ジョン・メレンキャンプ
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ジョン・メレンキャンプ(John Mellencamp、1951年10月7日-)はアメリカのシンガーソングライターである。インディアナ州シーモア出身。デビュー当時の芸名はジョン・クーガー(John Cougar)。1983年にジョン・クーガー・メレンキャンプ(John Cougar Mellencamp)と改名し、1991年から本名のジョン・メレンキャンプを名乗る。
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[編集] 略歴
[編集] ジョン・クーガー時代
1970年代半ばにトラッシュというグラムロックのバンドで活動していた時期にデヴィッド・ボウイの敏腕マネージャーだったトニー・デフリーズに見出され、デビュー。グラムロッカーとして化粧をし、芸名をジョン・クーガーとするが、彼の意に添うものではなく、まもなくレコード会社を移籍した。正統派のアメリカン・ロックに転向した後はしばらくは不遇だったが、1982年のアルバム「American Fool」からのシングル「Hurts So Good」と「Jack And Diane」が全米1位の大ヒットとなり、ブレイクした。
[編集] ジョン・クーガー・メレンキャンプ時代
1983年にジョン・クーガー・メレンキャンプと改名し、「Uh-Huh」を発表。ローリング・ストーン誌はこのアルバムを「1980年代の偉大な100枚」の32位に選んだ。1985年に発表した「Scarecrow」からも「Small Town」と「R.O.C.K. in the U.S.A.」、「Lonely Ol' Night」のシングル曲がトップ10入りした。同年にはウイリー・ネルソンとともに、困窮するアメリカの農家のためのチャリティーイベント「ファーム・エイド」を開催。都市から見放されがちな田舎、農村の代弁者としての立場を強くするようになり、音楽性もカントリーやフォークの色が濃いアコースティックなものに変容していった。その音楽性は1987年に発表した「The Lonesome Jubilee」で強く見出すことができ、このアルバムからも「Paper in Fire」と「Cherry Bomb」、「Check It Out」のヒット曲を生んだ。その間の1986年には日本武道館での来日公演を行っている。
[編集] ジョン・メレンキャンプ時代
1991年にようやく本名のジョン・メレンキャンプ名義で「Whenever We Wanted」を発表。翌1992年には4年ぶりのワールドツアーもおこなっている。映画業界にも同年から進出しており、インディアナ州が舞台の『Falling from Grace』で主演と監督を努めたものの、商業的には成功しなかった。1993年に「Human Wheels」、1994年に「Dance Naked」、1996年に「Mr. Happy Go Lucky」のアルバムを発表したが、以前ほどの成功は収められなかった。21世紀に入ると、新たな音楽性を求め、ラップグループのパブリック・エネミーのチャックDなど組み、「Cuttin' Heads」を発表した。インディアナ州ブルーミントンに住まいを構えるジョンは、同地にあるインディアナ大学のバスケットボールチームのシーズンチケットを購入しており、その関係から同大学の前学長が代表を努めるNCAAのバスケットボール大会の一環として、2006年にインディアナポリスの街中で無料コンサートを行い、5万人の観衆を集めた。同年の夏頃からシボレーのCM曲として「Our Country」が流れ始め、大変な人気を集めた関係もあり、2007年に発表した5年ぶりのアルバム「Freedom's Road」は第1週の販売ランキングで5位にランクイン。これは1985年の「Scarecrow」がマークした2位に次ぐ、最高位になっている。また、同年には人気作家スティーヴン・キングと共にブロードウェイミュージカルの仕事を行っている。