タルトゥ条約
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タルトゥ条約(Tartu rahu、Tarton rauha、Тартуские мирные договоры)とは、1920年2月にソヴィエト・ロシア政権が、エストニアの独立を承認した条約。また、1920年10月に同政権がフィンランドの独立を承認した条約。エストニアのタルトゥで締結された。タルトゥ平和条約とも称される。
[編集] エストニアとのタルトゥ条約
1920年2月2日、ソヴィエト政権とエストニアの間で結ばれた条約である。この条約の第2条で、初めて法的にエストニアの独立が承認された。(前年に行われたパリ講和会議では、エストニア代表団の会議参加は認められず、その独立も法的には承認されていなかった。)また、この条約において、ナルヴァ川以東の地区と、ペイプシ湖南部のペツエリ地方がエストニアの領土に加えられた。
エストニアは、この条約を結んだ後、同年のうちにイギリス・フランス・イタリア・日本といった、パリ講和会議における有力国からも法的な独立を認められた。合衆国はエストニアの法的な独立承認について消極的だったが、翌1921年に独立を承認した。こうして、国際社会におけるエストニアの地位が定まった。