ダールノキ・ミクローシュ・ベーラ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ダールノキ・ミクローシュ・ベーラ(Dálnoki Miklós Béla, 1890年6月11日 - 1948年11月21日)は、ハンガリーの軍人、政治家。大将。
ブダペスト出身。第一次世界大戦に従軍し、戦後、ハンガリー軍に入隊。1929年~1932年、ホルティ・ミクローシュの次席副官兼摂政官房副長官。1932年~1933年、参謀本部軍事情報部長。1933年~1936年、駐ベルリン駐在武官。1936年から第7歩兵連隊、1938年から第1騎兵連隊、同年第2騎兵旅団を指揮した。
1940年10月、創設されたばかりで、ハンガリー軍唯一の機動軍団の長となり、ユーゴスラビアで戦い、軍内で大きな人気を得た。1941年6月、ダールノキの軍団は、ソンバトヘイ・フェレンツ将軍のカルパチア集団の主力を構成した。軍団の編成下には、2個機械化旅団、2個騎兵旅団、2個独立自転車大隊(約2万5千人、旧式戦車160両)が存在した。同年11月末、軍団はハンガリーに帰国した。同年12月4日、騎士鉄十字勲章を授与された。
1942年2月から10月まで第9軍団長。同年、ホルティの副官兼官房長官に任命。1944年8月、第1軍(約30万人)司令官に任命され、東部戦線に投入された。ドニエストル及びセレト河岸で防御戦を行い、9月からカルパチア北東部で防御に就いた。サーラシ・フェレンツの矢十字党政権が樹立されると司令官職を辞し、反独勢力に加わった(約1万人が彼に従った)。1944年12月22日、共産党、小農業者党、国家農民党、社会民主党から成るハンガリー臨時国民政府を樹立し、その首相を務めた。1945年11月4日、退陣し、ティルディ・ゾルターンと交代した。
|
|