ヴィクトル・ハルトマン
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ヴィクトル・ハルトマン(Viktor Alexandrovich Hartmann, Виктор Александрович Гартман, 1834年5月5日)-1873年8月4日 モスクワ近郊カレイェヴォ)は、サンクトペテルブルク出身のロシアの建築家・画家である。なお、「ハルトマン」という日本語表記はラテン文字転写をドイツ語風に読み下したものである。キリル文字の綴りをロシア語に従って読み下せば「ガルトマン」、ウクライナ語に従えば「ハルトマン」となる。日本では、そのためその二つで表記の揺れが見受けられる。
幼くして孤児になり、サンクトペテルブルクの有名な建築家であったおじに引き取られた。ペテルブルク美術アカデミーに学び、当初は挿絵画家として活動した。ノヴゴロドのロシア開基一千周年の記念碑をデザインし、これは1862年に除幕式が行われた。1864年から1868年まで外国に旅して、水彩画や鉛筆画を残した。ハルトマンは、伝統的なロシアのモチーフを自作にとり入れた最初の美術家の一人である。
スターソフによってバラキレフのサークルに紹介されてから、1870年よりムソルグスキーの親友となる。39歳で動脈瘤により夭折した後、1874年の2月から3月まで、400点の遺作が母校ペテルブルク美術アカデミーに展示された。ムソルグスキーはこれに触発されて、ピアノのための組曲『展覧会の絵』を作曲した。現在、この展示のほとんどの作品が散逸している。
1991年、NHKと團伊玖磨によりムソルグスキーの楽曲をハルトマンの絵に同定させる試みがなされた(NHK、NHKスペシャル「革命に消えた絵画 - 追跡・ムソルグスキー『展覧会の絵』」1991年。團伊玖磨、NHK取材班 『追跡 ムソルグスキー「展覧会の絵」』 日本放送出版協会、1992年7月、ISBN 4-14-080062-3)が、学術的に精密な手続きがとられたとは言い難いという批判もあり、議論の余地がある。(この番組に基づいたと思われるストーリーが、細野不二彦の『ギャラリーフェイク』に収録されている。)
[編集] 外部リンク
パリのカタコンベ |
ロシア開基一千年記念碑(クレムリン) |