ビルマ連邦国民連合政府
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政府の標語:??? | |||
公用語 | ビルマ語 | ||
本拠地 | ロックヴィル・メリーランド州 | ||
首相 | セイン・ウィン | ||
成立 | 1990年12月18日 | ||
国歌 | 我、ビルマを愛さん | ||
公式サイト | Website of the NCGUB |
ビルマ連邦国民連合政府(英語:National Coalition Government of the Union of Burma, NCGUB、ビルマ語:)は、アメリカ・メリーランド州のロックヴィル(Rockvill)を本拠地とするミャンマーの亡命政府。現在の政府元首は、アウン・サン・スー・チーの従兄弟たるセイン・ウィンであり、1990年の政府成立時に秘密裏に召集された国民議会(英語でPeople's Assembly、ビルマ語でPyithu Hluttaw、人民議会とも訳す) の議員によって選出された。
目次 |
[編集] 歴史
1988年に、ミャンマーではネ・ウィン将軍の軍事独裁体制に反発する大衆運動が高揚し、同年7月にネ・ウィンがビルマ社会主義計画党(BSPP、マサラ)議長を退くことで、1962年以来続いてきたネ・ウィンの独裁政治は終わりを告げた。しかし、大衆運動によって国内が騒乱状態となっていたことから、同年9月18日に、ネ・ウィンのもとでビルマ軍参謀長を務めていたソウ・マウン将軍がクーデタを決行し、1974年制定の憲法停止と、国家法秩序回復評議会(SLORC)の設置を行なった。SLORCは、自らを民政移管までの暫定政権と規定し、反体制運動を武力で取り締まる一方、複数政党制の導入と国民議会(人民議会)総選挙の実施を公約した。その為、民主化を求める国民民主連盟(NLD)は、アウン・サン・スー・チーを書記長とするなど活動を活発化させたが、SLORCは1989年7月にNLDのティン・ウ議長とアウン・サン・スー・チー書記長を「国家破壊法違反」として自宅に軟禁し、政治活動も禁止した。
その後、反体制運動取締りの中で、SLORCは1990年5月27日に国民議会総選挙を実施したが、結果は野党のNLDが議席(485議席)の8割以上(392議席)を獲得する圧勝となった。NLDは政権移譲と国民議会の早期開催を求めたが、逆にSLORCは新憲法制定(政治体制の確立)を政権委譲より優先させるべきとの判断から、国民議会の招集を拒否すると同時に、当時各地で生じていた国内少数民族の反政府武力闘争の鎮圧作業を行なった。また、SLORCは「布告第九十/一号」を発令し、SLORCの方針に反発する野党党員逮捕や当選議員の資格剥奪などを行なうことで主にNLDの抵抗を抑えた。その為、国民議会の反SLORC勢力は1990年12月に密かに国民議会を召集し、450人中250人が集う中、議会議員及びSLORCと内戦を繰り広げていた反政府ゲリラ勢力、カレン民族同盟、NDLの支持を受けながら、同月18日にビルマ連邦国民連邦政府(NCGUB)を公式に結成するに至った。
新憲法制定を最優先とするSLORCは、1992年4月のタン・シュエ将軍の議長就任後、93年1月に新憲法策定の為に制憲国民会議を招集、9月に国家の基本原則を公表した。このようなSLORCの動きにNLDは反発したが、SLORCはNLD所属の国民議会議員の逮捕、議員資格の剥奪などの処置で抵抗を封じ込めていった。結果、95年11月、複数政党制、二院制議会、州の自治承認などについて審議する制憲国民会議が招集された際には、1990年の総選挙で選出された議員は会議出席者の約14%に減少し、他はSLORC選出の議員が占めていた。その為、会議に反発的なNLDは、会議の進行が非民主的であることを理由に会議をボイコットし、1996年6月15日の党大会で独自の憲法草案を発表した。更には、国民議会選挙後に亡命した国民議会議員が、国民議会を代表するために、同年6月18日に国会議員連合(MPU)を結成した。(正式な設立は2000年10月。)これに対しSLORCは、アウンサン・スー・チーの対話集会禁止などNLDへの弾圧を強化し、国家秩序の安定に対する自信から97年11月にSLORCを国家平和発展評議会(SPDC)に改組した。
NLDは何度も国民議会の開催をSPDCに申し入れたが、SPDCは応じる気配を見せなかった。その為、1998年6月からNLDは国際社会の支援を背景とした民主化運動の盛り上がりを狙い、60日以内の国民議会開会を要求した後、1998年9月16日、独自に90年総選挙の選出議員10人から構成される国民議会代表者委員会(CRPP)を発足させ、1990年5月の総選挙で当選した議員の過半数の委任を正統性根拠にして、国民議会の「代行開催」に踏み切った。CRPPはヤンゴンで初会合を開き、SPDCが出す各種法令に正当性がないことを個別具体的に宣言し、独自の新憲法草案作成にも着手した。NLDは12月にキン・ニュンSPDC第1書記を犯罪行為で司法当局に訴えるなどSPDCへの対決姿勢を強めたが、SPDCはこれに対しNLD幹部らの300人以上拘束し、他にも99年1月の独立記念日におけるタン・シュエのNLD・アウン・サン・スー・チー非難など対抗措置を採った。
現在、NCGUBやMPU、CRPPはミャンマー民主化の為の活動を海外で積極的に展開し、欧米など支持を得ている。しかし、SPDCのタン・シュエ政権は民主化の為の対話を進める気配を見せず、事態は膠着状況にある。
[編集] 政策活動と現状
NCGUBは、主要な活動目的として、
を掲げ、これら3点の達成を念頭に置いた対内、対外活動を行なっている。 NCGUBは対外的に、ミャンマー軍事政権(国家平和発展評議会政権)が現状のままで国権を担うことを思い留まらせるべく、国際社会からミャンマーに対する圧力や制裁、その他の形の行動を得るように取り組んできた。具体的にNCGUBは、1990年の国民議会選挙後にミャンマーで生じた政治的問題、民主化運動の取り締まりや人権侵害を喚起する為に、毎年行われる国連人権委員会でのミャンマーにおける人権状況の報告や、国連総会における軍事政権との政治和解を求める活動を行なってきた。そして、国連総会で決議された勧告[1]を基礎として、NCGUBは各国政府や国際社会から、軍事政権との政治的会話とビルマの民主化をもたらす助けとなるための協働支援を現在集めている。
一方、NCGUBは対内的に、軍事政権に対する政治的変化の要求と共に、軍事政権に対抗する少数民族の反政府勢力や国内の諸民主化組織の間で友好と団結の絆を強化する為の働きかけを行なってきた。具体的にNCGUBは、「全国民の調和は未来のビルマ連邦の平和に欠くことができないものである」とする理念の下で、国民和解プログラム(National Reconciliation Program:NRP)を策定し、現在では民族紛争の解決と、民族内部・民族間での対話の推進に努めるとともに、各人が将来のミャンマーに対する展望や大望を表す事を奨励している。
他にも、NCGUBは将来の民主化に対する準備計画として、「ビルマ基金」(The Burma Fund)などの共同組織を通じ、民主化運動の中での組織や個人の能力を築き上げる取り組みをしている。また、民主化運動によって民主主義をもたらした他国の前例を活動の参考とし、将来のミャンマー政府指導者が政策の自己決定に際してその助けとなるような、民主化運動の比較研究や調査プロジェクトを実施している。
- ^ 「1990年の民主的な選挙で表明された人々の意志に従って、民主主義の設立を確実にするために緊急で意義のある対策を取る事と、その為に政党や少数民族の指導者達との実際的な会話を即座に、また無条件に着手する事」を勧告
[編集] 政府の組織構成
ビルマ連邦国民連合政府(NCGUB)は、立法機関として国民議会代表者委員会を、行政機関として閣僚評議会を有している。また、これらの機関とは別に、NCGUBを運営する亡命国民議会議員の組織「議会議員連合」が存在している。なお、NCGUBは亡命ビルマ人コミュニティーで生ずる争議の審議を行っていない為、司法機関に相当する政府機関は現時点で設置されていない。
[編集] 国民議会代表者委員会
国民議会代表者委員会(Committee Representing People's Parliament, CRPP)は、1990年5月27日実施の選挙で選出された国民議会の職務を代行する為に、国民民主連盟(NLD)と4つの非ビルマ人少数民族政党によって、1998年9月16日にヤンゴンで独自に発足した立法機関である。CRPPは、90年選挙で当選した過半数の議員から受けた委任状を活動の正統性根拠にしており、当初は90年選挙で選出された議会当選議員10人によって構成されたことから、「10人委員会」と通称される。職務としては、現在の軍事政権が出す諸法令に正当性がないことの個別具体的な宣言、新憲法草案の作成などがあり、毎年報告書を作成して海外で配布している。
なお、現在のCRPPは18人で構成されている。
CRPP構成員
- 議長:アウン・シュエ(NLD)
- 書記官:Aye Tha Aung(NLD)
- 一般構成員:アウン・サン・スー・チー(NLD)、他15名
[編集] 閣僚評議会
閣僚評議会(Council of Ministers)は、NCGUBの行政を執行する最高行政機関である。評議会は総理府と連邦事務局から構成されており、評議会の下に各種の委員会が設置されている。評議会は首相が統括しており、形式的に議院内閣制を採用している。
閣僚評議会
- 首相:セイン・ウィン
- 総理府(Prime Minister's Office):ボー・フラティン、Sann Aung、Tint Swe
- 連邦事務局(Federal Affairs):Khun Marko Ban
評議会下の委員会
- 民主主義発展委員会(Democracy Development Committee):セイン・ウィン(兼任)
- 連邦事務委員会(Federal Affairs Committee):Khun Marko Ban(兼任)
- 財務委員会(Finance Committee ):ボー・フラティン(兼任)
- 情報委員会(Information Committee ):Tint Swe(兼任)
- 戦略計画委員会(Strategic and Planning Committee):セイン・ウィン(兼任)
[編集] 議会議員連合
議会議員連合(Members of Parliament Union, MPU:「国会議員連合」とも言う)は、1990年5月27日の選挙で選出された国民議会議員達によって、1996年6月15日に結成された。彼らは亡命臨時政府(NCGUB)を組織し、ミャンマーにおける民主主義と人権を復活させる闘争を継続する使命を帯びて、ミャンマーから国外へ脱出した。その後、2000年10月4日にアイルランドのダブリンで開催された会議において、MPUの設立は正式なものとなった。現在MPUは、NCGUB首相の選出に責任を負い、またNCGUBの機関として、ミャンマーに対する国際的な認識を提起し、ミャンマーの民主化運動と、CRPPに関連する政治的団体、政党、CRPP構成員、NCGUBの議会制度に対する全般的な支援を得ることを、主要活動の焦点としている。
なお、現在のMPUは24人で構成されている。
MPU構成員
- セイン・ウィン、Khun Teddy Buri、U Peter Limbin、Daw San San、Myo Win、Sann Aung
- Tint Swe、Za Hlei Thang、Duwa Zau Awng、Khun Manko Ban、ボー・フラティン、U Bo Thaung
- 他12名
[編集] 外部リンク
- Website of the NCGUB and the MPU (Buirma)亡命政府の公式サイト(英語)
- Democratic Voice of Burma: Major News Source for Burma亡命政府が運営する放送局「民主ビルマの声」(英語、ビルマ語、その他)
- Burma Lawyers' Council
- 日本の支援団体