セクストゥス・ポンペイウス
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セクストゥス・ポンペイウス(Sextus Pompeius、? - 紀元前35年)は共和政ローマの末期の軍人・政治家。三頭政治の一角であったグナエウス・ポンペイウスの次男。父の死後は元老院派の重要人物としてスペインを拠点にカエサルへの抵抗を続けた。
紀元前48年、父グナエウス・ポンペイウスがファルサロスの戦いでカエサルに敗れ、エジプトに逃れて暗殺された後、海路ヒスパニア(イベリア半島)へ逃れた。かつて父グエナウスがセルトリウスの乱を鎮圧して以来、ヒスパニアはポンペイウス派の支持基盤となっていたからである。第一次三頭政治でも、ガリア担当のカエサル、シリア担当のクラッススに対し、ポンペイウスはヒスパニア及びエジプト担当の属州総督として派遣されることになっていた。
スペインには、カエサルの9年に及ぶガリア遠征で副将を務め、ファルサロスの戦いではポンペイウス軍の騎兵を率いて戦った名将ラビエヌスも逃れてきており、セクストゥスは兄で父と同名のグナエウスとともにイベリア半島の原住民を味方につけて蜂起した。
始めのうち、戦いはポンペイウス軍に有利に進み、カエサル派の軍勢を相次いで破った。ポンペイウス派の勢力は、一時はイベリア半島全域に及んだが、カエサル自身がヒスパニアに到着すると形勢は逆転し、ムンダの戦いで兄グナエウスとラビエヌスは戦死した。セクストゥスのみが生き残り、大西洋沿岸部の山地へと逃れた。
セクストゥスは、カエサルが暗殺された後に再び蜂起したが、ナウロクス沖の海戦でカエサルの後継者オクタウィアヌスの腹心アグリッパ率いる海軍に敗れ、勢力を失った。
[編集] 関連項目
- 『ヒスパニア戦記』(カエサル)