チョウ・ディン
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チョウ・ディン(Kyaw Din、1900年6月 - 没年不詳)は、ビルマ出身の元サッカー指導者。名をモン・チョー・ディンとする資料もある。
[編集] 人物
チョウ・ディンの経歴は断片的に調査・紹介されているものの、特に日本留学時代以外については不明な点が多い。
イギリスの実質支配下にあったビルマにおいて、幼少期からサッカーに親しんでいたとされる。
大正時代に、日本の東京高等工業学校に留学した。この頃、早稲田大学のグラウンドで陸上競技の練習をしている最中に、偶然早稲田高等学院サッカー部の練習を見かけて指導を始めた。彼の指導によって、早稲田高等学院は全国高等学校ア式蹴球大会(インターハイ)2連覇を成し遂げた。この時期に指導を受けた人物の中には、後にベルリンの奇跡を起こすサッカー日本代表の監督を務めた鈴木重義や、玉井操などが含まれる。それ迄は無名だった私立の早稲田の優勝の陰にチョウ・ディンの指導があったことが分かると旧制山口高校や神戸一中もチョウ・ディンにコーチを依頼した。
1923年、関東大震災によって東京高等工業学校の校舎が倒壊し、授業が受講できなくなった。この機会に彼は全国を巡回してサッカーの指導に携わった。1923年8月には『How to play association football』と題された指導書も出版している。この時期に指導を受け、後に日本サッカーを支えるようになった人物としては旧制山口高校の竹腰重丸などがおり、また神戸一中は直伝のショートパス戦法を習得し、この後何度も全国制覇を成し遂げるようになる。
日本サッカーの発展に大きな功績を残したチョウ・ディンは、1925年にビルマへ帰国した。
2007年、日本サッカー殿堂入り。