ユリ・ゲラー
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ユリ・ゲラー(אורי גלר Uri Geller, 1946年12月20日 - )は、イスラエル・テルアビブ生まれの超能力者を名乗る人物。現在イギリス在住。
スプーン曲げでブームになった。ただし、ビデオの解析から、スプーン曲げなどの「超常現象」は巧妙な手品であると指摘されている(安斎育郎著『科学と非科学の間』)。ベテランのマジシャンであるジェームス・ランディや超能力肯定派のゆうむはじめも手品であると指摘している。
[編集] 経歴
ハンガリー系ユダヤ人の移民の家庭に生まれる。父はイツハク・ゲラー、母はマンジー・フロイト。精神分析学の祖ジークムント・フロイトの親類である。両親の離婚と母親の再婚に伴って、キプロスのニコシアに転居。そこでカトリックの高校に通い英語を習得する。
1964年にイスラエル陸軍に入隊するが、1967年の六日戦争で軽傷を負って除隊。その後ファッションモデルやキャンプ・カウンセラーなどの職を点々とする(モサドで様々なスパイに関する技術を学んだ、という説もあり)。
そのキャンプでシンプソン・シュトラング(通称シピ)という少年と知り合ったユリは、奇術の共同研究を始め、友人のパーティーやナイトクラブでの超能力ショーを始めるようになる。だが、そこでの奇術(テレパシー術)があまりに稚拙であったため、ナイトクラブの支配人らから訴えられ、裁判で「今後、イスラエル国内で超能力を冠したショーを行ってはならない」との処分が下される。また同じ頃、女優のソフィア・ローレンと一緒に写っている合成写真を発表し、世間から激しく非難された。
1972年、アメリカの超心理学者アンドリア・プハリッチ(プハーリック)が、どん底だったユリとシピを救うことになる。プハリッチはユリを本物の超能力者であるとしてアメリカに招聘した(もちろんシピも同行した)。
ちなみにプハリッチの著書『超能力者ユリ・ゲラー』(Uri. 二見書房)によれば、プハリッチとユリのふたりは何兆光年も離れた惑星フーバの宇宙船からコンピューターで操作されているそうである。
1972年12月12日から、カリフォルニア州のスタンフォード研究所で彼の超能力テストが行われた。 初歩的な予備試験では一見するとテレパシーや透視に見えるような結果を残したが、より厳密なテストが行われるのを待たず、勝手に終了を宣言して退去してしまった。
また1973年からアメリカやイギリスのテレビ番組に登場するようになるが、ベテランの奇術師であるジェームス・ランディが同席する席で彼の超能力が発揮されることはなかった。
1974年を皮切りに、公式・非公式に何度か来日。当時の人気番組「11PM」や「木曜スペシャル」(日本テレビ)に登場。テレビの画面を通じて念力を送ることで、「止まっていた時計を動かす」あるいは「スプーンを曲げる」というパフォーマンスで日本での超能力ブームの火付け役となった。
1980年代後半以降、特に日本テレビの番組などでユリやその能力を取り上げることを度々行ってきたが、その際にユリ自身は、「FBI捜査やCIAの秘密ミッションに携わっていた」「アメリカで広大な土地付きの豪邸に住んでいられるのは、自身の超能力で油田を探り当てたから」などと語っていた。
2000年、人気ゲーム「ポケットモンスター」のポケモン「ユンゲラー」に自分のイメージを盗用されたとして、任天堂を相手取り6000万ポンド(約101億円)の損害賠償を求める裁判をロサンゼルスの連邦地裁に起こした。ポケットモンスターに関する様々な逆風を参照のこと。
1970年代にレコード(アルバム)「ユリ・ゲラー」を発売している。2000年と2005年にCDで再発された。
2006年日産自動車のCMに出演。CMではコンピュータグラフィックスによる合成ではあるが「スプーン曲げ」や「時計動かし」を行った。
[編集] 関連項目
- 清田益章
- 超魔術(ユリ・ゲラーのスプーン曲げをヒントにMr.マリックが考案)
- ジークムント・フロイト:ユリ・ゲラーが母方の親類であると述べている[1](母の旧姓がFreudである)