フリオ・コルタサル
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フリオ・コルタサル(Julio Cortázar、1914年8月26日 - 1984年2月12日)は、アルゼンチンの作家・小説家。主にカスティリャ語で書く。フリオ・デニス(Julio Denis)の筆名も用いる。
ベルギーのブリュッセルで生まれる。1918年に両親の母国であるアルゼンチンに帰国し、ブエノスアイレスで育つ。1936年にブエノスアイレス大学に進学するが、中退して1944年まで高等学校の教員として教壇に立つ。1938年には詩集を出版する。1944年にはクーヨ大学のフランス文学の教員を勤める。1945年から1951年にかけて、出版社に勤めて翻訳の仕事をこなす一方で、詩や小説を書き続け、1946年に書いた短編小説「占拠された屋敷」を雑誌『ブエノスアイレス年報』の編集者だったボルヘスに認められて掲載される。
1951年にフランスに留学してパリに居住した。以降、留学期間が終わっても帰国せずに、ユネスコの自由契約翻訳官の職を得て、生涯をフランスで送り、1981年にはフランスの市民権を取得した(動画[[1]])。
1960年の『懸賞』と1963年の『石蹴り遊び』の2作の長編小説により英語圏においてもラテンアメリカを代表する作家と見なされるようになり、イタリアの映画監督ミケランジェロ・アントニオーニによって短編小説「悪魔の涎」が映画化され(映画タイトルは『欲望』)、スペイン語圏を越えて世界的に知られる作家となった。1973年に『マヌエルの教科書』でフランスのメディシス賞を受賞。1984年に白血病により死去。
[編集] 外部リンク
- Julio Cortázar (スペイン語)