ニュルンベルク法
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ニュルンベルク法(Nürnberger Gesetze)は、1935年にナチス政権下のドイツで制定された法律。起草はハンス・グローブケによって行われたとされる。
1934年のヒンデンブルク大統領の死後、ヒトラーは総統に就任、ユダヤ人に対する迫害政策はその勢いを増した。1935年5月にユダヤ人は国防軍への入隊を禁止された。同年の夏に反ユダヤ主義の宣伝ポスターがドイツ国内の商店や飲食店に張り出されるようになった。ニュルンベルク法は9月15日にニュルンベルクで行われたナチス党大会で「ドイツ人の血と尊厳の保護のための法律」として制定された。同時に「ドイツ帝国公民法」も制定された。ナチスとしては、ユダヤ人自身がサマリア人差別の歴史を持つことを根拠として、この血統による差別を正当化していた。
8分の1までの混血をユダヤ人と規定し、公職は追放、企業経営は禁止、ユダヤ人の市民としての生活権を否定した。やがて絶滅政策が行われるようになった。また、ユダヤ人の迫害はナチスの政権確立時から行われたモノだが、ヨーロッパ諸国には根強く反ユダヤ主義があったことも事実である。
ただし書類を偽造すればたとえユダヤ人であろうともアーリア民族認定を受けることが可能だった(パウル・ウィトゲンシュタインの項目を参照)。ヒトラーの専属料理人もまた血統上はユダヤ人だったが、ヒトラーが彼女の料理の味を愛していたが故に、名誉アーリア人とされた。このように、ニュルンベルク法の実際の運用は多分に便宜的なものだったといえる。
当時のニュルンベルクは中世に繁栄した南ドイツの町で商業・手工業の中心地であった。