ヴァドヴィツェ
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ヴァドヴィツェ(Wadowice, ドイツ語 Wadowitz)はポーランド中南部、現在マウォポルスカ県西端のヴァドヴィツェ郡に位置する町。シロンスク高原上、スカワ川(ヴィスワ川の支流)流域にある。古都クラクフからは50km離れている。ヴァドヴィツェ郡の行政中心地であり、クラクフとチェシン(Cieszyn)を結ぶ国際道路沿いに位置する。 人口は2001年現在19,500人。 ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の出生地として知られる。
[編集] 歴史
ヴァドヴィツェについての最も古い記述は1327年のものである。オシフィエンチム王子スホラスティク1世がボヘミア王ヤン1世ルクセンブルク伯に送った封土台帳にWadowiczの綴りで書かれている。
1430年に大火災によって町は一旦焼滅したものの復興し、オシフィエンチム王子カジミェシュ1世により、市町の特権を与えられた。 1482年にヴワディスワフ(ザトル公国)によって彼の死(1489年)までヴァドヴィツェ公国の首都となる。
16世紀には、家内工業と商業の中心地であった。この時期に特筆すべき出身者にマルチン・ヴァドヴィタ(Marcin Wadwita)がいる。彼は、クラクフのヤギェウォ大学の神学者・哲学者・助祭であり、またヴァドヴィツェに病院と初等教育学校を設立した。
1819年、オーストリアに併合されたヴァドヴィツェの地域は広がり、3380平方キロメートルに亘り、10の町、2の市場の集落、340の村を抱え、人口は35万人を数えた。初代予備軍隊長ルドヴィク・ド・セルト(Ludwik de Sertes)の頃には、ヴァドヴィツェの町には2,500人の人口があった。
1867年から1975年までヴァドヴィツェの.:"庁所在地#であった。
[編集] 出身者
歴史のところで挙げたマルチン・ヴァドヴィタ(Marcin Wadwita)、のちにローマ教皇ヨハネ・パウロ2世となったカロル・ヴォイティワ、そして、ゴドウィン・ブルモフスキ(Godwin Brumowski)が知られている。
ブルモフスキはオーストリアのパイロットであり、オーストリア・ハンガリーの戦闘機のエースパイロットとして第一次世界大戦中に活躍した。
哲学者のエーミール・ラスクも知られている。