ロータス・エラン
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ロータス・エラン(Lotus Elan)は、イギリスの自動車メーカーロータスが製造・販売していたスポーツカーである。
初代が1962年から1975年まで、2代目が1989年から1995年まで製造された。なお初代はFR方式だが、二代目はFF(FWD)方式になっており、メカニズム的なつながりは全くない。
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[編集] 初代(1962年-1975年)
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初代エランの開発コードネームはロータス26。初のロータス製GTカーとして作られた初代ロータス・エリートの後継車として設計された。ただしエリートの特色であったFRPモノコックボディは廃止(生産性の低さやこもり音などの問題があり、販売上オープンモデルの生産が必要であったため)。プレス鋼板を溶接して組み立てた強固なバックボーンシャシーに、FRPのボディを架装する方式を採用した。エンジンは英国フォード・コルチナのものがベースで、DOHC1500cc(シリーズ2以降は1600cc)。ロータス創業者コーリン・チャップマンが考案した独特な後輪独立サスペンションを備えていた。ロータス車の大半はバックボーンフレームを持つが、エランはその構造を最初に使った車である。
当初のモデル、通称シリーズ1(S1)はオープンボディのロードスターだけだった。。完成車で1,495ポンド(キットカーフォームで1,095ポンド)という低価格、DOHCエンジンによる高性能、ロータスならではの卓越した操縦性などでヒット作になる。エランの流麗なスタイリングは、1980年代末に登場したマツダ・ユーノス・ロードスターが手本にしたと言われている。
その後1965年にはS2に進化し、フィクストヘッドクーペ(FHC)モデルも登場。従来からのオープンはドロップヘッドクーペ(DHC)と称された。
1967年にはS3に発展。対候性改善のためDHCにウインドウサッシュが取り付けられた。この年には初の「ファミリーカーとして使えるロータス」という触れ込みで、2+2のエラン+2(プラスツー)も追加された。S3からは全車にパワーウインドウが装備されたが、ロータスによると「手動式より軽い」ためだという。
1969年にはS4に進化。1971年にはウエストラインでの上下塗り分けを特徴とした「エラン・スプリント」が登場するなど、安全対策や装備充実を中心とした発展を続けた。
1973年に2シーターモデルが生産終了。続いて「ロータス+2 S130」と改名されていた+2が1975年に生産終了。最終的な出荷台数は2+2も含めて18, 000台といわれている。
エランがデビューした当時の日本は、1963年に第1回日本グランプリが開催されるなどモータースポーツの勃興期だった。エランは当初は芙蓉貿易、後に東急商事の手で輸入され、浮谷東次郎、瀧進太郎、三保敬太郎らのレーシングドライバーの手により、60年代半ばのレースで活躍した。俳優の伊丹十三、作詞家の保富康午も当時エランのオーナーだった。
エランのバックボーンフレームは、トヨタ・2000GTのシャーシ設計にも大きな影響を与えたと言われる。
[編集] 二代目(1989年-1995年)
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二代目エランは形式名からM100系と呼ばれ、初代と区別される。デザインはロータス・エスプリの80年代のビッグマイナーチェンジも手がけたピーター・スティーヴンス(Peter Stevens)によるもので、エスプリを前後に圧縮して屋根を切り取ったようなデザインを特徴とする。
当時のロータスは1986年以来ゼネラルモーターズ(GM)の傘下に入っており、開発に当たってはグループ各社のコンポーネンツを用いることが要求された。エンジンとギアボックスはいすゞ・ジェミニのDOHCバージョンのもので、駆動方式は横置きFF(FWD)になった(初代はFR)。ダッシュボードのスイッチ類の多くはオペルやボクスホールのものを流用した。
生産規模が小さいため、二代目エランの価格は米国市場で4万ドルと高額で、同じく初代エランを範としたとされるユーノス・ロードスターより5割以上割高になってしまった。FWDレイアウトに対する保守的なスポーツカーファンからの否定的な反応や、主力市場米国での景気後退等の影響で、二代目エランは商業的成功作にはならなかった。1992年までに3885台が生産されたところで、3600万ポンドの累積損失とともに一旦生産は中止された。
1994年、GMから経営権を買い取ったブガッティのロマーノ・アルティオリのもとで復活し、S2モデルとして800台が生産された。
その後、生産設備一式は韓国の起亜自動車の手に移り、キア・ビガートの名で1996年から1997年まで生産され、日本にも少数輸入された。エンジンは起亜製の1800cc151馬力だった。
なお、デビュー当初はハードトップがオプション品として発表されたが、実際のデリバリーはされなかったようである。