ミスターのいいじゃないか!運動
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ミスターのいいじゃないか!運動(-うんどう)は、水曜どうでしょう企画「プチ復活!思い出のロケ地を訪ねる小さな旅」内での大泉洋が評した、ミスター鈴井貴之の考えのことである。これの反対語に当たるのは「合宿」。
注意:以降の記述で物語・作品に関する核心部分が明かされています。
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[編集] 概要
番組の企画で大分県内を自動車で移動中に、豊後牛を食べたい大泉が、幕末の民衆運動「ええじゃないか」に掛け、この言葉を発した。
この運動は主に「対決列島」企画で発された「宿には4時までにチェックインする」がこの運動の主な行動である。意味としてはさらにロケより宿を重視するものである。これを「いいじゃないか!旋風」という。
この話のときに画面左下に、ミスターが「いいじゃないか!」といいながら踊る姿がアニメーションで表示された。上は半被姿、下は半ズボンである。のちのいいじゃないか!踊りの元となった。
番組開始当初は後述のとおり、ロケを遂行することに燃えていた鈴井であったが、ある時期を境に「どうでしょうは(自分が理想とする)テレビ番組ではない」と考えるようになり、番組後期では「ロケより宿」など当初とは逆の考えになったことから、大泉やD陣などがそれをたとえに「いいじゃないか」と発したことが始まりである。
[編集] 経緯
番組開始当初の鈴井は、自分がメインとなって番組を引っ張るべきと考えていた。また、がむしゃらに頑張る姿を見せることで、視聴者の共感を得られるのではないかとも考えていた。
やがて徐々に、「自分が頑張るより、大泉をメインに据えた方が面白い」「自分よりもディレクターの方が、大泉の面白さを上手く引き出している」と感じるようになり、番組中では、やや退いたポジションをとるようになっていく。
2000年、鈴井が映画制作に乗り出したため、「どうでしょう」は半年間休止することとなった。その時の鈴井は、「番組が再開しても、自分はもう戻らないだろう」と考えていた。それは、番組の方向性(結果的に面白ければ、いい加減でも良い)と、当時の鈴井のポリシー(とにかく頑張らなければならない)の間に、埋め難いギャップを感じていたためであった。
しかし、鈴井はその後、「どうでしょうはテレビ番組ではない」「だから、普通のテレビに出る時のように、無理に頑張らなくても良いんだ」との心境に至る。そのため、2001年の復帰作「喜界島1周」以降の企画では、「まぁ、いいじゃないか」「ロケより宿」といった感じの、緩い取り組み姿勢をしばしば見せている。
[編集] 合宿
合宿とは、「企画の目的を達成する」為に、当時まだ若く元気だった鈴井主導による徹夜もいとわない強行スケジュールのことである。前述の経緯により、水曜どうでしょうの歴史の後半から、初期にあった「ミスターの合宿」がなくなった。
後に鈴井は「ヨーロッパ21カ国完全制覇」のDVDの副音声の中で「実績も目立った芸もない自分たちが視聴者に見せられるのは『頑張っている姿』だけだからできるだけその姿を見せたいと思った」と語っている。
[編集] その後
- 樋口了一の「1/6の夢旅人2002 ~sicorne ver.featuring 大泉 洋~」の曲にあわせて、ミスター(の絵)が、陽気に約1分半踊る映像「ミスターのいいじゃないか!踊り」が完成。DVD全集第4弾で公開された。
- このあとから、いいじゃないか姿のミスターの絵がグッズになった。しかし「プチ復活!」が北海道並びにインプレスTVのみの放送だった為、道外のファンの大部分はこの番組が収録されているDVD全集第6弾が発売されるまで、なんのことかわからなかった。
[編集] 外部リンク
[編集] 関連項目
- プチ復活!思い出のロケ地を訪ねる小さな旅
- 樋口了一
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どうでしょう班 | 鈴井貴之・大泉洋・藤村忠寿(チーフディレクター)・嬉野雅道(ディレクター) |
放送した企画 | 日本国内・海外・2003年以降 |
派生企画 | 四国R-14・水曜天幕團 |
関連商品など | 水曜どうでしょうDVD全集・どうでしょう本・水曜どうでしょう写真集 |
人物など | 安田顕(準レギュラー)・四宮康雅(プロデューサー)・樋口了一・onちゃん(HTBマスコット)・小松江里子(スタイリスト) |
その他 | official website・1/6の夢旅人・1/6の夢旅人2002・いいじゃないか!踊り・いいじゃないか!運動・福助人形 |