セイの法則
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セイの法則とは、「供給はそれ自身の需要を創造する」と要約される経済学の法則。あらゆる経済活動は物々交換にすぎず、需要と供給が一致しないときは価格調整が行われるということを前提に、供給が増え供給超過になっても、かならず価格が下がるので、結果として、需要が増え、需要と供給は一致する。それゆえ、需要(あるいはその合計としての国の購買力・国富)を増やすには、供給を増やせばよいという考えである。
ジャン=バティスト・セイが著書『政治経済学概論』第一巻第二十二章「販路」に叙述したことからセイの販路法則と呼ばれることもある。セイの法則が主張する重要な点は、経済の後退が需要不足や通貨不足によるものでないとする点にある。
国(国家の経済)は、支払いうるだけの販路を提供するのであって、より多くの支払いは、追加的な生産品に対して行われるのである。貨幣は相互の交換を一度におこなうための仮の穴埋めであって、交換が終わってみれば生産品に対しては生産品が支払われている。
– 『政治経済学概論』(1803年刊)
セイは、経済やビジネスの好転、あるいは購買力のさらなる増強は、ただ生産力の増強によってのみなされるのだとの社会的な洞察をもっていた。そこで不況の原因が行政府による消費支出の不足や、通貨としての金(金塊Bullion)の調達・供給不足にあるとする分析に対して、その批判の矛先を向けていた。
ジョン・スチュアート・ミルは、生産につながらない消費(非生産型の消費)の増大による経済刺激策をセイの法則を引用することで批判した。
なおセイ本人は、後代にセイの法則に付け加えられたこまかな定義をつかうようなことはなく、セイの法則とは、実際には同時代人や後代の人たちによって成熟させられたものである。その断定的で洞察に富んだ表現から、セイの法則は、ジョン・スチュアート・ミルやデヴィッド・リカードなどにより発展し、1800年代中頃から1930年代まで経済学のフレームワークとなった。
セイの法則に相対する考え方として、同時代に発生した一般過剰供給論争における過少消費説がある。またこの考えをマルサスを発掘することで継承したジョン・メイナード・ケインズによる有効需要の原理がある。貯蓄投資の所得決定理論において、セイの法則が貯蓄(供給)は常に投資(需要)されることで両者が一致すると説明する点を批判し、むしろ投資に見合うように貯蓄が決まる点を強調した。
セイの法則として著名な「供給はそれ自らの需要を生み出す」という文言について、ポール・デビッドソンによれば1803年にイギリスの経済学者ジェームズ・ミルがセイの著作を翻訳するさいにそのような要約が登場したと指摘する。またセイら古典派の貨幣観をすでに「ヴェール」と呼んでいる。