろう?」とウィキペディアに調べに来た場合、「三木駅」と検索したら曖昧さ回避ページである三木駅に飛ばされて、「神戸電鉄?三木鉄道?え?三木駅ってたくさんあるの?」と困惑し、三木鉄道があったことを知らない方にとっては、神戸電鉄であることはまったく無関心でしょうから、「こんなのわかんねーよ!ウィキペディア、使えねーな。」となると思うのです。これではせっかくの三木駅 (神戸電鉄)も、見てもらえないようになりかねないです。それよりは、「三木駅」で検索したら、神戸電鉄の三木駅 (神戸電鉄)へ一発でたどり着ければ、このようなことは回避できます。ですから、改名しなくても、三木駅三木駅 (神戸電鉄)へのリダイレクトであり、三木駅 (神戸電鉄)三木駅 (三木鉄道)への誘導リンクがあれば、三木鉄道の三木駅を調べたい方はたどり着けるわけですし、現状の曖昧さ回避ページ経由と同じ手間なわけですから、利便性を損なうこともありません。しかし、わざわざリダイレクトページを作らなくとも、三木駅 (神戸電鉄)三木駅であれば、用は済むわけです。であるから、改名をしたほうが、余計なページも必要なくなり、鉄道にそれほど興味がない方にも見てもらえるようになるのではないかと、私は考えています。--とに 2008年5月26日 (月) 02:12 (UTC)
幾つか疑問がございます。
  1. 「三木駅」で検索した時に三木駅で曖昧さ回避する事
    1. これは、Wikipediaにおける類似の記事が多数存在する場合の、最も標準的な解決法です。それで解決しないのは、曖昧さ回避ページの記述が不明確である事に問題が有るのではないでしょうか。
    2. より具体的な内容が記述されたページを、曖昧な記事名にする事で解決するのでしょうか。また逆に曖昧な記事名にする事でより多くの別の問題は生じないのでしょうか。
  2. リダイレクトと改名
    1. 現状の三木駅三木駅三木駅 (神戸電鉄)というリダイレクトページにする事と、三木駅 (神戸電鉄)三木駅に改名するのでは、前者の方が容易に実現できるのではないでしょうか。また後者にする事で以下のような問題は生じるように感じますが如何でしょうか。
      1. 三木駅の履歴が複雑になるように感じます。管理者による作業が必要になりませんか?
      2. 今後、新たに同名の駅が他府県にできた場合には、さらに三木駅三木駅 (神戸電鉄)と三木駅 (兵庫県)の記事の履歴や、リダイレクトが複雑になるように感じます。場合によっては三木駅の記事の分割が必要になるかも知れませんが、その可能性は、考慮しなくても大丈夫でしょうか。
    2. 三木駅 (神戸電鉄)三木駅にする場合、三木駅 (神戸電鉄)三木駅というリダイレクトページが作成されると思います。「余計なページ」という意味では、前者も後者も同じではないでしょうか。
私としては、利便性で言えば記事名を曖昧にする事よりも、曖昧さ回避の方法を工夫する方が適切な気がしていました。その点で私と同じ意見をお持ちである事が判って良かったと思います。--Nisiguti 2008年5月26日 (月) 04:15 (UTC) 加筆訂正--Nisiguti 2008年5月26日 (月) 04:25 (UTC)

「「三木駅」と検索したら曖昧さ回避ページである三木駅に飛ばされて、「神戸電鉄?三木鉄道?え?三木駅ってたくさんあるの?」と困惑し、三木鉄道があったことを知らない方にとっては、神戸電鉄であることはまったく無関心でしょうから、「こんなのわかんねーよ!ウィキペディア、使えねーな。」となると思うのです。」・・・これは、「三木駅」に限った話ではないと思うのですがいかがでしょう。同名の駅が、平等に曖昧さ回避されているケースは、数多ありますし、2つだけで済んでいるのはいいほうで、それこそ(鉄道駅の項目ではないですが)十数個の項目が曖昧さ回避のためのページに列挙されているケースがあります。こういう状況は容認しつつ、2項目の曖昧さ回避でしかない三木駅のケースについて、読者の検索性を問題にするのは、矛盾があると思います。--Kone 2008年5月26日 (月) 05:22 (UTC)

まず、Koneさんのご意見に対するコメントです。今回のKoneさんのご意見は、例えるなら、スピード違反をしてつかまった人が「他にもたくさんいるのに、何で俺だけなんだ!」と言っているのと同じように思います。たしかに、「十数個の項目が曖昧さ回避のためのページに列挙されているケースがあります。」が、それはそれとして、改善できるところから改善するべきではないでしょうか?Wikipedia:曖昧さ回避にある「リンク先に期待していたものと全く異なることが書かれていれば、読者はがっかりするかもしれません。」を考慮して、気付いたところ・手をつけやすいところから、更生していけばいいのではいないですか?
Nisigutiさんの疑問は、私の意見を受けてのものだと思われるので、お答え申しあげます。
1-1.おっしゃるとおりだと思います。三木駅が曖昧さ回避ページとして必要なページであれば、三木駅 (神戸電鉄)の説明は「神戸電鉄粟生線の駅。現存する唯一の「三木駅」である。かつてあった「三木駅」以外をお調べの方は、こちらを選択してください。」、三木駅 (三木鉄道)の説明は、「かつてあった三木鉄道三木線の駅。2008年4月1日に廃止されており、現存しない。」のような文言がいいのではないかと思います。ただ、どちらか一方でも曖昧さ回避ページを経由しないでダイレクトに目的のページに行ければ、読者をわずらわす必要はなくなります。
1-2.前述のように、今、神戸電鉄の三木駅へ行こうと思っている人にとっては、神戸電鉄の三木駅だけが唯一の三木駅であり、三木鉄道があったことを知る必要もないので、()を取ることが曖昧になるとは思いません。
2-1.おっしゃるとおりです。
2-1-1.三木駅の履歴が複雑になるかどうかは、読者には関係ないことですから、執筆者の都合だけで、読者の利便性をそぐことには反対します。三木駅 (神戸電鉄)三木駅改名するには、管理者による作業が必要になります。それを回避する方法としては、三木駅 (神戸電鉄)三木駅統合する方法があります。手順通りに行えば、履歴継承もされます。
2-1-2.今後、新たに別の「三木駅」ができる可能性はないとは言いませんが、かなり低いと思います。「履歴や、リダイレクトが複雑になる」ことは執筆者の都合であり、それにより読者の利便性をそぐことには反対します。三木駅 (神戸電鉄)三木駅へ改名または統合された場合、新たに別の「三木駅」ができたら分割の必要性が生じる可能性はあります。その場合は、手順にのっとり作業をすればいいだけのことだと思うのですが。
2-2.おっしゃるとおりですね。指摘されて気付きました。
Nisigutiさんのご意見を受けて、三木駅三木駅 (神戸電鉄)へのリダイレクトにして、三木駅 (神戸電鉄)三木駅 (三木鉄道)への誘導リンクを作る方法でも解決できるような気もしてきました。--とに 2008年5月27日 (火) 02:00 (UTC)
> どちらか一方でも曖昧さ回避ページを経由しないでダイレクトに目的のページに行ければ、読者をわずらわす必要はなくなります。
現存駅と廃止駅では需要の差が広がると予想される事から、Wikipedia:曖昧さ回避#平等な曖昧さ回避ではなく、Wikipedia:曖昧さ回避#代表的なトピックを中心とする曖昧さ回避にする方が良いという事ですね。納得です。
> ()を取ることが曖昧になるとは思いません。
現存駅を調べる人が多数を占めると考えられる事から、それらの人にとっては廃止駅の存在は無視できるという事ですね。
確かに確立としてはそのとおりだと思うのですが、逆に「三木鉄道の三木駅へ行こうと思っている人にとっては、三木鉄道の三木駅だけが唯一の三木駅であり、神戸電鉄があったことを知る必要もない」とも言えます。その方が()の無い神戸電鉄の記事名を見る場合を考えると、「()を取っても曖昧にならない」とは言えない気がします。特に他府県の同名駅の存在など、想定される一般の読者は知らない事が多いように思います。
> 執筆者の都合だけで、読者の利便性をそぐことには反対します。
なるほど。
私としては管理の手間隙も考慮すべきと思うのですが、仰る事は理解できます。
> 三木駅三木駅 (神戸電鉄)へのリダイレクトにして、三木駅 (神戸電鉄)三木駅 (三木鉄道)への誘導リンクを作る方法でも解決できるような気もしてきました。
おお、これはもしかして合意できる線ができたのかも知れませんね。
現存駅と廃止駅の両方が()付きのまま利便性も考慮できれば、双方納得できるんじゃないですか? 私は、()付きのより具体的な記事名であるのは望ましいと思います。--Nisiguti 2008年5月27日 (火) 04:10 (UTC)

横から水を差すようで悪い気がしますが、皆さんに質問があります。2つの駅を平等に扱うにしろそうでないにしろ、もし双方の駅が()付きのまま残されるとしたら、私が4月26日に挙げた2駅(有馬口駅大池駅)の例に関してはどのような対応が適切か、皆さんに意見をお示しいただきたいのです。見て分かるとおりこの2駅は現存駅を中心として執筆され、リンクによって他の用法への誘導をしています。ですが私が注目してもらいたいのはその事ではなく、その「他の用法」に関して記事が作成されておらず、その所属していた路線をリンク先として案内してあることです。今までJmsさんが私に対して反論して下さいましたが、Jmsさんの主張に従いながらこの2駅に関する問題に対処する具体的な方法をお示しいただいていないので、ぜひとも皆さんの意見を求めたいところです。
私がこの改名提案で関心を持っている事は、駅の重要さではなく、むしろ記事を系統化する際の体裁に関することであり、私が論拠として挙げてきた事柄は、系統化にあたって記事(あるいは記事群)の体裁を整えることを支持する様々な要素の中のいくつかです。()をつけるか否かという問題にも確かに関連している事柄でもあります。現存駅と廃止駅との両方を様々な面で同様に扱うことは、双方を並置することだと私は理解し、JmsさんやKoneさんの主張するところでもあります。ですが、実際に使用されている駅と廃止されて使われていない駅を平等に扱うことに何ら弊害はないのでしょうか。特に廃止されている駅に関しては駅舎が解体され、駅があったことを示す物が一切無い場合もありますから、これは重要な問題だと思います。これに関する私の主張を述べさせていただくと、やはり両者の間で差別化は必要であるということになり、具体的にいえば今の場合廃止された三木駅のみに()を付ける必要があると思います。なぜこの議論において、私の論拠にあの2駅を挙げたかというと、2駅の他の用法は少なくともインターネット普及以前に廃止された駅に関するものであり、それに関する記事の執筆が困難であるからなのです。つまりインターネット普及後に廃止された駅を、記事の充実を理由に現存する駅と平等に扱えば、記事が充実していない廃止駅との間に格差が生じてしまい、それはそれで差別となるのです。同名駅どうしをを平等に扱うか、それとも廃止された駅どうしを平等に扱うか選ばなければならない、これは果たして間違った考えでしょうか。
記事群を慣例に従って系統化すれば、記事を利用する際の利便性といった問題も自ずと解消されると私は考えています。ですからとにさんにもぜひともこの考えは支持してもらい、三木駅が晴れて神戸電鉄の駅に関する記事となって、駅の系統化に際する慣例の基となってほしいと思っています。--もんじゃ 2008年5月27日 (火) 06:18 (UTC)改行し忘れ修正--もんじゃ 2008年5月27日 (火) 16:02 (UTC)

有馬口駅大池駅とも他の同名駅の記事が存在しないのですから、現状で問題ないと思います (大池駅は冒頭を箇条書きでなく普通の文にする方が良いかもしれませんが)。「同名駅どうしをを平等に扱うか、それとも廃止された駅どうしを平等に扱うか選ばなければならない」というのはおっしゃりたいことがよくわかりません。項目名と記事内容の話ですから、論点は同名駅であって、廃止されているかどうかというのは論点にはならないと思います。実際に使用されている駅と解体廃止された駅とで差をつけるべき、というのは利用ガイドの発想であって、百科事典の発想ではないと思います。これで回答になっていましょうか。--Jms 2008年5月27日 (火) 08:35 (UTC)
私もJmsさんと同じく現状で問題ないと思います。今後、有馬口駅大池駅と同名の駅について記事が執筆された時点、あるいは同名駅の記事が十分な分量まで育った時点で、既存の記事について()付きの記事名に改名したら良いと思います。つまり執筆のし易さから考えても、当初は()無しで記事を書き始め、将来同名の記事ができるようになれば()無し→()付きへと記事名を変更すれば良いのであって、その逆に()付き→()無しへの記事名の変更はあまり利点が無いように感じます。
また曖昧さ回避の方法については当面は現状のままWikipedia:曖昧さ回避#代表的なトピックを中心とする曖昧さ回避で良いと思いますが、遅くとも将来、既存の記事と新しい記事の分量に大きな差が無くなる頃には、Wikipedia:曖昧さ回避#平等な曖昧さ回避にした方が良いと思います。つまり曖昧さ回避については、記事の分量や需要の多さなどから、代表的なトピックを中心とするか平等とするかを選択すれば良いのであって、どの曖昧さ回避方法が適切かはその都度考えるべきと思います。--Nisiguti 2008年5月27日 (火) 10:10 (UTC)
論点が大きくずれちゃってますが、最初に述べたように、「三木駅 (神戸電鉄)」を「三木駅」に変更するのにかかる手間暇・リソースに、それに見合うだけの価値があるかどうかってことです。項目の改名は、項目の看板を掛け替えれば終わりというわけではないことは、当然ご承知とは思います。そんなつまらないこと(本当につまらない作業ですが)に手間暇を割く余裕があるのなら、有益な記述をいくらかでも加筆しろ、とわたしは言いたいです。
もんじゃさんの「インターネット普及後」云々についても、反論しておきます。インターネット普及前に廃止された駅について、現存する駅と同等またはそれ以上に充実した内容をもつ項目はいくつもあります(例えば、歴史上の人物について記述する際に、存命の人物より記述できる内容が必ず少ないとは言えないですよね。)し、記述の少ない項目については、これから充実させていけばいい話であって、現存する駅以上の記述はできないと"断言"してしまうのには違和感を覚えます。--Kone 2008年5月27日 (火) 11:00 (UTC)

実際に使用されている駅と廃止された駅とを区別するという考えは、ガイド的な発想のみから発するものではないと私は考えています。少々分かりにくかったのかもしれませんが、前に述べたとおり駅を系統化(カテゴライズ)することから生じる発想だと私は捉えています。以前も私の発言がJmsさんにガイド的な発言から発するものだと捉えられましたが、その際も該当する文に「ウィキペディアに一般性を持たせる観点から、現存する駅を重視するべき」という私の考えが記してあったはずです。
分かって頂けると思いますが、記事を系統づけることは駅の記事の主な利用者である鉄道ファンにとっても有益なことです。たとえば日本国内だけでも、廃止駅を含めて多くの駅があります。そしてそれらは所属する地域・路線や廃止されているか否かによって既にカテゴリ別に管理されていることは周知の通りです。ただしこれらのカテゴリは、執筆を全く行わない純粋な読者が実際に記事を情報源として活用する際には私が思うにあまり役立てられてはいません。そこで「現存駅優先」という規律を設けることによって、現存駅と廃止駅の区別が明確化し、読者にとっても筆者にとっても情報の整理がしやすくなります。「廃止されているかどうかというのは論点にはならない」とおっしゃる前に、前に書いたところの「体裁を整える事」についてまずは反論をいただきたい。
あと前に挙げた駅の例では他の用法に記事が執筆されておりませんでしたので、今度は実際に記事が執筆され、その両方の記事がある程度充実している例をご紹介しましょう。土居駅坂戸駅小牧駅小牧原駅飯田駅高島駅大森駅などがその例にあたります。特に注目すべきは項目坂戸駅が、以前に存在した同名駅の廃止によって現在の名称に変更された経緯があること、複数の路線の駅であった小牧駅小牧原駅が、所属していた路線の片方が廃止されたことによって、廃止された路線に関する記事を分離していることです。たしかに2つの同名駅があり、その片方が廃止されている場合、両方が曖昧さ回避のページに記載されているほうがどちらかといえば多数です。よって三木駅に関する議論が収束すれば、これら2つが混在した状態を改善する必要があるでしょう。あとNisigutiさんが「記事が育ってから曖昧さ回避ページを設ける」という考えを示しておられましたが、それならば最初から曖昧さ回避ページを作っておいて、執筆されていない記事に関しては赤リンクで残しておくか、その所属する路線の項目において駅について解説しているページへのリンクを張ればよいでしょう。これに関してはどうお考えですか?
Koneさんは「論点が大きくずれた」とおっしゃいましたが、私の問題提起と捉えてほしかったですね。「横から水を差すようで悪い気がする」と最初に断っておいたのですから。--もんじゃ 2008年5月27日 (火) 16:02 (UTC)

現存する駅を重視することが、どう「ウィキペディアに一般性を持たせる」ことにつながるのかがわかりません。おそらく「一般性」という語の多義性に由来するわからなさではないかと思うので、どういう意味で「一般性を持たせる」と仰っているのか特定していただくのが良いかもしれません。「系統化」「系統づける」というのは、具体的にはどういう意味でしょう。「体裁を整える事」というのは、具体的に何を意味しているのでしょうか。たとえば写真の有無など、読み上げブラウザには関係ないことですか? なお、議論なさりたい内容にはWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 鉄道/駅の方が向いている気がします。--Jms 2008年5月27日 (火) 16:19 (UTC)脱字追加--Jms 2008年5月27日 (火) 22:16 (UTC)
私は、現存駅と廃止駅に差異を設けるべきという考え方も一理有ると思いますし、また逆に平等に扱うべきという考え方も一理有ると思います。しかし「現存駅を重視する」あるいは「現存駅と廃止駅の区別する」ために「現存駅の記事名から()を無くす」というのは、論理が大きく飛躍していて目的に対する手段として妥当だとは感じられません。()を無くす事が本当に利便性を向上させるのか? ()を無くす事が本当に現存駅を廃止駅から区別する事になるのか? と思います。
なぜ記事名から()を無くす事が「現存駅を重視する」になるのでしょうか。以前に私が「まず(現存しているか廃止されているかに関わらず)記事名として()が無い方が望ましいのか否かという点、言い換えれば、記事名の()は必要悪なのか否かという点について明確にしてみては如何でしょうか」と言ったのも、その点が理解できなかったからですが如何でしょうか。
また記事名から()を無くす事が「現存駅と廃止駅の区別する」事になるのでしょうか。同名駅が無ければ廃止駅であっても()は付きませんし、現存の同名駅が複数有れば現存駅であっても()は必要です。偶然同じ名前が付けられた駅が歴史的に存在したか否か、あるいは現時点で存在するか否かという事で、()が付いたり()が付かなかったりするのですから、()の有無で「現存駅と廃止駅の区別する」という論理は、いささか無理が有るように感じます。
「現存駅優先」という考えで現存駅が()無しに改名された記事が有る事は判りますが、()無しの記事名にする事が適切だったのか、また()無しの記事名にする事と記事の充実には何らかの因果関係が有るのか? と疑問は尽きません。本当に記事名から()が無くなる事が仰るような目的の手段として有効なのでしょうか。--Nisiguti 2008年5月27日 (火) 21:34 (UTC)
(追記)記事を「系統化」するのならば、全ての記事に()を付けるべきではないでしょうか。または記事名で現存駅を廃止駅から区別するのならば、廃止駅を何らかの形で「廃止」と明示する以外に方法は無いように思います。現在のように()で事業社名や都道府県を記すのではなく、(廃止)とした上で記事名は○○電鉄××駅とするという方法も有ると思います。ただしその場合は一つの駅で複数の事業者の記事を書く事ができなくなりますので、その点をどうするか検討が必要でしょう。
いずれにしても、「現存駅優先」というのは、現存一駅の例外とは違った意味合いであるように感じますし、統一された見解でも無いように感じますので、その点を議論されるなら、Jmsさんが仰るようにWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 鉄道/駅の方が向いている気がします。--Nisiguti 2008年5月27日 (火) 22:36 (UTC)
(追記その2)
> 最初から曖昧さ回避ページを作っておいて、執筆されていない記事に関しては赤リンクで残しておくか、その所属する路線の項目において駅について解説しているページへのリンクを張ればよいでしょう。
はい、それでも良いと思います。私が疑問に感じているのは、既に()で事業社名や都道府県名が記載されている記事について、()を無くす事が「重要性」や「利便性」などを助ける事に本当になるのか? ()を付けてより具体的に記事の対象を示す方が理解を助けるのではないか? という事です。曖昧さ回避の方法に異論は申しておりません。
「記事が育ってから曖昧さ回避ページを設ける」というのは、私が申し上げた事とは微妙に異なります。これは他の記事が十分に育った頃には曖昧さ回避ページを設ける必要が有るという事でして、他の記事が十分に育つまで曖昧さ回避ページを設けるべきではないという事では有りません。--Nisiguti 2008年5月27日 (火) 23:55 (UTC)
Nisigutiさんの5月27日04:10 (UTC)のご意見に関するコメントです。「確かに確としてはそのとおりだと思うのですが、逆に「三木鉄道の三木駅へ行こうと思っている人にとっては、三木鉄道の三木駅だけが唯一の三木駅であり、神戸電鉄があったことを知る必要もない」とも言えます。」については、私はそう思いません。地図サイトにも時刻表サイトにもすでに記載のない三木鉄道を知っている時点で、その方は三木市周辺にゆかりのある方か、鉄道または地理などの趣味人である可能性がかなり高いです。そのような方が神戸電鉄を知らないわけもないでしょうし、知らないならば知っておくべきだと思います。なので、()なしの三木駅が神戸電鉄の三木駅を示しても、三木鉄道の三木駅を調べたい方には、目的のページでないことは一目瞭然だと思います。
「管理の手間隙も考慮すべきと思うのですが」に関しては、読者の利便性に甲乙をつけがたい2種類以上の方法があるのであれば、執筆者または管理者の手間ひまを考慮すべきだと思います。
もんじゃさんの5月27日16:02 (UTC)のご意見に関するコメントです。有馬口駅大池駅に関しては、同名の記事が現状ではないので、曖昧さ回避の方法は現状で問題ないと思います。Koneさんがおっしゃるように現存の駅記事と廃止された駅記事とは平等に重要な記事だということであれば、廃止されたすべての駅の記事があるべきだとおっしゃりたいもんじゃさんの気持ちも理解できます。廃止駅の記事は現存駅に比べて、その駅の利用者という位置からの記事の必要性は無くなっています。ですから、どちらが重要か選ばなければならないのであれば、現存駅のほうが重要だと私は思います。しかし、廃止駅についても歴史的に語る意義はありますし、現状がどうなっているのか知りたい方もいるでしょう。そういった意味で廃止駅の記事が必要ないとは思いません。私が中新田駅上今泉駅という記事を新規に作ったり、海老名国分駅に大幅な加筆をしたりしたのも、そういった価値観に基づいています。現状では「有馬口駅」「大池駅」の同名廃駅の記事は、執筆を求められていないか、執筆をしようとする方がいないので、もんじゃさんが必要であり書けるということであれば、記事を作ればいいことだと思います。同名記事ができてしまうのであれば、改名なども必要になるでしょう。ウィキペディアを1冊の百科事典ととらえて見れば、各ページの体裁や編集方針などを統一して見やすくする(「統制化」という言葉をこうとらえましたが、合ってますか?)ことはあったほうがいいと思いますが、それには、編集方針を決める人がいて、それに基づいて作られる必要があります。ウィキペディアでは、誰でも加筆編集ができるがゆえに、それは難しいことです。今のように、これが正しいと思って方針化しようとしても、それは正しくないと言う意見が出ることが多くあります。ですから、必要と思われる記事を、必要と思った人が書くということになり、記事のある廃駅と記事のない廃駅ができるのは致し方ないです。ですから、「同名駅どうしをを平等に扱うか、それとも廃止された駅どうしを平等に扱うか選ばなければならない」については、ケースバイケースということになります。今回については、廃止された駅同士を平等に扱うことはできないでしょうが、同名駅どうしをを平等に扱うかもケースバイケースなので、この議論に至っている状態です。
Koneさんのご意見を受けてのコメントです。「変更するのにかかる手間暇・リソースに、それに見合うだけの価値があるかどうか」については、客観的に価値観を判断する手段がないので、それで手間暇・リソースに見合うか判断する論拠にはなりえません。自分の脳内だけにしかない推定を論拠とするのは、笑止千万です。加筆も大事ですが、読みに来る人がいなければ、それは無意味です。
ここまでの議論を見てのコメントです。発議者である七之輔さんのご意見がありません。ぜひ、コメントを寄せていただきたいです。また、三木駅三木駅 (三木鉄道)に告知テンプレートを貼り、Portal:鉄道/話題#個別記事での議論などに告知する必要性があると思います。--とに 2008年5月29日 (木) 03:08 (UTC)
>そのような方が神戸電鉄を知らないわけもないでしょうし、知らないならば知っておくべきだと思います。
いえ、それは三木駅のように隣接する鉄道駅についてだけ言える事であり、現存駅と廃止駅に共通する一般論では有りません。先の発言を言い換えれば、
「とある場所にある駅(はず)のへ行こうと思っている人にとっては、その駅だけが唯一の目的地であり、他府県や歴史的に同名駅があったことを知る必要もない」という事になります。という事ですので、
>()なしの三木駅が神戸電鉄の三木駅を示しても、三木鉄道の三木駅を調べたい方には、目的のページでないことは一目瞭然だと思います。
という訳には行きません。これは目的地が廃止駅であり、かつ偶然隣接地に同名駅が現存する場合に限定された事になります。鉄道駅の記事を執筆しない方が、そのような記事名の命名規則を熟知しているとは、あまり考えられないと思います。
>「管理の手間隙も考慮すべきと思うのですが」に関しては、読者の利便性に甲乙をつけがたい2種類以上の方法があるのであれば、執筆者または管理者の手間ひまを考慮すべきだと思います。
私は記事名から()を無くす事が、利便性を向上させるとは思えないんです…。--Nisiguti 2008年5月29日 (木) 03:48 (UTC)
答えは明白です。ウィキペディアが百科事典をつくるプロジェクトである以上、項目の説明(理解)に何ら寄与しない項目名の是非(それも曖昧さ回避の方法という枝葉末節)云々より、項目の内容の充実のほうが重要であるのは明らかです。
他の廃止駅にもそれぞれ単独の項目があるべき、についてはおっしゃるとおりです。ただし、ウィキペディアは常に発展し続ける百科事典であることを考慮すべきです。今、そのことに関する項目がないからといって、将来にわたって絶対に存在しないということは、まったく保証できませんし、不足していると思えば、そう思った人が文献に当たって項目を立ち上げればいい話です。
「読みに来る人がなければ無意味」について。もちろん、読みに来る人は大切ですが、そこにそのことが記述されていることのほうがより重要です。ウィキペディアは利用ガイドや取扱説明書ではなく、百科事典をつくるプロジェクトであり、「人類の持つ知を余さず網羅しよう」という理想があります。それは、利用者が見に来るかどうかとは無関係です。--Kone 2008年5月29日 (木) 04:05 (UTC)

(コメント)私は2駅、もしくはそれ以上の駅が曖昧さ回避ページに並置されている状態に対して、2駅のうちどちらか片方に曖昧さ回避機能を集約した状態を、()無しの記事が重視されている状態であると確かに考えています。これは同名駅が3駅以上になるとより顕著に感じられるような気がします。土居駅高島駅長瀬駅大学病院前駅本町駅、などがその例です。これらの例では、同名駅間の関係が少なくとも「平等」であるとは私には思えませんが、これについてNisigutiさんはどうお考えでしょうか。また「どちらか(どれか)を重視した状態」でないならば、どのように解釈するのが適切かお答えいただきたいとも思います。
これまでの議論をざっと眺めて、Nisigutiさんの「記事名から()を無くす事が『現存駅を重視する』になるのか」という疑問は、「キーボードから直接入力するような使い方が果たして多いのか」という問いから発していると理解しましたが問題ないでしょうか?それに対する反例を挙げさせてもらうと、私は実際に駅名を検索窓に打ち込んで調べるという使い方をしています。これは私がWikipediaのアカウントを取得して執筆を開始するかなり以前からのことです。よって同様の使い方をしている人が相当数いると考えます。
以上は私がかねてからNisigutiさんの発言に対して感じていた疑問・反論です。Jmsさんなどの意見に対する反論は、これに関してご回答いただいてからにしたいと思います。--もんじゃ 2008年6月1日 (日) 14:44 (UTC)

> 土居駅高島駅長瀬駅大学病院前駅本町駅、などがその例です。これらの例では、同名駅間の関係が少なくとも「平等」であるとは私には思えませんが、これについてNisigutiさんはどうお考えでしょうか。また「どちらか(どれか)を重視した状態」でないならば、どのように解釈するのが適切かお答えいただきたいとも思います。
「どうお考えでしょうか」と仰る意味が良く判らないのですが、同名駅が有る場合にはやはり()が無ければ、本文をよく読まないと同名駅の中のどれの記事なのか判りにくいと感じました。また仮に()が有れば記事名を読むだけで自分の目的とする記事なのか違うのかは一目瞭然になるのではないかと感じました。私にとって土居駅は京阪電車の土居駅しか知らないのですが、こうして記事を改めて見ると
1.「土居駅に同名駅が有ったんだ」と気付き
2.「この項目では大阪府守口市にある京阪本線の土居駅について説明しています」という一文を(何故か)読み飛ばしてしまい、「広島でも岡山でも愛媛でもないな」と思い
3.本文を読んでから「この記事は京阪電車の記事だったのだ」と判断
という過程を踏みました。2については単純な読み飛ばしだったのですが、少なくとも記事名に()が有れば、このような過程は踏む事がなかったように思います。それは恐らく視覚的要素の問題で、例えば記事名に「土居駅 (京阪電車)」のように大きな文字で端的に対象が書かれている場合と、本文に「この項目では大阪府守口市にある京阪本線の土居駅について説明しています」と小さな文字で文章で書かれている場合では、前者の方が認知性が高いという事だと思います。
解釈を求められている対象が良く判らないので、「どのように解釈するのが適切か」は答えられません。しかし上記のように感じたのは事実ですので、仮に現存駅を重視するのなら、重視する対象の理解を妨げる事に妥当性は無いように思います。またそれらの現存駅に()が無いのは、現存一駅の例外に従った「例外」である事は間違い有りませんが、現存一駅を「重視」したものと積極的に解釈する根拠は見当たらないように思います。これで答えになっていますか?
>「記事名から()を無くす事が『現存駅を重視する』になるのか」という疑問は、「キーボードから直接入力するような使い方が果たして多いのか」という問いから発していると理解しましたが問題ないでしょうか?
いいえ、それは違います。
「()付の記事名というのは、()無しの記事名より具体的であり曖昧性が低くなるという利点が有る一方で、記事名が長くなる事を除けば特に欠点は無いように感じます」と私は考えています。
逆に言えば、記事名より()を無くすという事は、記事名が短くなるという利点が有る一方で、()有りの記事名より曖昧であり具体性に欠けるという欠点を生じる事になります。
つまり両者は一長一短であり、必ずしも()の有無で優劣が決まる訳ではないと考えています。
一方的に優劣が決まる訳ではないのだから、「記事名から()を無くす事が『現存駅を重視する』になる」という一方的に優劣を決める事には、当然疑問が生じる事になります。
「記事名から()を無くす事が『現存駅を重視する』になる」事が正しいとすれば
  1. 記事名を短くする事が、現存駅を重視する事になる
  2. 記事名を曖昧にする事が、現存駅を重視する事になる
  3. 記事名が長い事は、現存駅を重視することならない
  4. 記事名が具体的である事は、現存駅を重視する事にならない
という事の少なくとも半分以上が妥当である必要が有るのではないでしょうか。更に言えば
  1. 現存駅を重視するなら、記事名を短くする必要が有る
  2. 現存駅を重視するなら、記事名を曖昧にする必要が有る
という事が言えるなら、仮に現存駅を重視すべきとした時に、記事名から()を無くすという手段は適切と言えるでしょう。
しかし、これらの例は何れも論理の飛躍が有り、前後の文章に論理的な妥当性が全く有りません。
最も最初に申し上げましたが、
「記事名として()が無い方が望ましいのか否かという点、言い換えれば、記事名の()は必要悪なのか否かという点について明確にしてみては如何でしょうか」という点が明確に是であると言えて初めて、上記の前後の文章が妥当であると言えると思いますし、「記事名から()を無くす事が『現存駅を重視する』になる」と言えると思います。
キーボードの例は、重要とする対象は利便性を向上させるべきである、という前提で妥当であるという根拠を示す例として上げたものであり、それ自体には特に大きな意味は有りません。--Nisiguti 2008年6月1日 (日) 18:07 (UTC)
Nisigutiさんの5月29日03:48(UTC)のご意見に対するコメントです。「三木駅のように隣接する鉄道駅についてだけ言える事であり」については、Nisigutiさん自らおっしゃっている通り、三木駅に対して言えることです。ここでは三木駅について議論しています。他府県に三木駅ができた場合には、そのときに話し合えばいい話です。
「目的地が廃止駅であり、かつ偶然隣接地に同名駅が現存する場合に限定された事」についても、Nisigutiさん自らおっしゃっている通り、三木駅に対して言えることです。ここでは三木駅について議論しています。
Koneさんのご意見に対するコメントです。Koneさんのご意見は、例えるならば、「美味い物を出すレストランは儲かる」という理論に近いと思います。逆に、儲かるためには美味い物を出せばそれだけでいいのか?ということを問いたいです。ウィキペディアの運営を金銭的に・労力的に手助けしている方々が、何のためにそれをしているのかを考えるべきでしょう。
もんじゃさんのご意見とNisigutiさんの6月1日18:07(UTC)のご意見に対するコメントです。土居駅、高島駅、長瀬駅、大学病院前駅、本町駅については、現存駅と廃止駅が近隣ではなく他府県にあるので、三木駅の場合とケースが異なります。なので、土居駅などと同様に、神戸鉄道の三木駅を()なしの三木駅とした場合で、三木駅三木駅 (三木鉄道)への誘導リンクを張った場合、神戸電鉄の三木駅を調べに来た方は、「へー、過去に別の三木駅があったんだ。」だけで、それ以上何の混乱もありません。三木鉄道の三木駅を調べに来た方は、「三木鉄道の三木駅については三木駅 (三木鉄道)をご覧ください。」を見て、「あ、三木鉄道じゃない三木駅があるのか。じゃ、これじゃないから、三木駅 (三木鉄道)をクリックすればいいんだな。」と理解し、目的のページにたどり着けます。近隣に現存駅がある三木鉄道の三木駅について、三木鉄道の駅であることを認識しないで調べに来る方はいないと思います。現存駅である神戸電鉄の三木駅については、近隣に廃止駅があろうがなかろうが神戸電鉄の駅であることを認識しないで調べに来る方はいると思います。近隣にある現存駅と廃止駅の違いは、そういうところにあるのだと思います。
Nisigutiさんの6月1日18:07(UTC)のご意見に対するコメントです。「()が有れば記事名を読むだけで自分の目的とする記事なのか違うのかは一目瞭然になるのではないか」については、同意できません。それは、神戸電鉄の三木駅については、神戸電鉄の駅であることを認識しないで調べに来る方がいる可能性があるからです。(神戸電鉄)があることによって、現存唯一の三木駅を調べに来た方にとっては、かえって曖昧に(混乱)させてしまう可能性があるからです。--とに 2008年6月2日 (月) 02:35 (UTC)
> ここでは三木駅について議論しています。他府県に三木駅ができた場合には、そのときに話し合えばいい話です。
ここまでの議論では主として現存駅と廃止駅という事について話されてきましたが、三木駅に限った特徴については主要な話題ではなかったように思います。とにさん自身も、「現存では三木鉄道は廃止されたばかりで話題性があり、三木鉄道の三木駅を調べに来る方もかなりいると見ることもできるでしょう」としながらも「すでにない駅について調べに来る人は圧倒的に少ないのではないかという意見も一理あると思います」(2008年5月22日 (木) 09:46 (UTC))と仰っており、三木駅に限定した特徴ではなく廃止駅に共通する特徴を根拠にされていたと思います。
私としては「現存一駅の例外」規定に対して、駅の廃止に伴い現存一駅になった場合に「駅名のみとしなければならない(must)」「駅名のみとすべきである(should)」という改名派の考えと、「駅名のみでもよい(may)」「駅名のみとすべきでない(should not)」という非改名派の考えが、今後も対立が生じるのは好ましくないと考えコメントした次第です。しかし、三木駅に限定した話をすべきであり、一般的な話は別にすべきであるという事でしたら、発言は控えたほうが良いかも知れませんね…。他の皆さんはどうお考えなのでしょうか。
> 神戸電鉄の三木駅を調べに来た方は、「へー、過去に別の三木駅があったんだ。」だけで、それ以上何の混乱もありません。
(中略)
> 神戸電鉄の三木駅については、神戸電鉄の駅であることを認識しないで調べに来る方がいる可能性があるからです。(神戸電鉄)があることによって、現存唯一の三木駅を調べに来た方にとっては、かえって曖昧に(混乱)させてしまう可能性があるからです。
前者と後者は矛盾しています。
前者は自分が目的とする駅が神戸電鉄の駅であると認識しているから、(三木鉄道)の表記を見てそれが「別の三木駅」と認識できるのに対して、後者は「神戸電鉄の駅であることを認識しない」場合を問題にされています。
現存駅を「神戸電鉄の駅であることを認識しない」人が大多数なら、「(三木鉄道)があることによって、かえって曖昧に(混乱)させてしまう可能性がある」と言えますし、また逆に「神戸電鉄の駅であることを認識しない」人が少数ならば、『「へー、過去に別の三木駅があったんだ。」だけで、それ以上何の混乱もありません』と言えます。
そもそも、自分の目的とする駅の鉄道会社を「認識する人」も「認識しない人」もどちらも有る事です。鉄道会社の規模にも左右されますし、鉄道会社と自分との係わり合いによっても左右されます。三木駅についても私ととにさんで認識の度合いも違うであろうという事は容易に想像できますので、そのような事を基準に論議しても単なる水掛け論に終始してしまい一向に結論に至る事は有りえません。--Nisiguti 2008年6月2日 (月) 04:56 (UTC)
申し訳ありませんが、おっしゃる意味がよく理解できません。たとえば、同じような名前だけど、一方がお勧め料理で、他方はそうでもないから、お勧め料理のほうをメニューに大きく書けということでしょうか。この件については、すでに両者を客観的に格付けできる、検証可能なデータを示すことができない以上、格差をつけるのは不可能であるという結論が出ていると思うのですが。--Kone 2008年6月2日 (月) 05:12 (UTC)

先の私の意見に対するNisigutiさんの返答によって、この改名提案におけるNisigutiさんの立場がはっきりと理解できました。ありがとうございます。しかしNisigutiさんが土居駅を閲覧した際に踏んだプロセスが、他の読者と共通したものなのか疑問です。というのも、「土居駅に同名駅が有ったんだ」と気づくにはOtherusesテンプレートが他の用法への案内の機能があることをよく理解しておくことが必要となるからです。もしOthereusesテンプレートの機能を知らない人が土居駅を見た場合、「土居駅に同名駅が有ったんだ」ということに即座には気づかず、まず「この項目では大阪府守口市にある京阪本線の土居駅について説明しています」という一文を読むか(Othereusesテンプレートの機能を知らないので、この文を読み飛ばして「土居駅に同名駅があったんだ」とは知り得ません)、本文を読むかのどちらかだと思われます。その場合、「現存する土居駅」の情報を求める人には不都合は生じず、むしろその人たちに対してとにさんの言う「利便性」が確保された状態であるように思われ、それゆえ「京阪の土居駅」が重視された状態であるとも考えます。

また土居駅の他の用法についての記事が読みたい人にとってもこの形態は不便なものではありません。これを説明するには私の百科事典に対する考えを説明する必要があると思います。これはJmsさんの「現存する駅を重視することが、どう『ウィキペディアに一般性を持たせる』ことにつながるのかがわからない」という疑問に対する答えにもなり得ますのでここで書かせて下さい。まず、人は「三葉虫」などの間接的にしかその存在(したこと)を知り得ないものと、「リンゴ」などの容易にその存在が確認できるものとを区別して捉えているということには異論はないと思います。その上で、私は百科事典における、間接的にしかその存在を知り得ないものに関する記事は、他の記事に対して相対的に専門性が増すと考えています。例えば、現実に存在する「リンゴ」に対して「リンゴの祖先」という記事は、植物や考古学に感心のある人以外にとってはあまり意味をなしません。「三葉虫」はその中でも知名度が高いですが、これもやはり考古学に多少なりとも感心のある人を読者として想定したもので、専門的な情報と言えるでしょう。これらが私の言うところの「情報の需要」に関する説明です。駅の例に戻ってみると、現存駅は多くの場合実際に機能し、その項目を利用する人には鉄道ファンだけでなく、その駅がある地域に住んでいる人や、その駅がある地方の経済の考察をする人など、鉄道に関して専門的な知識をもたない人も想定できます。それに対して廃止駅に関する情報を調べようとする人は、その廃止駅についてある程度の情報を有しているか、その駅が所属していた路線に対する知識を有しているかのどちらかだと思われ、その駅に関する項目は鉄道、あるいはその駅に対して知識を持った人を対象とする「専門的な」情報です。よってその方法が何であれ、「現存する駅を重視」すれば、「ウィキペディアに一般性を持たせる」ということにつながると私は考えます。最後に「土居駅」の例に戻ります。「土居駅」に関しても上と同様のことを言うことができ、「廃止された土居駅」を参照するのはその駅についてある程度の知識を有しているか、その駅が所属していた路線に対する知識を有している人です。以下に私が想定した、廃止された土居駅に関する情報を求める人が実際に目的とするページに辿り着くまでのプロセスを、比較のためにNisigutiさんの書き方にあわせて書いてみます。ただし1つめの手順に関しては2通りの例が考えられますので、これらをA,Bとして区別し、双方ともOtherusesテンプレートの役割を知らない純粋な読者と想定します。

    • (A)廃止駅と同名の駅が現実に存在していることを知っているので、即座に目的のページではないことを判断(目的とする廃止駅に関する情報をある程度有している場合。三木駅 (三木鉄道)にのような同名駅が近接している状態に関しても同様の手順を踏むものと思われます。)
    • (B)廃止駅と同名の駅が存在することを知らず、前段落で挙げた手順でこの項目が「京阪の土居駅」であることを理解(廃止駅の所属する路線に関する情報を持ち、目的とする廃止駅に最低限の情報を持っている場合。深江駅 (長崎県)などの同名駅が別々の場所にある場合に関しても同様の手順を踏むものと思われます。)
  1. 「廃止された土居駅」の情報を求める人に対して何らかの対処が行われているはずと判断
  2. Otherusesテンプレートで目的とするページを見つける。

廃止された駅が所属する路線に関する情報しか持っていない人は、その路線のページから目的とするページに辿り着くと思われるので、この想定の中に含まれていません。また(A)の人は、廃止駅の所属する路線に関する情報を有していない場合、実際に他の用法のどれかをクリックして逐一自分の目的とするページであるかどうかを確かめなければなりませんが、それは項目「土居駅」を曖昧さ回避ページとした場合も同じことです。このように、現行の土居駅の形態は現存する土居駅を目的とする人に対しては利便性が確保され、廃止された土居駅に関する情報を求める人に対してもさほど不便なものではないと私は考えています。

最後に、なぜ現存する駅に対して利便性を確保する必要があるのかということに関してですが、それは上で示したとおり、現存駅の項目の読者には「鉄道に関して専門的な知識をもたない人も想定できる」ということに関連しています。例えば「○○市の交通の中心となっている○○駅はどのようなものか」といった、駅の名前以外に全く情報を持っていない読者が現存駅を参照する可能性だってあるのです。そのような「鉄道に関して専門的な知識をもたない人」が目的とする駅を調べようと思ったとき、その駅と同じ名前の廃止駅が存在し、それらが曖昧さ回避ページに列挙され、なおかつ読者がその駅の所属する路線に関する情報を全く有していない場合、その読者は自分の目的とする駅が所属する路線に関する情報を調べる必要に迫られ、そのような人にとっての「利便性」は全く考慮されていないことになります。時には「○○駅はもう廃止されてしまったのかもしれない」という勘違いをも生む可能性もあります。またNisigutiさん「現存の同名駅が複数有れば現存駅であっても()は必要」という意見に大してですが、このような場合には新田駅のような形態で対処できると思います。「ならば全てこの形態に揃えればよい」と言われそうですが、やはり「読者の利便性」を考慮するのであれば、○○駅と検索してその駅の中の現存駅が表示される形態が優れており、できるだけこの形態にそろえるべきと考えています。

「それならば、 三木駅三木駅 (神戸電鉄)へのリダイレクトにして、三木駅 (神戸電鉄)三木駅 (三木鉄道)への誘導リンクを作る方法でも解決できる」という意見、つまり三木駅 (神戸電鉄)の()をわざわざ取らなくとも対処できるという意見もあると思いますが、これには以前に述べた「記事の体裁」という観点から反対します。もし三木駅をリダイレクト方式にしたとすると、しつこいですが有馬口駅などの同じ廃止駅どうしで扱いに差異が生まれてしまいます。有馬口駅に関しては記事が充実してから分離させればよいと皆さんはお考えのようですが、そうであっても記事が充実するまでこの「差異」は放置されることになります。特に有馬口駅などの大戦前に廃止された駅は執筆が困難ですし、また同様の例は多々あります。そこで現存駅が一つのみの場合はその駅の()を外すことによって、有馬口駅などの執筆が困難な駅の充実を待たなくとも廃止駅間の扱いが統一できるのです。それに、現存一駅の場合の項目名のつけ方を今後統一するということになれば、三木駅に倣って他の駅に関しても改名が必要となります。その際にもやはり管理者の手間が掛かりますから、管理者の手間暇といったことは現存維持の論拠とはならない気がします。--もんじゃ 2008年6月3日 (火) 02:20 (UTC)(一部追記)--もんじゃ 2008年6月3日 (火) 03:05 (UTC)

私が最初から申し上げているのは、現状問題のないものを、あえて手間暇かけて「修正」しなければならならいのかということです。それは、三木駅のケースでも有馬口駅のケースでも同様です。三木鉄道の三木駅と神戸電鉄の三木駅についてどちらが、より有用かを決めることは不可能であることは、すでに指摘されていますし、具体的にデータを示した反論もありません。現存駅のほうが有用であると主張されるのであれば、これも前から申し上げていますが、検証可能なデータを具体的に示していただきたい。それが示されない以上、改名論は机上の空論、砂上の楼閣であって門前払いせざるを得ません。また、全てを一つの様式に統一するという作業についても、現状、取り立てて問題がなければ(致命的な不合理が生じるのでなければ)、そのままにしておいて問題はないでしょう。とにさんやもんじゃさんは、単に雑草とりのための雑草の栽培をしたいだけとしか見えません。そんなどうでもいいことに費やす暇があれば、項目の内容を充実させてください。それが、ウィキペディアンとして第一にとるべき行動でしょう。--Kone 2008年6月3日 (火) 04:00 (UTC)
もんじゃさんへ
> Nisigutiさんが土居駅を閲覧した際に踏んだプロセスが、他の読者と共通したものなのか疑問です。というのも、「土居駅に同名駅が有ったんだ」と気づくにはOtherusesテンプレートが他の用法への案内の機能があることをよく理解しておくことが必要となるからです。
すみませんが、全く意味が判りません。
> この項目では大阪府守口市にある京阪本線の土居駅について説明しています。
> 広島県山県郡戸河内町にあったJR西日本可部線の駅については土居駅 (広島県)をご覧ください。
> (以下省略)
この文章を読んでも同名駅の存在が理解できない人の事を言っているのですか?
もしそういう事を仰っているのなら、議論する価値は有りません。
記事名の改名を議論しているというのに、記事本文の読解力が無い人を対象にする事に何の意味も有りません。
ここまで議論を続けてきた末にこのような返答しかできない事に大きく失望しています。Koneさんの仰るように、これまでの議論に費やした皆さんの時間を記事本文の執筆に費やしていた方が、よほど有益でよほど利便性を高めていたでしょう。
前提条件が違いすぎますので、非常に残念ですが今回はコメントは差し控えます。--Nisiguti 2008年6月3日 (火) 10:01 (UTC)

Koneさんへ
>「すでにない駅について調べに来る人は圧倒的に少ない」というのは、信頼に足る典拠をを欠きます…(5月22日)
では廃止駅を調べに来る人が相当数存在するという信頼に足る典拠を示して下さい。
>「5:5や6:4ぐらいなら〜」については、それを客観的に定量化する手段がないので、それでは項目名に格差をつける論拠にはなりえないと申し上げています。(5月23日)
あなたが「誰もが検証可能な方法でその割合(アクセス数)を示」せばとにさんに対する有力な反論になるのではないですか?
>この件については、すでに両者を客観的に格付けできる、検証可能なデータを示すことができない以上、格差をつけるのは不可能であるという結論が出ていると思うのですが。(6月2日)
では格差がないという理由を検証可能なデータで示して下さい。

姑息な議論と思われるかもしれませんが、あなたと同じことをしたまでです。必要以上に相手に具体的な証拠を求めても、相手に同じ事をされるだけで、もし相手に具体的な数値のような証拠を求めるならば、その数値を割り出すための具体的な方法を示すなど、責任のある行動が求められると思います。あなたの行為は相手に証明不可能なことを要求して議論をうやむやにしているようにしか思えません。とにさんが具体的な数値を挙げて自分の意見を説明しているのは、それを自明と考えているからで、その根拠はすでにとにさんや他の人の意見の中に含まれています。もしそれでもとにさんの意見に不満がおありのようでしたら、あなたがとにさんに求めるべきものは「検証可能なデータ」ではなく「根拠」です。「根拠」は「具体的な数値」にかなうといったことは一般的な常識であるような気もするのですが。例えば、ディベートなどをする際に具体的数値を求められたら図書館に駆けていってでもそれを示す必要があるのですか?それに私の主張の中に、それを証明するのに具体的な数値を必要とする事柄はありません。
また「現状問題のないものを、あえて手間暇かけて『修正』しなければならならいのかということ」についてKoneさんが「最初から申し上げている」ことは重々承知しています。そのことが理解できないがために議論が終結しないのではありません。私も含め、改名派はそのことを承知したうえであえて意見を述べているんです。つまり、改名は管理者の手間暇を掛けるに値すると考えているということです。「そんなつまらないことに手間暇を割く余裕があるのなら、有益な記述をいくらかでも加筆」するのがウィキペディアにおいて確立された常識であるようにおっしゃっていますが、それはウィキペディアが百科事典を標榜するにあたって適切な方針でしょうか。私はそうは思いません。
また、「全てを一つの様式に統一するという作業についても、現状、取り立てて問題がなければ、そのままにしておいて問題はないでしょう」という発言についてですが、この「そのまま」にした状態が実際の百科事典においてはどのような状態にあたるかということについて考えたことがありますか?私は「統一性」は百科事典を百科事典たらしめる重要な要素の一つだと認識しています。たとえば現存一駅の状態で曖昧さ回避の方法が異なるのはとてもぎこちないと感じられ、記事が充実していないことを露呈しているようにしか思えません。百科事典であれば、ページごとにフォントが異なっているようなものです。「有益な記述」を手当たり次第に加筆して、それをまとめたところで百科事典といえるでしょうか?百科事典としての体裁を整えること、これが「ウィキペディアンとして第一にとるべき行動」と私は考えていますがいかがでしょうか?

Nisigutiさんへ 私は「Othereusesテンプレートの機能を知らない人」と書いたわけで、「Othereusesテンプレートの機能を理解できない人」と書いたのではありません。つまり、ウィキペディアの執筆に関するルールを知らない、単純にウィキペディアを情報源として活用しようとしている人を読者として想定したのです。ウィキペディアが中立的であるのならばそうするべきではありませんか?Nisigutiさんが「この項目では大阪府守口市にある京阪本線の土居駅について説明しています」という一文を読み飛ばしたのは、Otherusesテンプレートが付いている時点で「この駅と同じ名前の駅が存在する」ということを知ったわけで、それができるのはウィキペディアで活動している人か、ウィキペディアを情報源として使い慣れている人のどちらかだということです。
私がこういった場での議論に不得手であることは前々から承知しております。ですからもう一度私の2008年6月3日 (火) 02:20 (UTC)における主張を読んでみては下さいませんでしょうか。--もんじゃ 2008年6月3日 (火) 13:22 (UTC)(一部追加)--もんじゃ 2008年6月3日 (火) 14:16 (UTC)

「格差がないという理由を検証可能なデータで示して下さい。」について。その検証が不可能であるから、格差があるかどうかを判定することができないので、「格差がある」ことは、論拠として不適当であると申し上げています。そのような論拠をよりどころにして、改名論を展開すること自体がナンセンスであるということです。格差があるから、改名すべきという主張は、全く論拠を欠いています。私は、格差があるのかないのかわからないなら、両者に格差はないと推定すべきであり、無理な理屈をもって改名することはないと主張しているだけです。格差があると断言し論拠とするからには、その論拠を示す義務は、格差があると主張する側にあると考えますが、いかがでしょう。--Kone 2008年6月4日 (水) 04:04 (UTC)
私は
>> この項目では大阪府守口市にある京阪本線の土居駅について説明しています。
>> 広島県山県郡戸河内町にあったJR西日本可部線の駅については土居駅 (広島県)をご覧ください。
>> (以下省略)
>この文章を読んでも同名駅の存在が理解できない人の事を言っているのですか?
と書いているように、Othereusesテンプレートの機能の事など何も言っていません。ブラウザに表示されたこの文章を理解できない人を想定する事は無意味であるという事を指摘しているのであって、この文章がOthereusesテンプレートで表示されていようが、Othereusesテンプレートを使わずこの文章が書かれていようが、この文章を理解できるか否かとは全く関係の無い事です。
私自身、Othereusesテンプレートなど使った事は有りませんので、
> Otherusesテンプレートが付いている時点で「この駅と同じ名前の駅が存在する」ということを知った
というのは、もんじゃさんの思い込みに過ぎません。--Nisiguti 2008年6月4日 (水) 04:10 (UTC)

(行を戻させて下さい)
Koneさんへ
私は利用者数に格差が生じるであろうことには同意していますが、それを論拠にしているわけではありません。むしろ私はあなたの「アクセス数のみをもって項目の存在価値を論ずること自体、合理的とは思えない」という意見に同意しているんです。ですから私の意見が「正当な根拠を欠いている」と早合点せずにもう一度読んでみては下さいませんか?それにとにさんも「格差がある」ことを論拠として用いているわけではありません。これももう一度ちゃんと読んでみて下さい。少なくとも論拠の正当性が問題になってからは利用者数の格差の問題とは独立していることが分かるはずです(私はざっと確認しただけなので、必ずしもそうではないかもしれません)。我々の考えが「検証可能なデータを必要としている」とお考えになっているのはとにさんの「5:5や6:4ぐらいなら〜読者の利便性にかなうのではないでしょうか。」という発言に引きずられているためと思われますが、これもとにさんが自分の考えを明確化するために具体的な数値を「例示」しているだけで、「論拠」としては用いていないんです。前にも述べたようにこれに関する根拠は他にあります。それに万が一利用者数の格差を論拠として用いたとしても、それを証明するための具体的な数値を求めるというのはおかしな話じゃありませんか?なぜなら具体的な数値を求める前に、その意見が妥当性を省いていたらそれを指摘すればよいだけの話で、具体的な数値を求める必要は無いからです。つまり、相手にそれを証明するために具体的な数値を求めるということは、自分が相手の意見の妥当性をある程度認識しているということなんです。例えば体育の教官に「腕立て伏せを100回やれ」といわれてやっとこさやり終え、教官に報告に行ったら「ではその証拠を出せ」と言われるのと同じようなことです。それにそのように(あなたの考える)意見の不適切さを指摘しても、連鎖的に相手の意見全体が不適当となるわけではありません。なぜならその「正当な裏付けを省く根拠」は相手の論拠のうちの1つでしかないからです。そのうえ証明が不可能な論拠を指摘したところで、その「証明が不可能な論拠」は自分の主張を支持するものとはなり得ないはずです。よって未だにKoneさんが「論拠の不適切さ」を論拠として用いている事はおかしいはずです。おわかりですか?

Nisigutiさんへ
だから私は一度も「ブラウザに表示されたこの文章を理解できない人を想定」しているとは言っておりません。私が想定しているのはあらゆる意味でウィキペディアを使い慣れていない人、例えば駅名を検索エンジンで検索したら、たまたまウィキペディアのページがでてきてそこに飛んだといった人を想定しているのです。このような人が「この項目では大阪府守口市にある京阪本線の土居駅について説明しています。」という文を読まずして「土居駅に同名駅があったんだ」とは知り得ません。ましてやこの文を読み飛ばして「広島でも岡山でも愛媛でもないな」とは考えないはずです(Otherusesテンプレートの機能を知らないとはこういったことを指しています)。そして次に、あなたがなぜ土居駅に同名駅があることを即座に知り「例の一文」を読み飛ばしたのか考えてみて下さい。私が思うにそれはあなたがウィキペディアにおける曖昧さ回避の方法を熟知していて、Otherusesテンプレートが貼付されている時点で同名駅があることを知った、つまりOtherusesテンプレートが他の用法への案内をしていることを知っていたからです。これが私の言う「Otherusesテンプレートの機能を知っている」状態にあたります。私が同名駅3駅以上の現存一駅の例として挙げた時点であなたが「土居駅に同名駅がある」ということを知ったということも考えられますが、それでは一昨日のように例示するのに適切ではありません。
あなたの発言は「私の不適切な発言を待ってそれを根拠に投稿ブロックをかけてもらって厄介払いをしてしまおう」というふうにも思えるんです。どうか私の主張を聞いて下さいませんか。私の主張を理解する事が煩雑であることは前に述べた通り承知していますし、Nisigutiさんの意見が理解できずに何度も見当違いな発言をしてしまったことも深く反省しております。しかし悲しいかな、私は一度として自分の主張が理解されたと感じたことはないのです。--もんじゃ 2008年6月4日 (水) 06:10 (UTC)

どうも話が噛み合いませんね。
確かにもんじゃさんは『「ブラウザに表示されたこの文章を理解できない人を想定」しているとは言っておりません』。しかしもんじゃさんの言っている事は、そういう人にしか合わない話をされているんです。机上の空論と言っても良いです。
> この項目では大阪府守口市にある京阪本線の土居駅について説明しています。
> 広島県山県郡戸河内町にあったJR西日本可部線の駅については土居駅 (広島県)をご覧ください。
仮にこの二行目を先に読んだとしても、その時点で「土居駅に同名駅があったんだ」と判ります。何故なら私が知っている土居駅は大阪府の駅なのです。もんじゃさんは
> 「この項目では大阪府守口市にある京阪本線の土居駅について説明しています。」という文を読まずして「土居駅に同名駅があったんだ」とは知り得ません。
と言いますが、それに該当するのは大阪府と広島県が別の場所であるという事を理解できない人だけです。
> ましてやこの文を読み飛ばして「広島でも岡山でも愛媛でもないな」とは考えないはずです
それは単なる思い込みです。私の知っている土居駅は大阪府なのですから、大阪府が「広島でも岡山でも愛媛でもない」という基礎的な知識を知っていれば自明の事です。一行目の文章が有ろうが無かろうが、全く関係が有りません。
> 私が思うにそれはあなたがウィキペディアにおける曖昧さ回避の方法を熟知していて、Otherusesテンプレートが貼付されている時点で同名駅があることを知った、つまりOtherusesテンプレートが他の用法への案内をしていることを知っていたからです。
それも単なる思い込みです。一行目を読み飛ばしたところで、二行目の文章が自分の知っている土居駅と違う駅の事であると理解できる人なら、Otherusesテンプレートの存在など関係なく理解できる事です。
人の思考は一つ一つ逐次的な行われるものでは有りません。ノイマン型コンピュータじゃないのですから、一つの事が終わるまで他の事ができないという事でも有りません。様々な思考が順序に関係なく思いつくものです。たとえ
1.「土居駅に同名駅が有ったんだ」と気付き
2.「この項目では大阪府守口市にある京阪本線の土居駅について説明しています」という一文を(何故か)読み飛ばしてしまい、「広島でも岡山でも愛媛でもないな」と思い
と書いていても、これらはほぼ同時の事です。ですから1→2と順番に思考する事を前提とした
「Otherusesテンプレートが他の用法への案内の機能があることをよく理解しておくことが必要」
というのは非現実的な話です。そんな事ではなく読解力が無いから理解できない、読解力が有れば理解できる、ただそれだけの事です。Otherusesテンプレートの機能など全く関係が有りません。
> あなたの発言は「私の不適切な発言を待ってそれを根拠に投稿ブロックをかけてもらって厄介払いをしてしまおう」というふうにも思えるんです。
それも単なる思い込みに過ぎません。もんじゃさんの主張に同意できないのは、単にもんじゃさんがご自身の間違った思い込みを前提にして、私の体験について奇想天外な解釈をしているからです。--Nisiguti 2008年6月4日 (水) 16:19 (UTC)
前にも話したように、ウィキペディアが中立的なら最低の条件で読者を想定すべきです。つまり今の場合なら「『土居駅』という名前のえきが存在している」という最低限の情報しか持たない人を読者として想定すべきだと私は考えます。なぜこのような読者が想定できるかということは私の2008年6月3日 (火) 02:20 (UTC)における主張に記してあります。ついでに言っておくとこのような読者が想定されるゆえに改名すべきだとも書きました。また最低の条件といっても「ブラウザに表示されたこの文章を理解できない」ような例は特殊なため、想定するのは適切ではありませんし、していません。
また、私は「一行目を飛ばしても土居駅に同名駅があると即座に理解できるか」ではなく「なぜ一行目を飛ばしたのか」について問うています。よって、「それも単なる思い込みです。一行目を読み飛ばしたところで〜」については前者に対する回答となっていますのでコメントしません。また、「仮にこの二行目を先に読んだとしても、その時点で『土居駅に同名駅があったんだ』と判ります。」については何ら異論はありません。私は「少なくとも記事名に()が有れば、このような過程は踏む事がなかった」という論拠を否定して、「記事名に()を付けることによって具体性が増す」というあなたの主張に反論しようとしています。つまり記事名に()を付けて「読み飛ばし」を回避する必要性を否定しようとしているのであり、一行目を読み飛ばしたり、記事に飛んだ時点で「土居駅に同名駅があったんだ」と知ったりする行為があなたに限ったものだと論証できれば、それができると考えているんです。
また「『この項目では大阪府守口市にある京阪本線の土居駅について説明しています。』という文を読まずして『土居駅に同名駅があったんだ』とは知り得ません。」という私の発言は「土居駅に同名駅があったんだ」ということを即座に認識したあなたの体験を疑問視したもので、これを飛ばすかどうかといったことは関係ありません。別に二行目から読んだって問題はありません。確かに、あなたが「1→2と順番に思考する事を前提」にすることが不適切と言うならば、この一文も同様に不適切ですが、それならばあなたは何を見て「土居駅に同名駅があったんだ」と知ったのか、この際ご説明下さいませんか。
「ましてやこの文を読み飛ばして『広島でも岡山でも愛媛でもないな』とは考えないはずです」に関しても、あなたはわたしの意に反した解釈をなさっています。私は「一行目を飛ばして『広島でも岡山でも愛媛でもないな』と考えることができない」と言っているのではありません。ただ思考の手順が間違っているということを指摘したかっただけで(ちなみに「様々な思考が順序に関係なく思いつくものです」というあなたの意見には反対です)、一段落目に挙げた「最低限の想定」において、読者が「一行目を読み飛ばすことが頻繁に起こるのか、あるいはそう想定すべきなのか」という私の疑問に言及したものです。例えば読者が土居駅に関する情報をあまりもっておらず、なおかつウィキペディアを使ったことがない状態を想定してみて下さい。このような人が一行目を飛ばして読むだろうか、と言っているのです(念のため言っておきますが全くないと言っているわけではなく、一般的ではないという意味です)。
最後になりましたが、私の記述が不十分であったことでNisigutiさんに誤解をさせてしまったことをお詫びします。--もんじゃ 2008年6月5日 (木) 12:18 (UTC)
どうももんじゃさんは、ご自身の推測は私の体験より正しいとお考えのようですね。まさか一行目を特に意識せずに「土居駅に同名駅があった」と考えた事が、「思考の手順が間違っている」と言われるとは思いもしませんでした。
> それならばあなたは何を見て「土居駅に同名駅があったんだ」と知ったのか、この際ご説明下さいませんか。
質問されるのは結構ですが、貴方は自分の推測と異なる事を受け入れる事ができるのですか? 私は既に二行目以降とほぼ同時だと言っています。それにも関わらず、
> 「様々な思考が順序に関係なく思いつくものです」というあなたの意見には反対です
などと、ご自身と異なる感想を受け入れられないのなら、質問する意味など有るとは思えません。私が言っているのは、他人の思考を推測した話などではなく自身の体験を言っているのですから、それに「反対」されても困ります。
引用順が逆になりますが、
> 私は「少なくとも記事名に()が有れば、このような過程は踏む事がなかった」という論拠を否定して、「記事名に()を付けることによって具体性が増す」というあなたの主張に反論しようとしています。
そんな反論をされても困ります。私は自分の体験で感じた事を「同名駅が有る場合にはやはり()が無ければ、本文をよく読まないと同名駅の中のどれの記事なのか判りにくいと感じました。また仮に()が有れば記事名を読むだけで自分の目的とする記事なのか違うのかは一目瞭然になるのではないかと感じました」と感じたまま言っているのであって、そう感じたのは貴方が信じようが信じまいが事実です。
> つまり記事名に()を付けて「読み飛ばし」を回避する必要性を否定しようとしているのであり、一行目を読み飛ばしたり、記事に飛んだ時点で「土居駅に同名駅があったんだ」と知ったりする行為があなたに限ったものだと論証できれば、それができると考えているんです。
全く理解できません。私は「土居駅 (大阪府)」と「土居駅」のどちらが大阪府の土居駅の事を指しているのか判りやすいか、という当たり前の事を言っているだけです。まして私は「記事名に()を付けて「読み飛ばし」を回避する必要性」など全く主張していません。私が「少なくとも記事名に()が有れば、このような過程は踏む事がなかったように思います」といった「この過程」とは、「読み飛ばし」をした事ではなく、本文を読む行為そのものです。「()が有れば記事名を読むだけで自分の目的とする記事なのか違うのかは一目瞭然になる」と明確に言っていますよね。
もう私には貴方が()を取りたいから、それに反する事に難癖を付けているだけにしか思えません。
また引用順が逆になりますが、
> ウィキペディアが中立的なら最低の条件で読者を想定すべきです。つまり今の場合なら「『土居駅』という名前のえきが存在している」という最低限の情報しか持たない人を読者として想定すべきだと私は考えます。
と貴方は仰いますが、明確に反対を申し上げます。
「中立的」である事と「最低限の情報しか持たない人を読者として想定すべき」という事には、何ら妥当性が有りません。全く理由になっていないばかりか、特定の読者を想定する事が「中立的」とは全く理解に苦しむ論理としか言い様が有りません。日本語ではそれを「中立的」とは言いません。
また、
> 例えば読者が土居駅に関する情報をあまりもっておらず、なおかつウィキペディアを使ったことがない状態を想定してみて下さい。このような人が一行目を飛ばして読むだろうか、と言っているのです(念のため言っておきますが全くないと言っているわけではなく、一般的ではないという意味です)。
と仰いますが、「土居駅に関する情報をあまりもっておらず、なおかつウィキペディアを使ったことがない」という経験の低い読者に特定した状態に当てはまらない事を理由に、「一般的ではない」とするのも全く理解できません。日本語ではそのような読者を「一般的」とは言いません。
お詫びなどして頂かなくて結構ですので、ご自身の意見だけが正しいと思わないで下さい。--Nisiguti 2008年6月5日 (木) 15:33 (UTC) (追記)--Nisiguti 2008年6月5日 (木) 21:16 (UTC)
>「中立的」である事と「最低限の情報しか持たない人を読者として想定すべき」という事には、何ら妥当性が有りません。
あなたのこの意見が正しいとすれば、私の意見の大部分が成り立ちませんので、まずはこれから反論しておきます。まず、「ウィキペディアが中立である」といいますが、何ら手を加えない状態で本当にウィキペディアが中立的かどうか考えてみて下さい。わたしはそうは思いません。なぜならウィキペディアを執筆・整理するのはパソコンの扱いに馴れているいる人、その中でも特に若い世代だからです。従って記事の対象とする事物はこのような視点で捉えられる事となり、こうなると執筆者は自分のような人間以外を読者として想定しにくくなります。このような「非中立的」な状態を打開するために、私は読者をあらゆる条件で想定すべきと考えており、この改名提案の場合「最低限の情報しか持たない人を読者として想定すべき」と考ているのです。また「議論する場所が違う」と言われそうですが、これは今回の改名提案に密接に関係していると思いますし、そうでなければわざわざこんな所で持ち出したりしません。
>全く理由になっていないばかりか、特定の読者を想定する事が「中立的」とは全く理解に苦しむ論理としか言い様が有りません。
私は2008年6月3日 (火) 02:20 (UTC)の意見で1.『土居駅』という名前のえきが存在している」という最低限の情報しか持たない人、2.廃止された土居駅に関する情報を求める人の二種(2に関しては条件別にさらに細分)を想定し、1の読者に配慮した状態が、2の読者にとっても不便でないか、同名駅を並置した状態より不便なものとはならないことを示しました。あなたの「特定の読者を想定する事が『中立的』とは考えられない」という意見は確かにもっともらしいですが、読者を想定すること以外に記事の中立性を証明する方法があるのでしょうか。あるのならそれを示して下さい。あなたの「中立」という言葉に対する認識が、どれだけ曖昧なものか分かるでしょう。「日本語ではそれを『中立的』とは言いません。」についても撤回すべきです。
記事の中立性を証明するのなら、本来ならあらゆる読者を想定すべきです。ただし廃止駅と現存駅を並置した今の状態が「中立的でない」(あなたはそう考えないのかもしれませんが)のは、最低限の情報しか持たない人、鉄道に関して専門的な知識をもたない人に対する配慮が欠けているためと考え、(あなたのようなタイプの読者に対する利便性を少々犠牲にしようとも)そのような読者に対する利便性が大幅に向上すれば、それが解消されると考えたのです。よって私の意見においてこのような読者において利便性が確保されることを示し、2008年6月3日 (火) 02:20 (UTC)の意見においては私の主張が中立的である事を示すために(廃止された土居駅の情報を求めるという)対極の条件でも読者を想定したのです。私はこの2者における想定で、私の意見が中立的である事を証明するに足ると考えますが、もしこれだけで満足できないという場合にも、(前に挙げた「特殊な例」を除く)あらゆる読者にとって、私の意見が中立的であることを証明できる自信があります。
>どうももんじゃさんは、ご自身の推測は私の体験より正しいとお考えのようですね。まさか一行目を特に意識せずに「土居駅に同名駅があった」と考えた事が、「思考の手順が間違っている」と言われるとは思いもしませんでした。
確かに「思考の手順が間違っている」というのは、言葉が適切ではありませんでした。ただしそれはこの文の多義性によるものです。つまり前回同様あなたはこの文を読み違えているんです。まず、「ましてやこの文を読み飛ばして『広島でも岡山でも愛媛でもないな』とは考えないはずです」という私の意見は、前後の文のつながりから「あらゆる意味でウィキペディアを使い慣れていない人」を読者として想定することを前提としているのが分かるはずです。よって「思考の手順が間違っている」という私の発言は、あなたが実際に踏んだ思考の手順を否定しているわけではなくて(私もそんな無謀なことはしません)、「〔「『土居駅』という名前のえきが存在している」という最低限の情報しか持たない人を読者として想定したとすれば、〕思考の手順が間違っている」ということを指しているだけなんです。このへんは、その後の「一段落目に挙げた『最低限の想定』において、読者が『一行目を読み飛ばすことが頻繁に起こるのか、あるいはそう想定すべきなのか』という私の疑問に言及したものです。」というあたりで読み取って欲しかったのですが。
>質問されるのは結構ですが、貴方は自分の推測と異なる事を受け入れる事ができるのですか? 私は既に二行目以降とほぼ同時だと言っています。それにも関わらず、「『様々な思考が順序に関係なく思いつくものです』というあなたの意見には反対です」などと、ご自身と異なる感想を受け入れられないのなら、質問する意味など有るとは思えません。私が言っているのは、他人の思考を推測した話などではなく自身の体験を言っているのですから、それに「反対」されても困ります。
「『様々な思考が順序に関係なく思いつくものです』というあなたの意見には反対です」というのは単に私の意見を示しただけのものであって、これに反するあなたの意見を真っ向から否定する姿勢を表したものではありません。また私は「様々な思考が順序に関係なく思いつくものです」という部分をあなたの「意見」と見なして反対したのです。「感想」にしては文体がおかしいので、間違って捉えたとしても仕方がありません。また万が一「様々な思考が順序に関係なく思いつくものです」を自身ただ一人の経験に基づいて普遍的事実と判断しているのならば論外ですが、まさかそんなことはないでしょうね。次に、「貴方は自分の推測と異なる事を受け入れる事ができるのですか?」についてですが、今のところ私の推測に反しているのは「人の思考は一つ一つ逐次的な行われるものでは有りません。〜」というものだけで、それゆえに質問しているんです。私はいわゆる「話の分からない人」ではありません。あなたの意見に納得できれば私の主張の全てまたは一部を撤回する気構えですし、皆さんにもそれを求めたいと思っています。しかし、いままでに私に返ってきたのは具体的な論拠に基づいた意見ではなく、ほとんどが私の意見に対する否定です。別に否定されることは構いませんが、現状維持派が示してきた論拠と言えば、「問題ないなら変える必要が無い」という議題を論拠と混同したものであったり、「論拠に正当性を省く」といった、「論拠の否定」を論拠と混同したものであったりと、今まで「現状維持」を積極的に支持する論拠など挙っていません。そんなものを強引に受け入れさせようったって無理です。
次に、「そんな反論をされても困ります。」以下についてですが、あなたの感じた事を否定しているわけではありません。あなたが嘘を言っているとも思いません。ただ「あなたの体験」が全ての読者に当てはまるわけではないか、むしろ少数派であるということを示そうとしています。そうすれば、そのような例を根拠にして()を支持する事は、まさに「中立性」を省き、「『記事名に()を付けることによって具体性が増す』というあなたの主張に反論」できると考えるからです。
>「少なくとも記事名に()が有れば、このような過程は踏む事がなかったように思います」といった「この過程」とは、「読み飛ばし」をした事ではなく、本文を読む行為そのものです。
「本文を読む行為」が「この過程」になったのは、「読み飛ばし」をしたことが影響していると考えますがどうでしょうか?なぜなら、「この項目では大阪府守口市にある京阪本線の土居駅について説明しています」という一文を読めば、3番目の「本文を読む行為」を踏む必要がないからです。よって、「読み飛ばし」をしなければ「本文を読む行為」をする前に「京阪電車の記事だったのだ」と知る事ができることになり、読み飛ばしをする可能性を否定してしまえば、「本文を読むまで『京阪電車の記事だったのだ』と気づかない」ということはなくなる、つまり「このような過程を踏む事」が無くなり、()を付けて「本文を読む行為」を回避する必要がなくなります。別に「論理の飛躍」はしていません。確かに()が無いままではあなたと同じような読者が「本文を読む行為」を繰り返す可能性がありますが、それを犠牲にすることによって記事の中立性が確保されるならば問題ないでしょう。記事に辿り着けないわけではないんですから。
>「土居駅に関する情報をあまりもっておらず、なおかつウィキペディアを使ったことがない」という経験の低い読者に特定した状態に当てはまらない事を理由に、「一般的ではない」とするのも全く理解できません。日本語ではそのような読者を「一般的」とは言いません。
この場合、「経験の低い読者」の中で一般的でないという意味です。文の不備が多くて申し訳ありません。
>もう私には貴方が()を取りたいから、それに反する事に難癖を付けているだけにしか思えません。
「難癖を付ける」というのは「具体的な数値を求める」といったことではないでしょうか。私はNisigutiさんが私の主張を誤解するためにこうして解答しているんです。私の主張は(少なくとも6月3日以降)一貫していますし、あなたが問題にしているのは、2008年6月3日 (火) 02:20 (UTC)の私の主張において「()を付ける事が具体性が増す」ことを否定している部分だけであり、その後の主張の妥当性を否定していません(その後の主張はあなたの主張を否定する事を前提とするものではありません)。否定する価値がないと考えているなら別ですが、それでは議論におけるあなたの態度は相当問題があります。私は現状維持派の意見に納得できれば、私の意見全体を撤回し、あなたがたの意見の支持にまわることも辞しません。なぜなら私たちは「議論」しているんですから。それに私は個人的な感情をこの場に持ち込んでいるわけでもありませんし、誰か特定の人に対して軽蔑的な感情も抱いていませんから「難癖をつける」と言われるいわれがありません。失礼ですがむしろ私のほうが難癖を付けられていると感じています。--もんじゃ 2008年6月6日 (金) 12:08 (UTC)
もんじゃさんの中立観がウィキペディアにおいて平均的なものかどうかというのには疑問がありますが、それはひとまず置いたとしても、仰っていることに矛盾があるので、そもそも成り立たないと思います。「読者をあらゆる条件で想定すべき」というのは、読者について何らかの仮定を置くべきではない、という意味だと思いますが、もしそうであるなら、「最低限の情報しか持たない人を読者として想定すべき」というのはそれに反するからです。自己矛盾を起こしているならば、その主張は成立しないでしょう。--Jms 2008年6月6日 (金) 12:23 (UTC)
>「読者をあらゆる条件で想定すべき」というのは、読者について何らかの仮定を置くべきではない、という意味だと思いますが〜
それは違います。むしろ読者について様々な仮定を置き、そのいずれにおいても(この場合)利便性を欠いた状態でなければ中立性が保たれた状態だと考えます。前に述べたように、読者について何らかの仮定を置いて、実際に想定してみないと中立性が保たれているかどうか分からないと考えているんです。今回の場合では、読者として想定されるあらゆる人が(ただし特殊な場合を除きます)目的とするページに辿り付けるのならば、中立性が保たれていると考えますが、全ての読者をいちいち想定するのは非現実的なので、「ページに実際に辿り着けない事例」がないことを示せば足るでしょう。「最低限の情報しか持たない人、鉄道に関して専門的な知識をもたない人」もこのような発想から想定したのです。また「最低限の条件」における読者とは、その読者が前もって持っている知識や適応力に関して最悪の条件を想定しており、この読者において利便性が確保されればよりよい条件の読者も同様と考えます。また、私の理論(皆さんに受け入れられていないのでこういう言い方をしています)においては、もしあなたが読者として想定できる人の中でページに辿り着けないという事例を示せば、それは私に対する有力な反論となります。--もんじゃ 2008年6月6日 (金) 15:41 (UTC)
まず基本的な事から申し上げますと、「中立」とは対立する立場のどちらにも与しないという事を言います。またWikipediaにおける中立についてはWikipedia:中立的な観点をご覧頂くと良いでしょう。
> 読者を想定すること以外に記事の中立性を証明する方法があるのでしょうか。あるのならそれを示して下さい。
そもそも、もんじゃさんは言葉の意味を取り違えています。中立とは対立する関係が有って初めて生まれる概念です。駅を論じる時に対立が生じる事など殆ど考えられませんし、例え対立が生じたとしてもそれは記事の中で完結する話です。中立性を維持するために読者は不要ですし、中立性の維持に読者の存在が寄与する事は有りません。
例えばここの議論を中立的な視点で論ずると、
『「廃止に伴い現存一駅となった場合には、速やかに現存駅の()は無くすべきである」という考えがある一方で、「廃止に伴い現存一駅に該当する状態となったとしても、現存駅の()を無くすべきではない」という意見が有る』という事になります。
この文章では読者が全く登場しませんが、中立性はきちんと表現されています。
Wikipediaの中立性と特定の読者を想定する事には何ら関係が有りませんので、もんじゃさんの「ウィキペディアが中立的なら(中略)最低限の情報しか持たない人を読者として想定すべき」という主張は、全く成り立ちません。
私の体験を否定されているのではないという事は判りました。非礼をお詫びいたします。
しかし私も自分の体験が全ての人に当てはまるとは思っていませんが、それを証明するために私の体験に反論するのは筋違いです。私の体験が全ての人に当てはまるとは言えないのと同様に、私の体験を否定できたところで、それが全ての人に当てはまることにはなりません。逆は真ではないのです。
私の体験に反論するのではなく、私の体験は一つの体験として認め、それとは異なる体験をコメント依頼などで募るべきでしょう。それこそが中立的な視点と言えると思います。--Nisiguti 2008年6月6日 (金) 16:18 (UTC)
語の定義と用法のすり合わせからしないと話が通じない気がします。たとえば、中立性の評価尺度の一つとして利便性を用いる、という意味の中立性というのは、記事内容の中立性 ではなく、記事への到達可能性の文脈非依存性のことであり、それを「中立性」と表現するのは Nisiguti さん御指摘の通りウィキペディアでは誤解のもとでしょう。「読者として想定されるあらゆる人が(ただし特殊な場合を除きます)」というのが恣意的にならないかどうかというのには慎重な検討が必要でしょう。「この読者において利便性が確保されればよりよい条件の読者も同様と考えます」というのは不適切な評価基準でしょう。到達可能性の保証と、到達に必要な手続きの繁雑さというのはある意味でトレードオフですし、だからこそ記事の粒度と適切なネーミングが問題になるわけです。仰っていることの検討には精密な理論的解析が必要な様に思えますが、今回の改名提案については過剰な要求ではないかと思います。それでも仰る理論で検討することを提案なさるなら、より明確な用語定義が必要不可欠です。--Jms 2008年6月6日 (金) 16:29 (UTC)
確かに「中立性」という言葉を使うのはまずかったようですね。私の意見を正確に述べるならばこれらを他の言葉に置き換える必要があるようですが、私の主張の意味する内容もある程度理解してもらえたようですので満足しています。長くなってすいませんでした。どうぞ議論を続けて下さい。--もんじゃ 2008年6月7日 (土) 13:30 (UTC)


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