テオ・アンゲロプロス
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テオ・アンゲロプロス(Θόδωρος Αγγελόπουλος, 1935年4月27日 - )は、ギリシャ・アテネ出身の映画監督。アルファベットでは,Theodoros Angelopoulosと記し、「テオ」の部分は正確には「テオドール」、または「テオドロス」と読める。
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[編集] 履歴
アテネ大学を卒業後、兵役を経て、パリのソルボンヌ大学に留学。のち退学。その後、パリ高等映画学院に入学するが、教師と対立し放校処分になる。1964年11月に軍部台頭で政情不安定なギリシャに帰国。左翼系日刊紙『ディモクラティキ・アラギ』で映画批評活動を始める。1965年には、ヴァンゲリス・パパタナシューのグループが主演する長編映画『フォルミンクス』に着手するが製作者と衝突して未完に終わる。1967年の軍事政権発足後、1968年に映画雑誌『同時代映画』を創刊。同年、短編映画『放送』を発表。1970年に長編第1作『再現』を完成する。
『1936年の日々』に続く現代史三部作の二番目の作品に当たる『旅芸人の記録』が世界的な評価を受け、現代史三部作の締めくくりである『狩人』でその評価を確実なものとする。現代史三部作は第二次世界大戦を挟んだギリシアの歴史を描いたものだが、トルコからの侵略、ナチスの侵攻、イギリスの進出と圧政、そして大戦後の左右両派による内戦と右派軍事独裁体制、という複雑な歴史を描き、共産主義を一つの理想と捉えたユートピア思想的なものだった。
その後、ギリシア現代史に関する集大成的な作品と言える『アレクサンダー大王』を制作。だが、世界的な共産主義の退潮と独裁体制の崩壊に伴い「20世紀最大の理想の一つである共産主義」に別れを告げ、「国境」に視点を移す。『シテール島への船出』、『こうのとり、たちずさんで』、『ユリシーズの瞳』といった国境三部作は、それをテーマとする。『ユリシーズの瞳』においては、これまで一度もギリシアを出なかった舞台をバルカン半島全体に広げ新境地を開くかに思われた。だが、次作の『永遠と一日』においては、国境を題材の一つにしながらも舞台を再びギリシアに戻すと共に、これまでにない内省的な作品となった。
最新作である『エレニの旅』においては舞台をバルカン半島以外にも広げ新たなる展開を示しており、アンゲロプロス自身からも新しい三部作の始まりである旨が言及される。
[編集] 作風
彼の場合、長大な長回しが話題にされる。彼の真骨頂は、思想を如何にして映画表現として実現するかと挑戦し続けていることにある。彼の特徴的な、長回し、同一シークエンス(カット)内における時間の転移、人物のストップモーション的な利用、360度パン、クローズアップの不使用、などは、彼のその挑戦と大きく結びつく。
テーマ、表現手段(手法)共に峻厳である余り難解さや退屈さを指摘されることも少なくない。だが、映画に対する挑戦意識と到達した地点は、現存する中ではもっとも高い作家の一人である。
ギリシャでは、しばしば「子供が寝付かないで困るときはアンゲロプロスを見せろ」と言う。長回し、少ない台詞などに関して言われる冗談である。
[編集] 受賞歴
[編集] 作品
- 放送 Εκπομπή(1968)
- 再現 Αναπαράσταση (1970)1971年、ジョルジュ・サドゥール賞受賞
- 1936年の日々 Μερες του '36(1972)1973年、ベルリン国際映画祭国際批評家賞受賞
- 旅芸人の記録 Ο Θίασος(1975)、カンヌ国際映画祭 国際映画批評家連盟賞受賞
- 狩人 Οι Κυνηγοί (1977)
- アレクサンダー大王 Μεγαλέξανδρος(1980)、ヴェネチア国際映画祭 金獅子賞受賞
- シテール島への船出 Ταξίδι στα Κύθηρα(1984)、カンヌ国際映画祭 国際映画批評家連盟賞受賞
- 霧の中の風景 Τοπίο στην ομίχλη(1988)、ヴェネチア国際映画祭 銀獅子賞受賞
- こうのとり、たちずさんで Το Μετέωρο βήμα του πελαργού(1991)
- ユリシーズの瞳 Το Βλέμμα του Οδυσσέα(1995)、 カンヌ国際映画祭 審査員特別グランプリ受賞
- 永遠と一日 Μια αιωνιότητα και μια μέρα(1998)
- エレニの旅 Τριλογία 1: Το Λιβάδι που δακρύζει(2004)
- それぞれのシネマ(2007)
[編集] 外部リンク
- オフィシャルサイト
- The Internet Movie Database:Theo Angelopoulos