ミス・コンテスト
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ミス・コンテストは、国際貢献活動の親善大使や観光キャンペーン活動を担当する女性を対象としたコンテストである。「ミスコン」と略されることもある。
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[編集] 概要
日本では、1908年3月5日にヘラルド・トリビューンが依頼し、時事新報主催『世界美人コンクール』の日本予選として行った「良家の淑女」写真コンテストの入賞者発表を掲載したのが始まりとされ、以後3月5日をミス・コンテストの日に制定している。
ちなみに、このコンテストで最優秀賞を獲得し、日本初のミスに選ばれた当時16歳の末弘ヒロ子は、学習院女子部3年生に在学していた。当時この女性の義兄が、女性に無断で写真を主催者宛に郵送したそうだが、これが学習院上層部、特に学長の乃木希典の怒りを買い、諭旨退学処分というお咎めを受けるとなってしまったというエピソードがある。乃木は後にこの事を悔い、末弘の仲人を務め、野津道貫の長男と結婚させた。
アメリカでは1920年代からミス・アメリカが行われ、水着審査の発祥である。また入賞者には奨学金が授与される。
ミス・コンテスト入賞者(特にミス・ユニバース、ミス・ワールド、ミス日本や、自治体のキャンペーンガール)に対してはそれを示すたすきやユニフォーム、帽子(これらはキャンペーン活動を含む公式行事に着用する)が贈呈される。又、コンテストの審査結果発表時にはこれにガウンや王冠・ティアラも贈呈される事もある。一般的な任期は1年であるが、それよりも長い場合もある(熱海市の「ミス熱海梅の女王・梅娘」は2年間である)
[編集] 批判
「ミス○○」は、未婚女性を中心としたコンテスト。そのため、最近ではフェミニストが中心となって一部自治体などにおいて「ミス○○」という表現が差別的だとして「○○大使」などと名称を変更し、既婚女性や男性でも参加可能としているところも出てきている。
- ミス・コンテストは、(男性による)女性の商品化という批判を浴びることもある。(逆に「ミスター・コンテスト」はほとんどない)
- 美的センスは本来人により異なるのに、ミス・コンテストなどを開くのは、あたかも客観的基準がある事を前提としているようではないか、という批判がある。また、美的評価を序列化することへの批判もある
- ミスコンはモデルや女優などを志望する人にとっての登竜門という役割もあり、それらを目指し自らの意思で出場する女性もたくさんいるので、「男性による女性の商品化」といった意見には当たらないとの反論もある。
- また、水着審査に対する反発も根強く、ほとんどのミスコンやミスキャンパス等では水着審査が廃止され、かつてグラビアアイドルの登竜門であったクラリオンガールでも、水着審査が廃止された。現在では、ミス日本などの一部ミスコンにおいてのみ、水着審査が行われている。
[編集] 主要コンテスト
世界的なコンテスト
国内でのコンテスト
- ミス日本
- ミスマガジン
- ミスキャンパス(大学の学園祭におけるミスコンテスト)
- ツインリンクもてぎエンジェル
- タックルベリー2006ベリーガールズ
- 鈴鹿サーキットクイーン
- ミスダイバー
- 日本パラオ国際親善大使プリンセス
- 湘南ガールコンテスト
- ミス湘南
- 水戸の梅大使
[編集] ミス・コンテスト出身の主な著名人
- 山本富士子 ミス日本→女優
- 萬田久子 ミス・ユニバース日本代表→女優
- 織作峰子 ミス・ユニバース日本代表→写真家
- 伊比恵子 ミス日本→映画監督。第71回アカデミー賞短編ドキュメンタリー映画賞授賞
- 藤原紀香 ミス日本グランプリ→女優
- 叶美香 ミス日本グランプリ→タレント
- 佐野美和 ミス日本→八王子市市議会議員→政治ジャーナリスト・タレント
- 室井佑月 ミス栃木・ミス公園通り→レースクイーンなどを経て作家・テレビコメンテーター
- 東里 第25代ミス熱海梅の女王(並行して女優・タレント・モデルとして活躍)
- 山路ふみ子 ミス神戸→女優→実業家→社会事業家