ヤマハ・SR
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ヤマハ・SR(エスアール)とは、ヤマハ発動機が販売しているオートバイで、主に単気筒エンジンを搭載したシリーズ車種を指す。
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[編集] SR400
SR400は1978年に発売、以来2008年現在まで基本設計・デザインを変更せず販売し続けているロングセラー。現在はこのSR400のみが製造・販売されている。
[編集] 発売に至る経緯
オートバイ雑誌「モトライダー」が、1977年のエイプリルフール企画として、実在しない車を「近日発売の新車 ヤマハ・ロードボンバー (Road Bomber) 」として掲載したことが発端となっている。このロードボンバーは、ヤマハのオフロードバイクXT500のエンジンを使い、島英彦設計によるオリジナルのダブルクレードルフレームに搭載したロードスポーツバイクであった。紙面の写真で見るとなかなか完成度の高いオートバイであったため、まさかエイプリルフール企画の架空の新車とは思わず読者からの注文が殺到した。そこにマーケットがあることが判明したことから、XT500のメーカーであるヤマハが本気になって設計し生産を始めたという、冗談のような経緯でSRシリーズは誕生した。当時その様な経緯で作られたため、最初のSRは中途半端にモトクロスのようなアップハンドル、エンジンガードなどモトクロス風な出で立ちであった。
初期のSRは作りも甘く、エンジントラブルなどが頻繁であったが品質改良などでいまと昔ではまったく別次元のバイクになっている
[編集] ロードボンバーとSR400/500のコンセプト
ロードボンバーのコンセプトは、「単気筒エンジンを搭載したロードスポーツバイク。単気筒であるからエンジンが非力であるのはいたしかたないが、しかし全体として軽量にすることができ、そのことを最大限に生かして操縦性の良さに照準をあわせたバイクを設計するならば、それは乗っていて『とても楽しい』バイクになるはずだ」というものであった。ロードボンバーは当時のオンロードスポーツバイクとしてはかなり過激な設計であったため、SRシリーズはそのコンセプトをマイルドな側に倒すかたちで設計された。例えばSR400/500のフレームはXT500のものをベースとしたセミダブルクレードルでしかない(ロードボンバーは完全新設計のダブルクレードル)。しかし基本的なコンセプトは、おおむね同一のものであったと言える(なお、後日ロードボンバーときわめてよく似た構成のSRXという派生車種も登場する)。
ロードボンバーはのちにホンダのXL500Sのエンジンを乗せ、「ロードボンバーIIX」へと改良される。 これは後のFT500/400から、GB500/400を経て現在のCB400SSにも繋がるエンジンである。 今を走る単気筒の2車種が同じロードボンバーから派生したというのも何かの縁なのかもしれない。
[編集] そしてロングセラー車へ
車体の足回りなどはモデルチェンジで数回の変更を受けている。
日本のスポーツバイクとしては、ロングセラーとなっている。 また、カフェレーサーカスタムのベース車としても代表的であり、さらに近年はトラッカーカスタムなど、様々にカスタマイズされている。
発売当初はワイヤースポークホイールだったが、アルミキャストホイールへと仕様変更し販売台数は急激に激減した(ユーザーからの要望で急遽スポークホイールに仕様変更し難を逃れる)。この仕様変更がなければ、このあとSRが生産されることはなかったであろうと記者は語っている。
その後、一時期SRの売れ行きが落ち込み、絶版になるかメーカー内でも話し合われていた時期が存在する、だが時代はレーサーレプリカブームは終わりレトロブーム。ここで当時レトロ風のバイクはSRしかなく、販売台数も急激に伸びることになる
このレトロブームがいまのSRのロングセラーに結びついたと見る向きがある
1985年に、フロントブレーキをディスクからドラムに変えるという、当時としては非常に異例な退化的モデルチェンジを行った。これはアフターマーケットでドラム化カスタムが存在するなど、SRがレトロバイクとして人気を博していたためだと思われる。また同年に、より高いパフォーマンスを狙った兄弟車のSRX400/600が登場しており、それとの差別化でもあったようだ。ドラムブレーキ化はSRをクラシックバイク風カスタムのベースとして見ていた層には好評だったが、ブレーキをあえて旧式なものに変えるモデルチェンジに否定的な目を向ける層もあったようだ。同時にハンドルの高さがやや低くなり、ステップ位置が後退するなど、メーカー純正状態でややカフェレーサー的スタイルになった。
2001年に各種の保安基準が強化され、その対応のためSRは再度フロントブレーキをディスク化するが、ドラッグスターの前輪を使ったと思われる(フロントディスクブレーキの数では250~400であるが、フロントスポークホイールは250とシングルディスクブレーキは400で掛け合わせた)ことから流用したものと思われる。この次期からSRのパーツはコストカットのため、他車のパーツを流用するようになる。
保安基準強化の煽りを受けてドラム化キットをカスタムショップも販売中止。
なお2008年に自動車排出ガス規制の強化が予定されており、現行のエンジンで今後の規制に100%対応できないので、SRの今後をうかがう内容が雑誌などで話題になっている。
[編集] 主要諸元(2001年〜)
- エンジン:空冷4ストロークSOHC2バルブ単気筒
- 排気量:399cc
- 最高出力:27ps/7000rpm
- 最大トルク:3.0kgfm/6500rpm
- 全長:2085mm
- 全幅:750mm
- 前高:1105mm
- 重量:152kg
- フューエルタンク容量:12L
- オイルタンク容量:2.4L
[編集] SR500
SR500も1978年に発売された。XT500のエンジンをチューンした単気筒2バルブSOHC499ccのエンジンから絞り出される最大出力は32馬力。XT500から派生した車種という点では、SR400よりも正統派といえよう。SR400はショートストロークで、単気筒としては比較的マイルドな味わいなのに対し、SR500はロングストローク(あくまで400と比べて、である。実際は87.0×84.0mmでストロークよりボアが大きい為、定義上はショートストロークエンジンと言うことになる)のためにXT500に近い弾けるような鼓動感があると評する向きもある。
普通自動二輪免許で乗ることが出来るSR400と比べて国内登録台数はケタ違いに少ないものの、欧州にも輸出していたため長い間生産されたが、ブレーキが前後ともドラムであったため欧州の規制強化に対応できず、日本国内において排ガス規制が実施されたため、2000年に生産が中止された。しかし相前後して大型自動二輪免許保持者が激増し引き合いが強まったため、中古車両でもタマ数が少なくプレミア化しつつある。なおアメリカにも1978年から輸出されていた。
[編集] SR250・SR185・SR125・YD250・YD125
SR250は1980年に、SR125は1981年に発売された。しかし共に上位車種とは違ってアメリカンスタイルの外見をしていたため、評判は芳しくなかった。SR125のボアとストロークを上げた、SR185Exciter(エキサイター)1981年も輸出仕様で存在する。SR250はそのまま販売が終了したが、SR125は欧州輸出との兼ね合いで製造販売が1991年と1995年に復活再販され、1996年からは前輪ディスクブレーキが装備され、1997年にはビジネス仕様のSR125Bも発売されたが、現在は生産を終了している。
YD250とYD125は、SRと同じエンジンを搭載したシングルシート+荷台つきビジネスモデルであるが、いずれも生産終了している。なおこの車両のダブルシート仕様は、いわゆるSR500・SR400スタイルに近い。
[編集] SRX600・SRX400・SRX250
SRXは単気筒エンジンのスポーツ車種であり、SRの派生シリーズである。SRシリーズがどちらかというとトラディショナルな雰囲気を持つおとなしいオートバイとして設計されたのに対し、SRXシリーズは「単気筒で可能な限りの高性能を狙う」という方向で設計された。
SRX250は1984年に発売された。SRシリーズというよりスポーツ車種としての性格が濃いオートバイであり、DOHCエンジンとディスクブレーキが装備され、カウル仕様まで発売されていた。
SRX600・SRX400は共に1985年発売。こちらはSRを普通に発展させたスポーツライディングを目的としたシリーズであり、車体はほぼ共通仕様で4バルブエンジンとディスクブレーキが装備されていた。当時のシングルレースでは上位を独占していた車輌である。
その後は250・400・600共に1990年モデルチェンジを受けたが、この型を最後として数年後に全車種とも生産終了した。
[編集] SRV250・ルネッサ
SRV250は1992年に発売された、外装をレトロ調にアレンジしたビンテージ風車種。エンジンはビラーゴの空冷V型2気筒を流用していたが、ツインキャブなどの採用により、23PS/8000rpmから27PS/8500rpmへと若干のパワーアップを果たしている。後にタンクのカラーリングを変更、メーターバイザーなどを装着したSRV250Sや、センタースタンドや大型のリアキャリアを装備したSRV250Tというビジネスユースを目的としたモデルも発売された。
1996年にはルネッサという派生車種も発売されたが、どちらも長期の販売を目指して製造された車種であったにもかかわらず、販売台数の伸び悩みと各種規制の強化により生産終了となった。
[編集] ロードボンバー・プロジェクト
そもそもの発端となった「ロードボンバー」は、「バイクはパワーじゃない、操縦性だ!」というコンセプトを実証すべく、SRが発売された1978年に鈴鹿8時間耐久ロードレースへエントリーした。なみいる4気筒のハイパワーマシンや当時はまだそれなりの勢力だった2ストローク大排気量車の中で勝算はまったくないと思われ「よせばいいのに」という声まで上がった。しかしこの非力な単気筒のバイクは、それらの車に伍してステディに走り、結果8位に入賞してしまった。
「非力ではあるかもしれないが、軽量で操縦性が良いバイク」は、SRの誕生とロードボンバーの鈴鹿8耐での入賞から、ひとつの時代を築き始めることとなった。「こんなバイクがほしい」というユーザ側の願いがトレンドを築いた事例として、ロードボンバーとSRの物語は、日本のバイク史の中で特筆すべきものであろう。