ジョージ・ヒンカピー
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ジョージ・ヒンカピー(George Hincapie、1973年6月29日 - )は、アメリカの自転車プロロードレース選手。ニューヨーク出身。1994年プロデビュー。190cmを超える長身から「ビッグ・ジョージ(Big George)」の愛称で呼ばれる。
ランス・アームストロングの7連覇全てをアシストした唯一のアシスト選手であり、1998年と2006年にアメリカ選手権を制した実力者。1996年から2007年までツール・ド・フランスに12年連続して出場。パリ〜ルーベやロンド・ファン・フラーンデレンといったクラシックレースでもたびたび上位に入っており、ワンデーレースも得意とする。
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[編集] 経歴
当初はスプリンターとしてデビューし、1999年にはヘント~ウェヴェルヘムとパリ〜ルーベでそれぞれ4位に入る力を見せ、アシストとしてもランス・アームストロングのツール・ド・フランス初優勝に貢献する。
2001年にはヘント~ウェヴェルヘムで優勝。パリ〜ルーベでも4位という好成績を残した。以後もたびたびクラシックで上位入賞を果たしつつ、ツール・ド・フランスではランスのアシストを勤める。
2005年はツール・ド・フランスの前哨戦であるドーフィネ・リベレで2勝。ツール・ド・フランスでも1勝をあげて総合でも14位という好成績を収めてランスの7連覇に華を添えた。
2006年はパリ〜ルーベで落車して鎖骨を骨折というアクシデントに見舞われたうえ、ランス引退後のツール・ド・フランスでは第一ステージで初のマイヨ・ジョーヌに袖を通すも最終的には32位に終わった。しかしエネコ・ツアーで1勝をあげたほか、自身2度目のアメリカ選手権を制して健在ぶりをアピール。
2007年はツアー・オブ・ジョージアで落車して再び骨折。春のクラシックシーズンをキャンセルし、12回目となるツール・ド・フランスに出場。総合優勝したアルベルト・コンタドールと3位のリーヴァイ・ライプハイマーのアシストを務め、タイムトライアルでも健闘。自身も総合24位に入り、チーム総合優勝にも大きく貢献した。
2008年はディスカバリーチャンネルの解散に伴って、ハイロードへ移籍。2月のツアー・オブ・カリフォルニアでステージ勝利をあげた。
[編集] 人物
- 現役選手ながら、「ジョージ・ヒンカピースポーツウエア」というアパレル会社を経営する実業家の顔も持っている。
- オークリーのサングラス・レーシングジャケットを長年愛用しており、トレードマークになっていた(2007年からは同じオークリーのレーダーを使用している)。
[編集] エピソード
- クラシックレースのパリ〜ルーベと縁が深く、妻にプロポーズしたのが2004年の大会終了後。2005年は初優勝の期待がかかるも絶好調のトム・ボーネンにくらいつかれ、結局2位。雪辱を期した2006年はフォークコラムが破断し、落車して鎖骨骨折。バイクを供給していたトレックが、慌てて原因究明に乗り出す事態になる(骨折する前に一度落車してガタが来ていたのをそのままにしていたのが原因と判明)など毎年のように話題を提供している。
[編集] 所属チーム
- 1994-1995年 モトローラー(94年Motorola-Magniflex、95~96年Motorola)
- 1997-2004年 USポスタルサービス
- 2005-2007年 ディスカバリーチャンネル
- 2008年- ハイロード
[編集] 主な成績
[編集] グランツール
- 2004年 ツール・ド・フランス1勝(チームTT)
- 2005年 ツール・ド・フランス2勝(うち1勝はチームTT)
[編集] ステージレース
- 2005年 ドフィーネ・リベレ2勝
- 2006年 エネコ・ツアー1勝
[編集] ワンデーレース
- 2001年 ヘント~ウェヴェルヘム優勝
- 2005年 GP西フランスプルエー優勝