マリア・テレジア (オーストリア皇后)
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マリア・テレジア・フォン・ネアペル=ズィツィーリエン(Maria Theresia von Neapel-Sizilien, 1772年6月6日 - 1807年4月13日)はナポリとシチリアの王フェルディナンド4世および3世(後の両シチリア王フェルディナンド1世)と王妃マリア・カロリーナの長女で、オーストリア皇帝フランツ1世の皇后。フランツ1世は元は神聖ローマ皇帝フランツ2世であり、マリア・テレジアは最後の神聖ローマ皇后ということになる。
夫のフランツとは2人の両親が二重結婚で、非常に血縁の近い従兄妹に当たる。
名前は祖母である「女帝」マリア・テレジアにちなんでいる。 イタリア語表記ではマリーア・テレーザ(Maria Teresa)となる。
[編集] 子女
- マリア・ルイーゼ(1791 - 1847) - フランス皇帝ナポレオン1世の皇后、後にナイペルク伯アーダム・アーダルベルト(1784 - 1829)と再婚。
- フェルディナント(1793 - 1875) - オーストリア皇帝
- カロリーネ・レオポルディーネ(1794 - 1795)
- カロリーネ・ルイーゼ(1795 - 1799)
- マリア・レオポルディーネ(1797 - 1826) - ブラジル皇帝ペドロ1世の皇后
- マリア・クレメンティーネ(1798 - 1881) - サレルノ公レオポルド・ミケーレ妃
- ヨーゼフ・フランツ・レオポルト(1799 - 1897)
- カロリーネ・フェルディナンダ(1801 - 1832) - ザクセン王フリードリヒ・アウグスト2世妃
- フランツ・カール・ヨーゼフ(1802 - 1878) - オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世、メキシコ皇帝マクシミリアンの父
- マリア・アンナ(1804 - 1858)
- ヨーハン・ネポムク(1805 - 1809)
- アマーリア・テレジア(1807:流産)