万多親王
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万多親王(まんだしんのう、延暦7年(788年)-天長7年4月21日(830年5月16日))は、平安時代初期の皇族。桓武天皇の第5皇子で、母は夫人藤原小屎(藤原鷲取の娘)。平城天皇・嵯峨天皇・淳和天皇らの異母兄弟。初名を茨田親王(まんだしんのう)と言った。子に正躬王・正行王・雄風王らがおり、子孫はいずれも平朝臣姓を賜った。
延暦23年(804年)正月、茨田を万多と改名する。大同4年(809年)四品中務卿として東院に奉献した。弘仁5年(814年)6月、右大臣藤原園人・参議藤原緒嗣と共に『新撰姓氏録』を完成させてこれを嵯峨天皇に上表。翌年の弘仁6年(815年)7月に再度上表する。弘仁8年(817年)正月三品に昇進し、同10年4月勘本系使として藤原緒嗣らと共に旧記によって訛謬を判定することを上表し許された。弘仁14年(823年)9月式部卿になり、天長5年(828年)正月大宰帥となる。天長7年(830年)4月二品に昇叙され、同年4月21日薨去した。享年43歳だった。死後、一品を追贈された。