マリア・エレオノーラ・フォン・ブランデンブルク
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マリア・エレオノーラ・フォン・ブランデンブルク(Maria Eleonora von Brandenburg, 1599年11月11日 - 1655年3月28日)は、スウェーデン王グスタフ2世アドルフの王妃。ブランデンブルク選帝侯ヨーハン・ジギスムントと妃アンナ・アマーリエ・フォン・プロイセン=ユーリヒ=クレーフェ=ベルクの娘。兄は選帝侯ゲオルク・ヴィルヘルム。
1620年、グスタフ・アドルフと結婚し、1626年にクリスティーナ王女を生んだ。
当時、ヨーロッパで最も美しい王妃と謳われるほどであったが、マリアは異常とも言われたくらいにグスタフ・アドルフを熱愛していた。非常に情熱的で、ヒステリー気質で、女性らしいが知性はないと人々にみなされていた。グスタフ・アドルフは、もし自分が死ねば自分の子は王位を継げず、マリアは政治の実権を握ることは叶わないだろうと書き残していた。彼は、マリアの他にエヴァ・ブラーエという愛人がいたが、そのことにマリアが気づいていたかどうかは明らかになっていない。
1632年、グスタフ・アドルフが戦死すると、マリアは周囲が彼女は狂ったと勘違いするほど、深い絶望に陥った。彼女は夫の埋葬を許さず、時がたっても遺体を抱き、触れ、キスをするので、それを見た者は体の具合が悪くなるほどだったという。最後には王は埋葬されると、彼女は遺体を取り戻そうと、埋葬場所を探し出し破壊したという。
1636年、マリアは娘クリスティーナを監禁したが、のちにマリアは反逆の疑いをかけられてデンマークへ亡命し、王族としての特権を剥奪され、事実上スウェーデンから追放された。1643年にブランデンブルクへ渡った。
マリアは1648年に再びスウェーデンへ戻ったが、クリスティーナとの親子関係が修復することは二度となかった。