ブライム・アスロウム
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オリンピック | ||
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男子 ボクシング | ||
金 | 2000 | ライトフライ級 |
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基本情報 | |
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本名 | ブライム・アスロウム |
通称 | |
階級 | ライトフライ級 |
国籍 | フランス |
誕生日 | 1979年1月31日(29歳) |
出身地 | フランス ローヌ=アルプ地域圏 |
命日 | |
死地 | |
スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 25 |
勝ち | 23 |
KO勝ち | 9 |
敗け | 2 |
引き分け | |
無効試合 |
ブライム・アスロウム(Brahim Asloum、1979年1月31日 - )は、フランスのアルジェリア人プロボクサー。現WBA認定世界ライトフライ級チャンピオン。アマチュア時代にフランス代表として活躍し、フランスに64年ぶりとなるオリンピック金メダルをもたらした。オーソドックス構えからサウスポーへのスイッチなどを器用にこなし、テクニック重視のボクシングをする。フランスボクシング界の期待の星として注目されていたが、3度目の挑戦にして初めて世界王者となった。
目次 |
[編集] 来歴
[編集] アマチュア時代
1979年にフランスでアルジェリア移民の子として生まれる。持ち前の運動能力を生かしアマチュアボクシングでフランスのライトフライ級代表となる。2000年にシドニーオリンピックに出場し、ブライアン・ビロリアなど強豪を破って優勝した。これはフランスにとって64年ぶりの快挙であり、フランスボクシング界あげてアスロウムを「期待の星」として持ち上げることになる。
[編集] プロ時代
2001年1月29日に鳴り物入りでプロデビューする。デビュー直後からフランスCANAL+テレビが公私に渡って密着し、この金の卵を大事に育てた。事実、アスロウムもそれに応えるように全勝を続け、2002年10月9日にはフランスフライ級タイトルを獲得し、2003年7月4日にはWBAインターコンチネンタルフライ級タイトルも獲得。さらに同年11月14日には空位のEBUヨーロッパフライ級タイトルとWBOインターコンチネンタルフライ級タイトルを獲得した。
2004年11月8日、ノエル・アランブレットを12回3-0判定で倒しWBAタイトル指名挑戦権を手に入れた(ちなみにこの試合から約1年後亀田興毅選手がアランブレットを7回TKOで倒しており、よく亀田選手の実力を測るのに引き合いに出されることがある。ただし、アスロウムと亀田ではボクシングスタイルが違うことを念頭に置かねばならない)。
[編集] 挫折
順風満帆だったアスロウムだが、国内の期待が過度に高すぎた。最初の世界挑戦は2005年12月5日、WBA王者のロレンソ・パーラとの試合であった。CANAL+テレビが全面的にバックアップし、一大イベントとなったこの試合でアスロウムは2ラウンドにダウンを奪われるとその後は全くパンチが出せなくなり、ほぼフルマークに近い判定負けという不甲斐ない結果に終わってしまう。
WBAインターコンチネンタルタイトルを2度防衛したあと、WBO王者のオマール・ナルバエスに挑戦するもまたしても前回と同じように大差の判定負けを喫する。フランス国内でもすっかり「アスロウム熱」が冷めてしまう格好となった。
[編集] ライトフライ級
階級をライトフライ級に下げ、2007年12月8日にWBA王者ファン・カルロス・レベコに挑戦し、12回3-0判定で勝利し3度目の挑戦でようやく世界タイトルを手に入れた。
[編集] 獲得タイトル
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
前優勝者 ダニエル・ペトロフ |
シドニーオリンピックボクシングライトフライ級優勝 |
次優勝者 ヤン・バルテレミ |
前王者 ファン・カルロス・レベコ |
第24代WBA世界ライトフライ級王者 |
次王者 |