ジョヴァンニ・ダ・パレストリーナ
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ジョヴァンニ・ピエルルイージ・ダ・パレストリーナ(Giovanni Pierluigi da Palestrina, 1525年?-1594年2月2日)はイタリア・ルネサンス後期の音楽家である。カトリックの宗教曲を多く残し「教会音楽の父」ともいわれる。
ローマ近郊のパレストリーナに生まれる。ローマのサンタ・マリア・マジョーレ大聖堂の聖歌隊員となる。1544年、パレストリーナの教会でオルガン奏者になる。教皇ユリウス3世に求められ、1551年、教皇庁のジュリア礼拝堂の楽長、1555年にシスティーナ礼拝堂の聖歌隊歌手に任命された。イタリア・ルネサンスの時期、音楽はフランドルが中心であり、ローマ教皇庁の音楽隊にもフランドルの音楽家を招くという状態であったが、パレストリーナはイタリア人音楽家として大きな名声を得た。
少なくとも100以上のミサ曲、250以上のモテトを初めとする数多くの教会音楽を作曲し、「教皇マルチェルスのミサ」が代表作である。対抗改革(反宗教改革)の時期であり、厳格な教皇パウルス4世によって解雇された。その後、サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂の楽長などを経て、1571年再びジュリア礼拝堂の楽長になる。妻子を伝染病で亡くし、失意に陥るが、裕福な毛皮商の未亡人と再婚し、恵まれた晩年であったという。
作品に見られる、順次進行を主体とした簡素・平穏・緻密な合唱様式はパレストリーナ様式と称されている。パレストリーナ自身は音楽理論書を遺したわけではないが、その様式は18世紀のフックスの教本以来厳格対位法の模範であるとされている。