テクノポリス (雑誌)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
テクノポリスは、徳間書店(後に徳間書店インターメディア)から発行されていたパソコンゲーム雑誌。通称はテクポリ。
目次 |
[編集] 概要
[編集] 創刊
1982年の創刊号では科学雑誌を目指していた。しかしすぐに流行の兆しがあったパソコン(当時の呼称はマイコン)に絞った編集方針となり、以後はパソコン専門誌として歩むことになる。初期のコピーは「ナイコンでもわかる遊べる」。ここでいうナイコンとは、まだパソコンを入手していない状態を指す言葉である。
初期は各社から発売されていたパソコンの最新情報や、読者投稿のCGプログラム(単にBASICプログラムで画面にアニメ等のキャラクターを描画するものであり、3Dなどコンピュータの特性を生かしたものではない)・ゲームプログラム等を掲載していた。また、マシン語プログラムの入門記事など硬派な記事も掲載していた。これは、黎明期のパソコンにおいては利用者=プログラマーであり、その時代の要請に沿ったものだった為。最盛期には、本誌以外にも別冊「プログラムポシェット」を発行し、読者から寄せられたプログラムを公開していた。表紙などのイラストレーターに佐藤元を起用しており、キャラクターはMYという女の子とパコと呼ばれる球状ロボット(後者は『機動戦士ガンダム』のハロが元ネタ)であった。
[編集] ゲーム雑誌化
1980年代中期になるとパソコン市場が成熟し、ユーザーの主な関心は市販ゲームソフトに移った。またCGプログラムは、今まで黙認されていたアニメキャラの版権問題が徐々に取り上げられるようになり、掲載が難しくなった。その為、本誌の記事もゲーム紹介やその攻略を中心としたものに変化していった。中でも人気があったのは、「マル忍改造」と題する市販ソフトの改造手順を紹介したコーナーであった。ただし当時はゲームの攻略情報について、どのように雑誌が取り扱うかの合意がメーカーと雑誌社の間で形成されておらず、トラブルを引き起こすケースもあった。代表的なトラブル事例には、『フラッピー』の再開パスワード公開と『ブラックオニキス』のキャラクターデータ改造プログラムが挙げられる。これら2つのソフトには、当時クリアしたユーザーを対象に認定書の発行をメーカーが行っていたため、特に問題となった。
読者投稿や読者との交流にも重点が置かれ、投稿が最初に掲載されるとテクポリクラブ会員として認められ、会員番号付きの会員証・バッジ・手帳が編集部から送付されるようになっていた。プログラムやイラスト投稿、手紙といった間接的な繋がりに留まらず、読者が編集部に来たり、読者宅へ電話をするといった企画もあった。読者欄は女子大生パーソナリティーが司会を務め、人気が高かった。
[編集] アダルトゲーム専門誌化、そして休刊へ
1980年代後期になると、ファミコンを代表とする家庭用ゲーム機が一般化し、ゲームを遊ぶ装置としてのパソコンの優位性は急速に失われていった。以後、パソコンゲームは家庭用ゲームでは扱いが難しいアダルトゲーム・同人ソフトを中心に発展していくこととなる。本誌もこの流れに追随し、アダルト専門誌へと変化した(ただしそれ以前にも度々アダルト特集を組んでおり、唐突にアダルト誌化したわけではない)。当時、徳間書店は「美少女ゲーム」という用語を商標登録しており、ここからも本誌のアダルトゲーム志向が伺える。この頃になると紙面サイズも従来より若干小型化され、雑誌全体が刷新された。表紙にはアニメーターとしても名を馳せていたイラストレーターのいのまたむつみが起用され、アニメ・ゲーム両方のファン層を取り込むことに一役買っている。また、出版だけでなくゲーム制作にも進出した。これについては、徳間書店インターメディア#ゲームソフトを参照。
しかし、1991年の沙織事件を機に制度化された18禁指定制度で18禁指定となったゲームの紹介を取り止めたことや、同時期のアダルトゲーム情報誌の創刊ラッシュの影響もあって発行部数が激減し、1994年に休刊した。
なお、編集スタッフの一部はアダルトゲーム紹介が取り止めとなった際に独立し、BugBugやPC Angelの編集に携わっている。2誌とも創刊時の作りが本誌に似ていたのは、この為である。