ジョヴァンニ・ディ・ビッチ
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ジョヴァンニ・ディ・ビッチ(Giovanni di Bicci, 1360年 - 1429年2月20日)は、15世紀始めフィレンツェのメディチ家当主で、一族の繁栄を築いた人物。ローマ教皇庁とのつながりを深め、銀行業で成功した。
一族のヴィエーリ・ディ・カンビオ(1323-1395)のもとで実力を付けていった。ジョヴァンニは教会大分裂(シスマ)期の1397年、ローマにあったメディチ銀行本店を出身地のフィレンツェに移す。ローマ・ヴェネツィアなどへ支店網を広げてゆき、ローマとアヴィニョンに分裂し対立の続くカトリック界に介入して、枢機卿バルダッサレ・コッサ(元は海賊ともいわれる醜聞に包まれた人物)を支援し、対立教皇ヨハネス23世として即位させた(在位:1410-1415年)。これによって1410年にはローマ教皇庁会計院の財務管理者となり、教皇庁の金融業務で優位な立場を得て、莫大な収益を手にすることに成功した。ヨハネス23世はコンスタンツ公会議で廃位となったが、メディチ銀行は引き続きローマ教皇庁での地位を保った。
この間、フィレンツェの「正義の旗手」や外交大使なども歴任し、社会的な地位を高めた。その一方、1422年、ローマ教皇マルティヌス5世は「モンテ・ヴェルデ伯」の称号を授けようとしたが、ジョヴァンニは政治的な配慮から爵位を辞退し、「一市民」の立場にとどまった。
1429年に死去した時、離散したメディチ家の一族、教皇代理、諸外国の大使、フィレンツェの有力者たちが参列し、メディチ家の社会的威信、一族の統合を知らしめたと言う。
ジョバンニの息子、コジモ(1389年-1464年)の代に、フィレンツェにおけるメディチ家の実質的な支配体制が確立する。