トレブリンカ強制収容所
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トレブリンカ(Treblinka)強制収容所はワルシャワから北東約90kmに存在したナチス・ドイツによって作られた絶滅収容所の一つ。ポーランドのユダヤ人絶滅を目的としたラインハント作戦に則って作られた絶滅収容所の一つである(他にベウゼツ、ソビブール)。児童文学作家で孤児院の院長でもあったヤヌシュ・コルチャックの最期の地として知られている。
付近に人家は少なくビルケナウ強制収容所のような鉄道の引込み線が設けられ、1942年に設立されてから1943年に解体されるまでの一年余りの間に、主にワルシャワ地方のユダヤ人を中心に90万人が移送され、そのほとんどが老若男女の区別なく直接ガス室に送り込まれて殺されたと言われている。このため他の収容所と比べ犠牲者の数は突出して多く生存者も極めて少ない。1944年の夏、ユダヤ人特別労務班の反乱で、少数の囚人が脱走に成功し、それを機に収容所は解体されることになった。
なお、トレブリンカ収容所は証拠隠滅のためナチスによって徹底的に破壊されたため現存する建物はひとつも残っていないが、移送されてきたユダヤ人たちが降り立ったプラットホーム跡、収容所へ向かう鉄道の支線が通されていた獣道、そしてたくさんの記念碑などが当時の面影を忍ばせている。現場は僻地にあるうえ交通の便も悪く、観光地化されていないため案内も少なく、外国人が訪れるには相当な覚悟のいる場所である。