ドリス・ヴァン・ノッテン
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ドリス・ヴァン・ノッテン(Dries Van Noten、1958年 - )はベルギー・アントワープ出身の世界的に著名なファッションデザイナー。アントワープの6人の1人。
[編集] 略歴
- 1977年 アントワープ王立芸術学院入学。
- 1981年 同学院卒業。
- 1985年 アントワープに旗艦店を開業。
- 1986年 ロンドンコレクションでデビュー。
- 1991年 パリメンスコレクションに初参加。
- 1993年 パリレディースコレクションに初参加。
- 1994年 レナウンルックにより日本国内への輸入開始。
- 1998年 ライカと輸入代理店契約を結ぶ。
- 2003年1月26日 ライカとの契約終了に伴い、南青山の旗艦店を閉店。
祖父の代から続く既製服販売店の家に生まれ、12歳の頃から両親と共にパリやデュッセルドルフなどでファッション見本市を見て回る。1977年、18歳で後のアントワープの6人と呼ばれるウォルター・ヴァン・ベイレンドンク等とアントワープ王立芸術学院に入学。メリー・プライオットの下で学ぶ。在学中学費を稼ぐためにフリーランスの子供服デザイナーとして働き、1981年に同学院を卒業。ドリスの父親は卒業後、家業を継いでくれるよう望んでいたが、服の販売だけでは物足りなく製作に魅了されていた為、営業用のコレクションのデザインを続ける。
ベルギーの織物産業のGolden Spindleコンペにフルコレクションを揃え、三度参加するも何も売れなかった。この経験はドリスに制作に関する影響を与え、現在でも「見世物」の為の服作りを拒否している。Golden Spindleで制作した服を販売する為、アントワープに小さな店を開く。そんな中、アントワープの6人は共同で小規模なコレクションの制作をする事を決め、1986年にロンドンコレクションの展示スペースを借りて出展。用意された場所がウェディングドレスの展示の後ろなどの悪条件の下、懸命な宣伝活動の結果バーニーズ・ニューヨークとホイッスルズのバイヤーの目に止まり、ドリスの制作したシャツとジャケットが売れるようになった。
エスニック調もしくはフォークロア調のデザインを得意とするが、本人は「エスニックデザイナー」と分類されるのを嫌っている。ニットにも定評がある。1989年アントワープに19世紀の大きな店を購入し、初の旗艦店「ヘット・モードパレス」(Het Modepalais)を開店。その後、世界2店目となる旗艦店が東京都港区南青山で開店したが、輸入代理店ライカとの契約終了に伴い2003年1月26日をもって閉店した。
[編集] エピソード
- アントワープの郊外、城のような豪邸に住んでいる。
- アントワープでは新人デザイナーの服を生産出来る工場の余裕が無い為、独立して自分の服を作ることが出来ない状況にある。そのため、アントワープ王立芸術学院卒業生の優秀生が、大御所のドリスの所へ就職するケースが増えている。しかし、ドリスが経済的に支援してきたアンジェロ・フィグスとの間にトラブルがあった。ドリスの会社が、アンジェロ・フィグスのブランド名登記を数十年間もホウルディング出来る内容の契約を彼に内緒で交わしており、数十年間もアンジェロは自分の名前なのに、ブランド名として自分の名前が勝手には使えないというものであった。