ジョーイ・ラモーン
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ジョーイ・ラモーン | |
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基本情報 | |
出生名 | ジェフリー・ロス・ハイマン |
出生日 | 1951年5月19日 アメリカ合衆国 ニューヨーク |
死没日・地 | 2001年4月15日(満49歳没) アメリカ合衆国 ニューヨーク |
ジャンル | パンク・ロック |
職業 | 歌手 |
活動期間 | 1974年~1996年 |
ジョーイ・ラモーン(Joey Ramone, 1951年5月19日 - 2001年4月15日)は、アメリカ人のミュージシャン。パンク・ロックバンドラモーンズのボーカリスト。
目次 |
[編集] 概要
本名は、ジェフリー・ロス・ハイマン(Jeffry Ross Hyman)。彼とジョニー・ラモーンは、結成から、1996年に解散するまでバンドに留まったオリジナル・メンバーである。 ジョーイの身長は、6フィート8インチ(198cm)もあり、痩せぎすで長い黒髪がほとんど顔を覆い尽くしていた。この身長は、ステージ上でも存分に生かされ、独特の存在感を出していた。初期の激しい動きや、後期の直立不動のスタイルは見る者を魅了した。彼は長年、強迫性障害に苦しみ、その強迫観念に耐えられなくなると自ら通院して診断を受けていた。後のメンバーの証言などから、ステージ上の彼からは想像できない、痛々しい状態であった。
[編集] 生い立ち
ジョーイ・ラモーン、本名ジェフリー・ハイマン(以下、ジョーイと記)は、ニューヨーク州クイーンズ区のフォレスト・ヒルズで生まれ育った。彼は、後のバンド仲間達と共にフォレスト・ヒルズ高校に通っていた。
両親が、1960年代初めに離婚するなど、ジョーイの家庭生活は決して恵まれていなかった。音楽好きだった母親のシャーロット・レシャー(1926 - 2007)は、ハイマン及び兄弟のミッチェル(ミッキー・リーとも)に音楽活動を進めた。
ジョーイはザ・フーやビーチボーイズなどにあげられる、「オールディーズ」や、フィル・スペクターがプロデュースした「ガール・グループ」を好んでいた。彼の音楽嗜好は、そのままラモーンズへ受け継がれ、バンドの魅力となる独特の歌詞やポップセンスを生みだした。
彼は13歳でドラムを演奏し始め、ラモーンズを結成した当初は、彼がドラムを担当し、ボーカルはディー・ディーが担当していた。しかしながらディー・ディーはボーカリストに向かないことが分かり、トミーの勧めでジョーイがボーカルとなった。
[編集] ラモーンズ
ジョーイはラモーンズの「ハート・アンド・ソウル」と言われた。ラモーンズのレパートリーで彼が好んだ曲は、多くの場合バラードとラブソングであった。C・J・ラモーンは彼を「グループのヒッピー」と呼んでいた。
ジョーイと、ギタリストのジョニー・ラモーン(ジョン・カミングズ)と険悪な関係だった事は有名で、長年まったく口をきかなかったとも言われている。だが、実際は音楽に関する面では頻繁に意見交換をしていた。
この二人の関係がこじれたのは、ジョニーが、ジョーイののガールフレンドであったリンダを「盗んだ」事が始まりだと言われている。ジョニーは、後にリンダと結婚したが、映画「End of the Century: The Story of the Ramones」の中でジョーイの敵意について話している。
アルバム『プレザント・ドリームス』に収められている、ジョーイ作の「The KKK Took My Baby Away」は、リンダを寝取ったジョニーを、KKKに例えて書いている。この曲は、ラモーンズファンからの人気も高く、後のライブでも頻繁に演奏された。後にジョニーは、KKKを演奏する事に対して、どんな内容の曲であっても、ファンから支持される名曲は演奏する。と語っている。
彼らの対立は、政治思想にまで及んでいる。ジョーイは、いわゆる自由主義であり、ジョニーは、保守主義であった。しかし、ラモーンズでは、政治思想を曲にする事を意識的に避けていた。
[編集] 死
ジョーイ・ラモーンは2001年4月15日にニューヨーク長老教会病院でリンパ腺癌のために49歳で死去した。彼はリンパ腺腫瘍に長いこと苦しんだものと見られる。1990年代中頃にリンパ腺専門病院に通院する姿を目撃されていた。ファンと彼らに影響を受けた多くのミュージシャンの手で無数の記念物が作られた。
彼はその死に際して、U2の「In a Little While」を聞いていた。この曲はU2の「エレヴェーション・ツアー」でボノが、恋に浮かされた二日酔いの歌として紹介していたが、ジョーイはこの曲をゴスペルに変えていた。
彼のソロ・アルバム『Don't Worry About Me』は死後の2002年にリリースされ、ルイ・アームストロングのスタンダードをカバーした「この素晴らしき世界」がシングルカットされた。
2003年11月30日にニューヨークの東2番街ブロックは"ジョーイ・ラモーン・プレイス"と改名された。その場所はハイマンがディー・ディーと共に暮らした場所であり、ラモーンズがその経歴をスタートさせたCBGBが近くにあった。ハイマンの誕生日は毎年彼の母親(2007年没)と兄弟が経営するニューヨークのナイトクラブで祝われている。彼はニュージャージー州リンドハーストのヒルサイド墓地に埋葬された[1]。
[編集] ディスコグラフィ
[編集] アルバム
- In a Family Way EP – Sibling Rivalry (1994)
- Merry Christmas (I Don't Want to Fight Tonight) single – Joey Ramone (2001)
- Don't Worry About Me – Joey Ramone (2002)
- Christmas Spirit...In My House EP – Joey Ramone (2002)
- Ramones: Leathers from New York EP – The Ramones and Joey Ramone (solo) (1997)
[編集] シングル
- "I Got You Babe" (1982) (A duet with Holly Beth Vincent)
- "What a Wonderful World" (2002)
[編集] 外部リンク
- The Official Joey Ramone Website
- Monte A. Melnick, On The Road With The Ramones (Paperback, 2003) [2]