ベアトリーチェ・デステ
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ベアトリーチェ・デステ(Beatrice d'Este, 1475年6月29日 - 1497年1月2日)は、ミラノ公ルドヴィーコ・スフォルツァの妃。イタリア・ルネッサンス期を代表する女性として知られている。フェラーラ公エルコレ1世・デステの娘で、イザベラ・デステの妹、アルフォンソ・デステの姉にあたる。
15歳で、バーリ公ルドヴィーコ・スフォルツァと婚約し、1491年1月に結婚した。ベアトリーチェとルドヴィーコの結婚と同時に、ベアトリーチェの弟アルフォンソとジャン・ガレアッツォ・スフォルツァの妹アンナとの結婚式も行われた。
彼女はきちんとした教育を受け、ニッコロ・ダ・ゴッレジョ、ベルナルド・カスティリョーネ、ドナト・ブラマンテ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ジョヴァンニ・アントニオ・アマデーオといった学者・詩人・芸術家らを要するきらびやかな宮廷の中にいた。ダ・ヴィンチは結婚の祝いとして、彼女の肖像画を贈っている。1492年には、夫のため大使としてヴェネツィアへ赴いた。ジャン・ガレアッツォ・スフォルツァが死ぬと、ルドヴィーコの公位継承をめぐりフォルノヴォの戦い(1495年)が起こるが、フランス王シャルル8世と公の間にヴェルチェッリの和議が結ばれ、この出来事に貢献したベアトリーチェは政治的な才能を見せた。
1497年1月、第3子となる三男を死産したのち、死去した。