マルクス・リキニウス・クラッスス
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マルクス・リキニウス・クラッスス(Marcus Licinius Crassus, 紀元前114年 - 紀元前53年)は、共和政ローマ時代の政治家、軍事指導者である。
エクィテス(騎士階級)出身。ローマ随一の富豪であり、「ローマの富の半分を保有する」とまで言われた。しかしあまりにあこぎなその手腕に、人望はさっぱりであった。スパルタクスの反乱が起こるとこれを鎮圧し、執政官に就任する。ポンペイウス、カエサルとともに第一次三頭政治を行う。パルティア戦争に出陣し、ハランでの戦い(カルラエの戦い)で敵の罠にかかって戦死、皮を剥がれて頭蓋骨で酒を飲まれるという最期を迎える。
[編集] 年譜
- 紀元前115年 - 誕生
- 紀元前97年 - 父親が執政官に就任
- 紀元前87年 - マリウスの圧力からスペインへ亡命
- 紀元前84年 - マリウスに対抗すべくスッラと共闘する。
- 紀元前78年 - スッラ逝去
- 紀元前74年 - スパルタクスの反乱勃発
- 紀元前73年 - プラエトルに就任
- 紀元前71年 - スパルタクスの反乱鎮圧
- 紀元前70年 - ポンペイウスとともに執政官を務める。
- 紀元前65年 - ケンソル就任
- 紀元前63年 - カティリナ事件
- 紀元前59年 - 第一次三頭政治、カエサルが執政官に就任
- 紀元前56年 - ルッカ会談
- 紀元前55年 - ポンペイウスとともに二回目の執政官を務める。12月、シリア属州へ赴任。
- 紀元前54年 - パルティア遠征開始
- 紀元前53年 - カルラエの戦い敗戦後、程なく死去